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夢の話はなぜ面白いか

1977(昭和52)年 5月『健康』月刊健康発行所、大阪

夢の話はなぜ面白いか    作田啓一

 夢の話はたいがい面白いもので、時には芸術作品に接した時のような感動を経験することがある。それは一つには、ごく平凡な夢はすぐに忘れられ、誰かに語る時まで記憶に保存されている夢は、それだけ面白い内容のものであるためかもしれない。だがそうであるとしても、人から聞く夢の話はたいがい面白いということには変わりはないわけで、夢の話の面白さは、平凡な夢は忘れられるということでは説明できない。

 私が聞いた面白い夢の話を一つ紹介しよう。大学のような所で考古学者に出合った。彼は「考古学でも魂の研究ができるのではないか」と言う。この考古学者は自分の絵の展覧会も開く、と語る。展覧会へゆくと、そこはカクテル・パーティーの会場らしかった。この建物を出ると横の建物は美術館のようで、はいってみると、考古学者の葬式場であった。考古学者はお花の先生でもあって、弟子の若い女性たちが祭壇に菊の小枝を献じてゆく。祭壇に近づくと、そこに死んだはずの考古学者がいたので、「魂の研究を大いにやってくれ」と言うと、「魂などわかるものか」とシニカルな答えが戻ってきた。

 これは私の聞いた夢の話のうちで最も面白かったものの一つである。夢の話はなぜ面白いのか。夢を作り出すのは、大脳のうちの下等な部分である辺縁系の働きであって、そこで生じたイメージが、夢から覚めた時、高等な新皮質系の働きによって再構成される。その夢を人に語る時、この再構成は一層精練される。そこで、語られる夢は意識下のイメージと意識的な概念との共鳴の産物なのである。私たちは日常生活においては新皮質系の知能と情意と命令だけに従って生きている。つまり私たちは本能的に生きる動物の側面を抑圧して生活している。そのために私たちは生命の全体をもって生きているのだという実感がしない。夢の話が面白いのは、理性と本能が共存する生命の全体性が感じられるからではなかろうか。

 右の夢の話はある自然科学者からうかがったものであるが、この方はその後まもなく重い病気にかかられた。今はお元気になられたが、葬式の夢は、新皮質系ではとらえられなかった体内の異和感の辺縁系によるイメージ化であったのかもしれない。(京大教授・社会学)

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