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心の波紋の奥底にあるものは?ILUCA magazine ×スノウショベリング 中村秀一「SINK vol.01」

洗面器に水を張って、蛇口から最後の一滴が水面にこぼれたとき、波紋ができる。波紋はあっという間に広がって、洗面器の奥底へと沈んでいく。あの人はどんな波紋を心の奥底に積み重ねて、今この瞬間を生きているのだろう――?

「心の波紋」をキーワードに世間で注目を集めるさまざまな人や物を取り上げてきたライフスタイルメディア「ILUCA magazine」が、5月29日に初めてのトークイベント「SINK vol.01」を開催しました。

ILUCA magazine編集長(5月末で退任)の柿内奈緒美がゲストに指名した「あの人」は、以前インタビューにも登場したSNOW SHOVELINGの店主・中村秀一さんです。アート好きという共通項だけでなく、「心の波紋」というテーマに対してまさしくこれだ!と思えるトークができた相手が中村さんだったそう。もっと深く話してみたい、との熱烈オファーから今回の対談が実現しました。

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原宿にある隠れた秘密基地のようなコワーキングスペース「TURN Harajuku」にそろそろと参加者が集まった19時半過ぎ、ILUCA magazine編集の倉持裕太がモデレーターに加わってイベントはスタートしました。

予習をしない、順番に見ない。中村流アートの楽しみ方

中村さんが現代美術に足を踏み入れたきっかけはオノ・ヨーコ。学生時代にザ・ビートルズを愛聴する中で彼女の作品と出会い、学校で教わるような美術と一線を画するファインアートの世界に衝撃を受けたことが原体験だといいます。世界中を旅していた20歳前後は、フリー・アワーやドネーション・デイを活用して各地の美術館を歴訪し、さまざまなアートと出会ったそうです。

好きなアーティストを尋ねると、レアンドロ・エルリッヒと即答。金沢21世紀美術館に設置された《スイミング・プール》が有名です。「彼の作品は、自分が見たことのある景色の錯覚を誘発する。既視感みたいなものを美術にしているところが面白いんです」と語ります。

美術展に行く前には「予習をしない」という中村さん。アートを楽しむためには知識が必要、と固定観念を持つ人も少なくないですが、自然を見て「草花がきれいだな」と感じるように、アートに対しても直感的に向き合うことを勧めていました。

「(美術展は)全部の作品を見なくてもいい。順番に見なくてはいけないと思っているかもしれないけれど、気に入ったものがひとつあれば十分だと思います。自分が好きだなと思えるものに出会えて、後々までその体験や感動を思い出せることが財産」(中村さん)

「旅」で感じたエネルギッシュでエキサイティングな体験を生活に持ち込む

編集長・柿内は、このイベントのテーマである「SINK」に立ち返り、その意味を「自分がどうやって何をやるか、そのきっかけや判断軸になるのが、心の波紋の底に沈んでいるSINKだと思うんです」と説明しました。

中村さんのSINKは「旅」、20代の頃に体験したバックパッキングだといいます。旅には往々にして「真っ白な一日」というものがあって、食べるものや行き先、すべての選択が自分自身に委ねられます。まるでRPGのコントローラーを握るような日々は、とてもエネルギッシュでエキサイティングな体験として中村さんの印象に強く残っているそうです。

日本で暮らす今も、中村さんはその経験を自分の生活に取り入れる方法を模索しています。10時からの打ち合わせには何を着ていこう、どんな交通手段で行こう。決められた一日を歩んでいない、すべてのことは自分自身で変えられるという実感を大切にする姿勢には、旅で得られたSINKがまるで残像のようにリンクします。

根拠はないけれど確信する、SINKの源にある「エピファニー」

一方、柿内はMoMAにあるイザ・ゲンツケンの《Rose Ⅱ》を自身のSINKに挙げました。初めてNYに行ったとき、ニューヨークのビル群の中にまっすぐ伸びる巨大なバラを見上げた瞬間、「これは私だ、これになるんだ」と直感的に思ったそうです。大都会の中で強くしなやかに佇むバラ。脳裏にくっきりと焼き付くその姿を思い出せば、いつでも背筋がシャンと伸びるような気がします。

Photo by Naomi Kakiuchi

このエピソードを聞いて、中村さんは「エピファニー(epiphany)」という言葉を紹介してくれました。エピファニーを辞書で引くと「突然のひらめき、直感的な真実把握」とあります。予備知識も根拠もないけれど信じられる直感的な悟り、とでも言えるでしょうか。大きなバラのモニュメントを見たときの「これは私だ」という衝撃的な直感、それはまさしくエピファニーといえるのではないでしょうか。

日々心や身体のどこかに蓄積されている、言葉で言い表せない抽象的なものたち。それが突然リアルな事物として目の前に現れたとき、エピファニーが発動するのかもしれません。「その幸福度といったらもう、半端ないですよね。だからエピファニーという言葉が僕はとても好きなんです」(中村さん)

改めて問う、あなたの「SINK」は何ですか?

このイベントのモデレーターを務める「もっちー」こと倉持裕太(ILUCA magazine 編集)のSINKは「キース・ヘリング」。山奥にあるキース・ヘリング美術館を訪ねた日のことを挙げました。初めて行った美術館だったということ、パートナーとの旅行ということも相まってその体験は強烈に記憶に残り、アートに対するイメージが大きく塗り替えられたといいます。

会場の参加者にもどんなSINKを持っているか投げかけたところ「DIC川村記念美術館の建築」「せんだいメディアテーク」などの答えと思い入れの深いエピソードが返ってきました。それぞれに忘れられない光景や圧倒された体験があり、日々の生活や心の波紋と結びついていることが分かりました。

心の奥底に沈むものをすくい上げて共有する、このイベント自体も珍しい体験だったのではないでしょうか。穏やかながらも味わい深い夜でした。

イベントの模様はグラフィックレコーディングでもまとめていますのでご覧ください。ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました!

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▼ 会場提供・協力
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TURN harajuku(運営:株式会社それからデザイン)
■TURN harajuku:https://turn.tokyo/
■株式会社それからデザイン:https://www.sole-color.co.jp/

Text by Rumi Yoshizawa
Photo by Yuta Uehara
Graphic recording by Karin Inoue