防犯・防災の前に立ちはだかるもの


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昨日、「ウトヤ島,7月22日」という映画を観た。
70名以上の犠牲を出したノルウェーのウトヤ島で実際に起きた極右によるキャンプ中のノルウェー労働者党青年部に対する無差別殺人というテロ事件を被害者の視点で描いた作品。

屋外にテントを張って、外で和気あいあいと政策論争をする左翼系とおもわれる党員の若者逹のところに警察の服を着た移民受け入れを反対する極右団体員逹がピストルを乱射しながら乱入する…。

極右がいけないとか移民政策の妥当性だとかヘイトスピーチがどうとかいうつもりはない。
それぞれがそれぞれの立場で主張すればいいと思う。

でも、どんな理由であれ、それをテロという暴力で訴えるのは最低だと思う。

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それはそれとして、この映画は、実際にウトヤ島で起きたテロ事件を被害者の証言や事件記録も踏まえて犯行時間やシチュエーションを可能な限り、正確に再現して、被害者のとある女性の目線にカメラをシンクロさせる形で構成されている。

警備業者である自分として、個人的に着目したのは、事件の始まりの部分、党員逹がピストル音を聞いても、反応しなかった部分。

やがてピストル音に悲鳴が聞こえ出し、他の党員が森の中に一目散に逃げるのを見て動き出している。

災害でもそうだが、こういった普段ありえないことが起きる時、その渦中にいる人達の意識に常性バイアスが作用する。

それが初動対応の遅さにつながり、被害拡大につながる。

同じようなことは東日本大震災の津波被害の場面でも見られたという。

生真面目に日頃の訓練通りに山に逃げた児童生徒達は助かり、それを他人事のように傍観していた近所の中高年やご老人方は波に飲まれ、残念なことになったという事例も聞く。

もちろん、この映画は孤島での犯行、参加数も700名を超える大所帯なので早く気づいたとしても、被害を防ぐことは困難だったのかもしれない。


社会生活を円滑にするために危険に対し、鈍感になるという人間の進化の過程で身に付いたバイアス(偏見)。これが社会の安定に寄与する側面はあるものの、非常時においてはそれが致命傷となる。

防犯・防災とはこの正常性バイアスとの戦いといえる。

この人間内部に存在するものに対処するためには、みんなが正確な情報に素早くアクセスできる環境を作ったり、いざという時に協力し合える人間関係を作る仕組みを自治体レベルで形成する必要はあると思う。

それとともに常日頃から訓練をするだけでなく、それとあわせる形で正常性バイアスが起こす被害事例を学校や職場で教育する試みが必要だと思う。


そうやって常日頃から正常性バイアスを意識していれば、例えばこの映画でいえばキャンプ場所の選定も含め、もっと予防対策を取れていたのかもしれないし、この場所を選んだとしても、テロが起きることを想定して、逃避場所の選定や、警察と問題意識を共有した上での連絡体制、それに民間警備員を雇うなどもっと考える事が出来たのかもしれない。

正常性バイアスによる被害拡大はこの事件だけでなく東日本大震災を始めとする災害にも大きな問題となって自分たちの前に立ちはだかる。

今日はその東日本大震災が起きた3月11日。この震災〜津波の教訓を決して忘れてはいけないと思う。

警備業者的にそういったことを考えさせる作品で意義があったと思う。

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