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ウルトラマンブレーザー最終回感想

興奮と感動が冷めないうちに書きつけたメモのようなもの。

ウルトラマンブレーザー最終回、シリーズを通して徹頭徹尾「コミュニケーション」の話をしていたのだなということが際立つものであった。

四半世紀前、最初のV99襲来時に撃墜してしまったことから異星人との遺恨は始まっていた。1999年というのは世紀末思想やノストラダムスの大予言に代表されるオカルティックな言説がまだ根強く残っていた時期で、現代的なコミュニケーションやネット世論なんてものも無く、現代も大概だがそれ以上に「野蛮な選択肢」の方が多い時代。

それからしばらくして、墜落した宇宙船から得られた技術がために、ウルトラマンブレーザーがゲントに宿り、人類はアースガロンとそのAIを獲得した。
そこからV99との対話を持てぬまま宇宙怪獣の襲来と迎撃を繰り返し、
凶悪な宇宙怪獣ヴァルロンを送り込まれ、月軌道を横溢させるほどの破壊力を目の当たりにするに至り、地球人が過去の過ちを見つめ対話を望んだことでV99は帰途に付いた。

この対話についても、これまで今ひとつ戦績を上げられていなかったアースガロンがキーとなり、ウルトラマンブレーザーとともに武装解除することでV99はもちろんのこと、宇宙へとミサイルを向けていた世界各国の防衛組織にも、真意を伝えることとなった。

結果「それはそれとして」地表に降りてしまった宇宙怪獣ヴァルロンは野放しになったので最後のカタルシス・シーンへと繋がる。
これまで人類の脅威となるや駆除されてきた地球怪獣たちも自らのテリトリーを守るために有機爆弾を捕食した。彼らとはごく一部のエピソードを除いては日常的な対話はまったく成り立たないが、同一の目的において干渉をしない範囲でなら見かけ上で共生に至る可能性はある。(タガヌラーはよく頑張った)

ゲントの手腕にある、息子から託された腕輪や婚約指輪がそのままブレーザーの腕にも輝き、家族の絆というもの(家族は社会、すなわちコミュニティの最小単位である)への理解を得て、
ブレーザーはスペシウム光線(実際は腕輪や指輪、変身アイテムが左腕に装着されているので、スペシウムとは左右が逆)を会得し、アースガロンとともに脅威を撃破。

引き続き、怪獣の脅威に晒される日々は続くが、
ゲントがマイホームへ帰ることで、平穏のエンディング。

瀕死だったウルトラマンブレーザーが、ゲントに対して初めて言葉にした「オレモイク」は、シリーズ開始初期から任務の単独遂行を望むゲントの口癖だった「俺が行く」を理解して真似たものだが、シリーズを通して互いに対話を試みるも共通言語を持たないがために確信が得られていなかった「コミュニケーション」の疎通を、感じさせるものだった。

都市部のピンチに駆けつける各地の航空部隊班も「どれだけ恩を売ってるんですか」というセリフに表されていたが、これもゲントによる過去のコミュニケーションの積み重ねだ。

かつて四半世紀前にV99を迎撃してしまった当時の長官職ドバシも、当時としてとれる手段をとったに過ぎず、それが現代において過ちであったのならと、固執を捨て解決を若いものに譲るに至ったのも、この世界の「未来」を感じさせる良いシーンであった。
立場のある人間が、すべきことをする。そこに歴史的な回顧や反省は生じても、人類のために必死であったという点に嘘偽りは無い。そこに人間の歴史をどう捉えるかという世界観を感じられる。

ウルトラマンの世界は怪獣災害からの復興について語られる時間は少ない(劇として、回復の早い世界ではある)が、これから始まるのは都市の復興と引き続いての怪獣駆除であろう。

奇しくも今は2024年1月1日の能登地方を襲った大震災の直後であり、災害とは対話がなし得ない相手である。

かたや世界にはウクライナ侵攻、イスラエル紛争といった、対話やコミュニケーションを積み重ねても戦争暴力を人間が人間に対して続ける状況がある。

人類が選ばなければならない「未来」と、それにつきまとう、回復し継続しなければならない社会という現実。

ウルトラマンシリーズは、基本的には子供向け番組ではあるのだが、大人にも「それはそれとして」への対応が、未来を連綿と紡いでいるのだということの意義を考えさせる内容であったと思う。

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