見出し画像

大人になれば。

最近知ったのだけど、インディーミュージックのデジタル配信やCD/LP、グッズ販売をしているBnadcampがアメリカに実店舗を構えたそうだ。レコードの販売やライブイベントが出来るようなファンの交流の場を作りたかったということだ。インターネットの登場によって便利な時代になり、自分の好みの音楽やカルチャーを探すことが容易になった。一方で現時点では自分の価値観の外にある本当は好きかも知れないものに出会う機会は失われているのかも知れない。僕はその両方が必要だと思っている。自分の好みでフィルタリングでクリーンな世界は効率よく自分のコアな趣向を満たすけれども、それ以外の世界も知っていることが文化を豊かにすると考えているからだ。


railとは名古屋の上前津にあった輸入レコード屋なのだけど、ここもまた他のレコード屋と大きく印象の違う店であった。初めて訪れたのは1993年、僕が高校2年生の頃だ。今では珍しくもないがモダンなカフェのような真っ白な店内に

、三方の壁面だけにレコードやCDがギャラリーのように陳列されていた。お店の中央には何もなく本当にサロンというか人との交流のための空間だったように思う飲食など併設していたらきっと昼から夜まで入り浸っていただろう。僕も含め当時10代や20歳前後だった名古屋の音楽好きにとってrailで知ったものがどれほど教科書のようなものだったろう。リアルの場の良いなと思うところは、ノイズが混じることだ。自分の価値観にそれほど無かったものが目に入ってくる。音楽ライターになりたかった僕が、20年後グラフィック・デザイナーとして食べているなんて当時の僕は想像も出来ない。


僕がグラフィックデザインに興味を持つきっかけになったのは、当時BANANAFISHというレーベルをやっていた伊藤敦志さんの存在が大きい。当時僕はミニコミをやっていたのだけど、それはデザインに無頓着であった。当時railという僕が入り浸っていたレコード屋で、店主の加古さんに紹介してもらったか話を聞いて知ったのだと思う。それから間もなく当時僕がやっていた音楽ユニットのジャケットデザインを伊藤さんにお願いした。1996年か97年の事だ。伊藤さんからあがって来たデザインはカンプと2枚の印画紙に出力されたモノクロの版下。これを印刷屋に入稿し色指定をすれば2色刷りのカラー印刷になるよと教えてもらった。僕にとってこの印刷体験は結構大きなもので、印刷の仕組みをなんとなく理解し好きな雑誌やポスターなどもこうやって出来ているのだと興味を持てたのだ。


その伊藤さんがデザイン業の合間にパーソナルワークとして描き下ろしたコミックが発売される。漫画といってもとてもグラフィックデザイン的で洗練された作品だし、かと思えば藤子F不二雄作品のように人懐っこい物語性も持っている。とても素敵な本を出版されたものだと嫉妬してしまう。しかし友人であり越えられないデザインの先輩が、こうやって自分の前を走り続けてくれることは本当にありがたいものだ。自分の歩む道の先がまだあることは精神的に安心できる。僕もまだまだ先に進める余地があるということだから。初めて接したグラフィックデザインをしている人が、ずば抜けていたセンスのある人だったことは、その後の僕のデザイナー人生で幸運なことだったなと今も良く思う。


※この文章はル・プチメックのWebサイトに連載した「片隅の音楽」をアーカイブしたものです。初出:2019年6月


https://itoatsushi.stores.jp

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?