日常を意識する

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昨日から中島岳志著「リベラル保守宣言」を読んでいる。

しばしば誤解されている保守について書かれた良書。

一見対立関係とみなされるリベラルと保守が実は親和性があるという観点からこの著者はエドマンドバーク等の保守の大家の言葉を引用して人間を抽象的・無限な存在ではなく、歴史や伝統の積み重ねによって規定された不完全で有限な存在ととらえる。

だからこそ、自由も歴史や制度によって規定された社会的なもので決して身勝手で利己的なものではないと。

その上で保守というものは、そういった人間や自由の有限性というものと向き合い続け、革命や反動といった極端さや熱狂の最中にあっても、冷静な思考をし続けるといったバランス感覚を大切にすることに本質がある。

だからこそ自由と保守は繋がっているのだと。

まだ途中までしか読んでいないが、そんな感じの内容だったと思う。

確かに、社会が成熟し、いろんなものが機能不全に陥っている今の日本で生きていれば、人々の中にこの停滞感を洗い流してくれる英雄を求める気持ちが高まる。


橋下元大阪市長やホリエモンがウケるのも、彼らの能力の高さだけでなく、彼らのいいきるスタイルが頼もしく見えるという大衆の英雄願望もあるのではないかと思う。


でもその先にあるのは、熱狂と破壊であり、真の解決はない。
この本はそんなことを教えてくれる。


個人的に印象的だったのは、小林秀雄と福田恆存の伝統に対する見方。

例えば日頃当たり前だと思っていた夫婦同姓が欧米から夫婦別姓の考えが入ってきた時に初めて自分達は夫婦同姓の意義について考える。


ここで自分が出会うものは夫婦同姓そのものというよりもそれを媒介とする精神の形としての日本にとっての家制度や場という伝統だったりする。

つまり、伝統というものは日常で暮らすだけでなく、なにかをきっかけとして伝統とは何かという問いを発するところから芽生えるものだと。

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それは仕事についてもいえると思う。

今まで当たり前だとされてきた業務を意識的に見て、果たしてこれは本当に必要なのかと問いかけることは、業務の質の改善に必要な観点だと思う。

そうやって残ったものの中に、その会社の強みが隠されていると思うのだ。


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