僧侶的2

2そもそも健康とは ―霊性(れいせい)[spiritual スピリチュアル]も健康の定義-

■僧侶的「身心一如」健康考 ―僧侶とはこころとからだの導師である―

2そもそも健康とは ―霊性(れいせい)[spiritual スピリチュアル]も健康の定義-

◎仏教の教えとは、幸福と安寧を目指すもの。ある意味こころとからだの本質的な健康への指針を導き示す教えです。その前提となる健康の定義を紐解いていくことで、目指すべき僧侶像や寺院の役割の一端が見えてきます。

〇健康の定義
 人間の健康を基本的人権の一つと捉え、その達成を目的として設立された国際連合の専門機関であるWHO(世界保健機関)では、機関憲章前文に於いて、健康をこのように定義しています。
「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 」
「訳:健康とは病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」
前文は以下に続きます。
「The enjoyment of the highest attainable standard of health is one of the fundamental rights of every human being without distinction of race, religion, political belief, economic or social condition.」
「人種、宗教、政治信条や経済的・社会的条件によって差別されることなく、最高水準の健康に恵まれることは、あらゆる人々にとっての基本的人権のひとつです。」
 この後に書いてある前文を要約すると、健康は世界平和と安全の基礎であり、個人と国家の協力、さらに互いに他の国々と協力して目的達成を目指すと書いてあります。
 つまりWHOでは、健康とは、個々のこころとからだが満たされることです。その為には差別なく暮らすことができる社会を形成していくこと。個人と社会が両輪となりこの世界に健康という状態を進めていく。それが世界平和と安全を築く源とであると言っているのです。

〇定義に加えられる提案をされた2つの単語
 実は1999年に憲章前文に新たに2つの単語を加える提案がなされました。
 その言葉とは[dynamic ダイナミック]と[spiritual スピリチュアル]です。
 1つ目の[dynamic ダイナミック]は柔軟性、関わり合いと訳されます。2つ目の[spiritual スピリチュアル]は霊性と訳されます。
 2つの単語を入れた記述案はこちらです。
「Health is a [dynamic] state of complete physical, mental, [spiritual] and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」
「訳:健康とは病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、[霊性的にも]、そして社会的にも、すべてが[柔軟に関わり続けながら]満たされた状態にあることをいいます。」
 現在この2つの単語を入れた定義は未だに審議保留のままだそうですが、それは必要ないからではなく、入れなくても当然保証すべきものなので入れていないだけだと言われています。

〇霊性[spiritual スピリチュアル]とは
 特に霊性(れいせい)[spiritual スピリチュアル]は、様々な解釈がなされる言葉です。個人的な安らぎや、人生の目的、他人とのつながりの感覚、人生の意味についての信条といった、奥深く、しばしば宗教的な感情および信念と関連があります。
 日本で使用される場合、主に次のいくつかのグループに所属する方々の用法とされることが多い言葉です。
1.医療・福祉・教育・心理療法など広義のヒューマンケアに関わる人々で、霊性の実践的重要性を重視する人々。
2.従来の宗教概念では捉えきれない現代社会の現象を霊性という理論的分析概念で読み解く宗教学者
3.従来の宗教に替わるような新しい自己=霊性探究の運動における一種のスローガンとして用いるニューエイジや新霊性運動の主唱者。
 これら各グループの使用する霊性の概念は、それぞれかなり異なり、他の概念を敬遠する傾向もありますが、唯一宗教という概念がどのグループにも関連し存在しています。
 禅を欧米に広めた鈴木大拙は著書『日本的霊性』の中で、「宗教意識は霊性の経験であり、霊性に目覚めることによって初めて宗教がわかる」と述べています。この場合の霊性とは、特定の宗教に根ざすものではなく、精神の在り方のひとつとして述べたものです。鈴木大拙はさらに「精神と霊性は違うものであり、精神は論理性があるが、霊性はそれを超越しており、精神は分別意識を基礎としているが、霊性は無分別智である。精神が物質と対立して、その桎梏(自由を厳しく束縛するもの)に悩むとき、自らの霊性に触れる時節があると、精神と物質の対立相克の悶えは自然に融消し去るとし、これが本当の宗教である」と述べています。
 霊性とは、いわゆる我々が有している肉体的、精神的なもの、いわゆるからだとこころを超えた、「私」という存在そのものの尊厳性を表すものであると言えます。WHOが使用している霊性[spiritual スピリチュアル]は、「生きているという尊厳をおのずから本質的に認め、全ての存在との関わり合いの中で深い満足感を感じ続けている、全人的な存在であり状態」なのです。

〇ほとんどの催しは、特定の宗教に根ざしたものである。
 よくイベントなどで「この催しは特定の宗教に根ざしたり、布教をするものではありません」などと書かれていることがあります。僧侶はここで「特定の宗教」というところにどうしても躊躇してしまい、思い切ったイベントを打ち出せないと考えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。精神医療、心理、ボディワーク、芸術そしていわゆるスピ系と呼ばれるものであれ、特にこころを扱ったイベントは、例えば趣旨が、宗教性がないと思われるこころの安楽や癒しであったとしても、全て霊性に触れております。それはすなはち宗教性に触れているということでもあります。そして既存宗教でない個人や団体がイベントをしているとしても、霊性を引き出して行っているイベントは既に宗教性を伴っております。ある意味、意図はなくてもその個人や団体は「特定の宗教」と言えますし、「布教している」ともとれるのです。

〇僧侶が宗教を伝える注意点
 ですので、特定の宗派に所属する僧侶や寺院は、各宗派が大切にしている思想や儀礼、実践を、霊性(れいせい)[spiritual スピリチュアル]を伴いきちんと伝えていくことを躊躇する必要は一切ないのです。
 よく僧侶が伝える仏教イベントで、各宗派の実践を切り取り伝えるだけで、宗教心をできるだけ伝えないようにしているもの。また寺院を何らかのイベントに使用する場合で、宗教的目的なくただ人を集めるために利用しているものも存在しているように感じます。それでは仏教の本質を伝えることができませんし、自分の所属している宗派を尊重していないことにもなります。それは個々の幸せと健康。その広がりによる世界の平和を築くという仏教の本意に反しているものです。それは僧侶としてやるべきではないことだと思っております。

〇僧侶は健康とどう向き合い伝えるか
 僧侶はWHOでも認められる健康への導きである霊性(れいせい)[spiritual スピリチュアル]を扱うプロとして、まずは僧侶自身が教えや実践を通じ宗教的智慧の深化を図ることで本質的な健康を築くことが大切です。そして伝えるにあたっては培った自らの霊性を伴った教えや実践丁寧に一般の方に伝えていくことが必要なのです。それが宗派、布教という概念を超えて、僧侶が他者の健康を導く存在となっていくことなのです。また、寺院は僧侶の霊性を深めた形で利用されることとなって初めて万人の霊性を伴った本質的な健康を高める場所となるのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?