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ネットライフ史

ネットの海に来るまでは、何冊も雑誌を購読し新刊をチェックし、書店を周り図書館に予約し、ビデオを借り、生きる源である好奇心を満たしてきた。ネットでそれが簡単になった。

なにしろ生身の人間が向こうにいて得意な知識を披露してくれる。まさしく知の集合体だ。
最初に行ったのはカーネーションというバンドのホームページだった。はっきり覚えてる。直枝さんの日記が載っていて嬉しかった。

ブラウザーにはYahoo!がトップに来ていたので音楽系掲示板に行ってせっせと情報を収集しているうちに音楽体験がぴったりなトピックがあったのでおずおずと書き込むようになった。ダイヤル回線でがんばった。

ある人とひとつトピックを作ることになって、メール交換をしたらどんな人かもわからなかったので怖かったけど某国立大学の法学教授だった。そういえば文章が達者で誤字も少なかった。
集まってきた人はものすごく当時も今もマイナーなアーティストのトピックなので、いかに迫害されてきたか、音源探しが大変だったか、資料がなかったかで意気投合した。(洋楽を聞く生徒がクラスに1人いるかいないかの時代)そしてみな自分だけが持っているお宝を惜しげもなく分け与えてくれた。私はなかでも年少の上一応女性だったからかもうあれこれ頂く一方でありがたかった。
そのアーティストが来日したときは全国からあつまったメンバーでオフ会が執り行われ、私も夫に子供を頼んで夕飯を作ってから参加したものだ。全国からと言っても4.5人だったが。このときが私の一番幸せなネット生活時代だったと思う。
やがて、そのアーティストのもとファンクラブ会員だという人がホームページを通じ本人の楽屋に入り込みファンジンを形成、我々トピックのとあるメンバーの言動に対してクレームをつけてきたりしたのでなんとなく熱が冷めてしまった。

ノンジャンルのトピックにも参加していてそれもそこもそれなりに楽しかったが何回かオフ会をすると、他の人の顔を見るまではとてもワクワクするのにいつのまにか疎遠になってそれぞれリアルに帰っていく。

その後、ブログの時代がやってくる。
私は書いて吐き出さないとすまないタチなのでそこでは自分の日記のように書きたいことや見せたいものを綴っていたが、わりと気に入ってくれたフレンドができてまたオフ会にいって・・・あとは繰り返し。

ミクシーは引っ越してしまったママ友との連絡用に使っていたが、足跡だのなんだのと面倒も多く、友達の友達がなにか売りつけてきたので及び腰に。
ちょうど子供らが受験期だったので、志望校対策とか覚書に使っていた。次女の高校受験の快進撃はいまでも読み返したいがたしか日記はもう見られないんだっけ。

卒業生が集うコーナーもあって女子大の同期の方と繋がったのだが日記を読んでるとどう考えても配偶者にDV受けているので一緒に色々考えたりした。
今幸せに暮らせてるかな。

小学生の頃引っ越してしまった小学校の友達とも会うことができたのはネットに感謝しかない。
卒アルには乗らないのだから昔ならそのままだったろう。
気になっていたあの人この子、だいたいのことがわかったし私のことを覚えていてくれたのも嬉しかった。

そしてフェイスブック。
ミクシーの高校の同窓会会長が熱心に誘うので登録したのだが、実名とか顔とかバンバン出してて本当に今考えると怖い。
でもそのおかげで初恋の船乗りになった図書委員長の近影も拝めたし、それはそれだ。

Twitterにも登録していたが最初はこのような廃人になるとは思わず、動画配信時代に入っていろんな恥も晒しているが、これもネットという顔の見えない世界だから。

良い面ももちろんあるが、リアルではこんなこと絶対に言わないことをいい、絶対にやらないこともやりがち、こわいところだと肝に銘じなければならないとつくづく思う。







6月21日追記
女子大の同期のDV夫からの逃走劇は今では家庭内暴力や人権侵害が問題となることも多いので書き足しておきたい。

彼女は多くのmixi会員にあいさつを送り、フォロワーを何百人も抱えアップアップしているように見えた。
どう考えても異常な数の人数だったから気になっていた。
日記を読んでいると、2人のお子さんの進路、姑さん、夫の話が中心であまり自分のことは語らなかった。

そのうち姑さんと夫の介入と支配がかなりひどいことが、長女さんの大学受験が迫る中具体的になってきた。
教師になりたいという長女さんに対して姑さんが言い放ったというのが「東京学芸大学なんて芸事の学校でしょうやめなさい」。
思わず笑ってしまってレスしたのが始まりだった。
甚だしい無知、勘違いが恥ずかしい上に学芸大志望できるなんてお嬢さんは優秀ですねみたいなことだったか。

加えて学歴と社会的地位は高いらしき夫の細かさ口うるささ、激怒におびえて何もできない様子もわかり、私は2ちゃんで調べたことなど書いたりしていろいろあって、彼女は娘さん息子さんと共にアパート借りて別居まで漕ぎつけたのだった。
勇気のある行動だったと思うが、その後投稿内容も落ち着き、大量のフォロワー・・マイミクだっけ・・を整理していた。
私は大学からだったが、女子大の付属を下から上がってきたようなお嬢様のなかにはこういうケースも少なくなかったかもしれない。昭和時代なら耐えるのが普通だったかもしれない。
もうそういう時代ではなくなっただろう。
今も元気かどうかたまに気になる。



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