見出し画像

何をもって雑草と呼ぶのか?

おは大福、ひる大福、よる大福!

5月だったか、6月だったかのできごと。私のよく通る道にはかなり大きな空き地がある。
私がそこで見たものは、小さな小さなピンクの花が一面に咲く花畑だった。
ここはヴァーチャル現代の日本の何処か。でもその空き地だけはまるで絵本やゲームの世界のようだった。見渡す限り一面に花なんてタダで見れるものじゃない。それも、こんな誰かが作ったわけではない、自然の花畑となれば金を払った所で見る事は叶わないのでは。名前もわからないこの小さなピンクの花たちは、ドクダミの様な地面の下で根っこを増やして根性で増えたのか、零れ種で毎年増えているのかは私にもわからないけれど…私にとてつもなく大きな幸福感を齎してくれた。

しかし、何故なのか。散歩しているご老人も、ありとあらゆるものを嗅ぐ趣味のある犬も、遊びたい盛りの子供も、疲れた大人も、誰一人としてその花畑に見向きもしない。それは貴方達からすればただの雑草だからか?では何故ネモフィラをこぞって見に行く?
いや、それ自体は私だってやりたい、悪い事だとは思わない。そうじゃない、こんなに美しく咲き誇っていようと、空き地一面を幸せで埋め尽くして居ようと、気付きもしない、見ようとしない。

それはまるで、我々個人Vtuberのようで。雑草の花畑と我々はあまり変わらない気がする。毎日全力で作業して何かを生み出し、最高の作品を日々生み出していると私は思っている。ほかのVtuberだって同じだと思う。同業者の頑張りを見て、自分だって負けてはいられないと思うし。私の依頼に全力で応えてくれる人々のお力を借りて私はこうして歌ったり、話したりしてる。皆様に癒しを届けたいと思い、試行錯誤をしている。

しかし、有名じゃない物に興味のない、そもそも存在に気付かない人間はこの世界に沢山いる。一定数どころか、その方が多いんじゃ無いか?
ボカロ曲で例えるなら、10万再生くらいされてる曲じゃ無いと聴いたことがない、とか。ありがちだし、私だって幼い頃はそうだった。
ただ与えられる、流れてくる流行というものに乗っかり、それを食し生きていた。
空き地の花畑に気付いたのだって、ここ一年で私が花の世話をするようになったからだ。そうやって、何かをすることで視点は増え、視野は広がり、人生は潤っていく。

私は、私という花畑を見つけて、30秒でもいい、足を止めて素敵だと眺めてくれる人と共にありたい。

ではでは、おつ大福〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?