カントリーマアムを焼いて食べると美味いぞ

「カントリーマアムを焼いて食べると美味いぞ。」

かつて部活の激励会でそう言っていた数学の先生が亡くなられた。およそ1ヶ月前くらいのことだ。自分にとっては二年間数学の担当だったり、部活の顧問を三年間してもらっていたのでお世話になったものである。若くて身近な人が亡くなることをあまり経験したことがなかったため訃報を聞いた直後はとても驚いた。

高校生活ももう遥か昔のことのように思い出される。しかしながら訃報を聞いた直後に今回のタイトルのカントリーマアムのことが一番頭に残っていたからかすんなり出てきた。数学の授業のことでも、部活の試合の時のことでもなく、なぜ激励会のワンシーンなのだろうか。あのとき結局、自分はカントリーマアムを焼いて食べたのだろうか。思い出せない。なぜここまで印象に残っているのかは謎のままだ。

おそらくこの先生の死を知っているのは自分だけだろう。そしてカントリーマアムを見るたびに思い出すのだろう。先生のことを。

今度焼いて食べてみようか。

きっと美味しいと思うから。


この文章は三年前に書いたものだが下書きに残したままで公開はしていなかった。

人の死をSNSに書くのは抵抗があった。フィクションなら死をいくらでも書くのに抵抗はないが、ノンフィクションになると途端に怖くなる。

話は変わるが今月の頭からバイトを始めた。想像以上に忙しく、帰ってきてもぐったりと疲れてしまい生産的なことは何もできていない日々が続いている。やっていることはといえば押見修造の漫画をひたすら読んでいるくらいだ。

バイト先ではたまたま高校の時の部活動のマネージャーの母親が働いていた。
田舎社会だと奇遇とも言えないが、よく話しかけられるので、歯切れのない曖昧な返答をするだけで誤魔化している。僕は同級生に現時点の状況を生存を確認されたくないのが本心にあるのだろう。
そんなことを思い、ため息をつきながら、(高校の部活動か。もう後、二、三年で十年前になるな、、あ、顧問の先生。〇〇先生そういや久し振りに思い出したな。)
と思ったのが今週のことだ。

偶然にも弁当のおやつにカントリーマアムが入っていたのは、なんの因果なのかはわからない。

しかし僕の心の中ではまだ先生は生き続けていた。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?