乳首はUMAだ

突然ですが皆さんは乳首の存在を意識しながら生活していますか?
私はとてもとても意識しています。何故なら、自分の乳首を知らないからです。

そう、私は自分の乳首を知らない。
それはもう、記号で言うならΘ(シータ)のような陥没乳首だから。

————思えば、25年。乳首とは縁もゆかりもない人生でした。

他人と風呂に入るのも苦手なたちでしたので、中学生くらいまで同年代の女性の乳首の発達について知らないまま生きてきました。
(※小学生くらいの頃、乳を見たはとこに「身体なんか変!」と言われたことはありましたが、確信には至りませんでした)

おまけに少年漫画が好きな子どもだったものですから、不自然に湯気で乳首が隠れている事にも慣れ親しんでいたわけで。
つまり周りも自分と同じように、胸にΘを抱えているとばかり思っていたわけです。
とんだ井の中の蛙でしょう。私は世界に守られて生きていました。

……この年頃、修学旅行中も生理だと嘘をつき、室内のシャワーで入浴時間をやりすごした事が成人した現在にまでたたっています。
私は乳首が恐ろしいのです。

乳首ってどんな姿をしているのか?
乳首が固くなるという表現を耳にしますが、折れたりはしないのか?
そもそも下着で締めつけられて乳首は窮屈ではないのか?
なんで少年誌等では乳首のみ隠せば規制されるべきラインにはならない、という暗黙の風潮があるのか?
隠されていれば許されるという事は、乳首は乳房の主役なのか?
その乳房の主役がない私は一体なんだろう?イチゴのないショートケーキみたいなものなのか?

今年で25歳になりますが、いつだって中学生・からだのお悩み相談室のような事ばかり考えながら生きています。
ちょうど生きる意味や、死の恐怖……そういったものを考えるくらいの頻度で、乳首に想いを馳せてしまうのです。

乳首との因縁はそれだけではありません。

幼稚園児の頃、父の部屋に転がっていた「殺し屋1」という漫画を盗み読んだ事が、おそらく乳首との因縁の幕開けだったのでしょう。
うっすらとした記憶ですが、その漫画には女性の乳首が日本刀で斬り落とされるシーンが存在しています。
その時、幼い私は思ったのです。
「自分もお母さんみたいに乳首が伸びたら、乳首を斬られちゃうのかな……それは嫌だな……」と。

……そうして私は、一人前の乳首を持たぬ者でありながら、人一倍乳首を意識して生きています。

例えば、父の乳首が気になって気になって仕方ありません。乳首のない娘とは裏腹に、父の乳首はうぐいす豆のように立派です。
父はよく薄いタートルネックの上に、スカジャンのような上着を纏います。
それでも彼の乳首は主張を止めないのです。

そしてそれを見て、心が弱っている時は少しだけ泣くのです。
それが「俺は一人前の乳首を持っている一人前の人間の男です」というアピールなのかもしれないと。

……冷静に考えますと支離滅裂としかいいようのない、滅茶苦茶な考えです。
ただ、その瞬間は驚くほど本気なのです。
誰かに対して憎しみを持たなければ堪えられないくらい、乳首との確執は深く根深いものとなってしまったのでしょうか。
その答えはいつか訪れるかもしれない、自らの乳首と初めて邂逅する瞬間にしか、分からないのかもしれません。

さて——ここまで文章を読んでくださり有難う御座います。
同じく陥没乳首である方は……阿呆な同志が居るのだな、と。
陥没乳首の存在を知らなかったという方は……そんな目で見られてるのか、と怯えてくださっても結構です。

普段しらっとした表情で生きている人が、こんな事を延々と考えているかもしれない。
だって乳首がある人も、普段は「乳首なんてないですよ」って表情で皆しらっと暮らしていますもの。
そりゃあ、乳首無き者も普段はその本性を隠しているわけです。
能ある鷹は爪を隠す。乳首無き者は乳首持つ者への憎しみを隠す。
……そんな事もあるかもしれない、こんな阿呆もいるかもしれない。
そうやって少しでも面白がってくだされば、一人前の乳首持たぬ者も嬉しいです。

【追記】26歳

先月生まれて初めて一人で健康ランドに行ったんですが、人間の乳首を確認した途端怖くてたまらなくなり、岩盤浴のみで帰ってきました。呪いはまだまだ解けそうにないです。

【追記2】27歳

先月無料で何話か公開してたBLEACHを読んだんですが、急に兕丹坊の乳首が出てきたショックで食欲を失い、少しだけ痩せました(今はもう戻っています)。


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