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埋もれ、芽吹く、ヒヤスンス=希望のスンス、私の場合。

昨年ヒヤスンスの球根を3つ買って、2つは空き瓶で水耕栽培し、ひとつは鉢に植えて楽しんだ。
花の植え替え時がわからない性質で、整然といつでも華やかな花壇を手に入れたこともないし望んだこともない。盛りの花や季節外れの萎れた葉、落ち葉や雑草が雑然としている様が好きなので、花の終わった球根を掘り出しもせずそのまま置いていたら寒くなるとちゃあんと芽吹いて小さな花芽まで出てきた。

名も知らぬ草や枯れ葉とならんで伸びる濃い緑の葉が鮮やかだ。
横浜の片田舎の建売住宅の小さな庭の片隅の粗末なブラ鉢の中で、映えとは程遠い眺めだけれど私の目にはなぜかとても神々しい。

夏の間、元気に咲く勝手生えの朝顔や夏野菜の青々と瑞々しい葉を尻目に、しーんと黙って埋もれていた、茶色くカサついたまるい球。他の鉢と並べてなんとなく水をやりながらなんとなく一年を共に過ごして、ある日不意に訪れた眩しい芽吹き。

憧れや期待を伴わず、不意に勝手に輝き出す。待ちに待ったりせず、自然と当たり前に時を経て芽吹く。これこそが、いま、私の知る幸せの形。

なにか手に届かない憧れに向かってジタバタするのが努力だと信じて頑張っていた私。いつでも辛い、何をしていても辛い、でもここを抜けたらきっとなにかあるはず。そう信じていた私。

抗って抗って抜け出そうとするより、ただ身を任せ流されてよいのだよ。芽吹くかもしれないし芽吹かないかもしれない。どちらも同じ、そこにある。

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