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繋がって深める。

三島市にあるCRY IN PUBLICへ行った。ここに来るのが目的というわけではなかったのだけど、三島に用事があり近くにある面白そうなお店ということで立ち寄ったのだ。zine(小規模な出版物・同人誌)を中心に扱うスペース兼リトルパブリッシングというくらいの予備知識しかなく入ったが、すぐにここが特別な場所なのだなと理解した。それほど広いお店ではないその一角を使ってオーナーたちが個人的に買い集めたzineが誰でも手に取れる図書館(その名もzine library)のようになっていた。最近のものも含まれれば、90年代後期のアメリカで10代の少女たちによって作られたD.I.Y.を地でいくパンクな冊子たちも同列に並べられている。私家版の作品集や個人編集の雑誌的なものとしてハイセンスなものが溢れている最近のzineとは異なる、手書きあるいはタイプライターで打ち出したものの切り貼りによる誰かと繋がりたい!私はこれをしたい!と声が聞こえてきそうな初期衝動の塊たち。紙も製本も立派でなくて不格好だけれどもそれらはとても輝いていて、ファンジン(90年代当時日本ではこう呼ばれていた)を作っていた頃の自分が重なる。三島でこんなお店に出会えるなんて夢にも思わなかった。


CRY IN PUBLICは90年代ワシントン州オリンピアの代表的音楽レーベルとも言えるKill Rock Stars(現在はポートランドだそうだ)のマニフェストからの一節から名付けられたということだ。公共に叫べ!とは実にいい名前だ。当時のKレコーズやKill Rock Starsらオリンピアのシーンを高校生の頃に追っていたことがある。大学の入試に小論文があって僕は「ライオットガールと草の根文化」という新しいフェミニズム運動をテーマに書いた。おそらく今読めば稚拙なものであろうことが想像に難くないが、単に男性が女性に置き換わるだけの拳を振り上げるような運動ではなく、女の子であることも楽しんでいることが今までと違うと説いたように憶えている。性差だけでなく文化的にもマイノリティであるアメリカの10代の少女たちがバンドやファンジンを通してネットワークを構築し自分たちの居場所を作るような運動であったのだと思っている。


高校生の頃、僕のヒーローの一人にKレコーズオーナー、キャルヴィン・ジョンソンがいた。彼は90年代の前半までビートハプニングというバンドを組んでいて、Lo-Fiミュージックの先駆けだとも言われている。ヘロヘロなギターとヘッポコなドラム、ヨレヨレのボーカル。とにかく下手である。練習より先に自分たちの曲を、音を奏でる。もちろん今なお数多くのミュージシャンがカバーして有名なIndian Summerなど名曲もあるが、首をかしげるものも多い。彼らに勇気づけられてギターを手に持ったキッズも多かっただろう。彼の功績はそれまであまり知られていなかったようなイギリスのインディーバンドをアメリカに紹介し、両国のインディーミュージックの橋渡しをしたことが大きい。彼がいなければカート・コバーンは生涯で3曲もカヴァーしている大好きなヴァセリンズを知ることはなかったかも知れない。


一人の天才が作る発明のような音楽も好きだけれども、いくつもの普通のバンドが交流しながら深めていったシーンというものにどうも昔から惹かれてしまう。それは音楽だけでなくその裏にあるカルチャーやストーリーに魅力を感じているからなんだろうな。上手い下手を気にする前にどんどん世の中に自分の作品を発表していったら何かしら起きるかも。


※この文章はル・プチメックのWebサイトに連載した「片隅の音楽」をアーカイブしたものです。初出:2017年3月


Beat Happenig 「Black Candy」(K Records/1989)

Kレコーズを主宰するキャルヴィン・ジョンソン、ブレント、ヘザーの3人によるバンドの3rdアルバム。前年のイギリスツアーの影響からかC86、アノラックという当時のシーンの音楽的影響も見受けられる。曲が聴きやすくなりキャッチーなメロディが耳に残る。

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