見出し画像

白兎神のもとに思いがけない来客があった話

注 以前AmazonのKindleで出していた『ウサギ神交遊記』の中の一話です。


 こんにちは、白兎神社の神、シロナガミミノミコトです。
 今日は思いがけないお客様のことをお話ししましょう。
 前もって連絡のある訪問もありますが、ふいにおいでになるお客様もおいでです。
 知り合いの来訪だけではなく、未知のお客様がいらっしゃることもたまにはございます。
 出雲大社や伊勢神宮のような大神様のお住まいに比べれば、人間の参拝者も神仏の来訪者もそこまで多くはございません。
 だからこそ、たまにお客様がおいでになるとたいへん嬉しゅうございます。
 あの日は朝からお天気がよく、早朝の参拝者がいませんでしたので、外へ出てラジオ体操をしておりました。
 もちろん人間がいても、よほど霊感の強い者でなければ神の姿は見えません。
 それでも人がいるときは神社の中で体操をしております。
 さて、ひととおりの運動を終えて中へ入ろうとしたとき、ふいと気配がしました。 
  いつの間にか傍に一人の旅の僧が立っていたのです。
「おはようございます。こちらの神社の神様でしょうか?」
 僧がにこにこしながら挨拶をしたので、わたくしもすぐにご挨拶をしました。
「おはようございます。わたくしはシロナガミミノミコトと申しまして、この白兎神社に鎮座するウサギ神でございます。見慣れない御方ですが行脚あんぎゃですか?」
 おそらくどこかの神が仏教に帰依し、修行されているのだろうと思いました。
 僧はすぐにうなずきました。
「はい、僧として名乗る名前はなく、ただ無名の僧として諸国を巡り歩いております。ここを通りまして、あの由緒ある池のお水を少しいただけたらと図々しくもお願いに上がりました。喉が渇いているので、お分けいただけませんか?」
 僧が指さす方に、神代の昔にわたくしが毛をむしられて痛めた皮膚を洗った池があります。
「あの池は少しは霊水も混じっていますが、シンボルと言いますか、うーん、本物の御身洗池みたらしいけは次元を異にした場所にあるのです。喉が渇いておられるなら、どうぞ中へお入りください。神社のわたくしの住まいには、水道で直接本物の池から霊水を引いています。そちらを差し上げましょう」
「お邪魔してもよろしいのでしょうか?」
 つつましく尋ねる僧に、わたくしはにっこりいたしました。
「ええ、もちろんです。さあ、どうぞ」
 お客様をお連れして、リビング兼応接室へご案内しました。
 ソファに座っていただき、台所へ向かおうとして気がつきました。
「ところで朝ご飯はもうすまされましたか?」
「いいえ、これからです」
 僧の答えを聞いて、わたくしは急いで付け加えました。
「よろしければ、ご一緒に朝ご飯をいかがですか? ちっちゃなウサギ神のやしろですので白粥と漬け物程度ですが、それでよろしければですが」
「さしつかえなければ、ぜひ」
 僧もにこにこしています。
 気がついてよかったですよ。
 さもなければ、せっかくいらしたお客様に水だけ出して空腹で帰してしまうところでした。
 すぐに米と水を入れておいた土鍋を火にかけ、お粥の準備を始めました。  
 冷たいお粥も好きなので、いつも二食分くらい用意しておくのです。
 青菜を取り出して洗い、サッと湯がいておひたしにしました。
 いつもはそのまま食べるのですが、兎ではない僧にはどうかと思い火を通しました。
 お粥を炊いている間に、霊泉の水をきれいな湯飲みに入れて、お盆に載せて持って行きました。
 僧は静かに座って待っています。
「お粥ができるまで、お水をどうぞ。お代わりはいくらでもありますからね」
「ありがとうございます」
 僧は嬉しそうに合掌してから、ゆっくりと味わうように飲んでいます。「おいしいですね。さすがは聖なる水、味も霊力も際立っています」
 僧に褒められて嬉しくなりました。
「お口に合って、ようございます。お代わりはいかがですか?」
「いえ、充分いただきました」
 わたくしはチョコチョコと台所と応接間を往復し、お粥の火加減を見ながら僧とお話ししました。
「せわしなくて申し訳ありません。大神様のお住まいのように召使いや侍女がいるわけではなく、一人住まいなもので」
 僧に謝りながら何とか調理を終えました。
 テーブルには、熱々の白粥と青菜のおひたし、胡麻、海苔、梅干、漬け物といういつもの質素な朝食が並びました。
「急に立ち寄りましたのに、朝食までご用意いただいてありがとうございます。ご馳走になります」
「さあどうぞ」
「いただきます」
 僧は合掌してから食べ始めました。
 わたくしも一緒に食べました。
 食事の間に、いろいろなことを語りあいました。
 わたくしは因幡のこと、白兎神社での出来事などを話し、僧は見知らぬ土地のあれこれを教えてくれました。
 すっかり平らげ、食後のお茶をいれた後も楽しい会話は続きました。
「すっかり長居をしてしまいました。お邪魔をいたしました」
 僧が立ち上がったのは、もうお昼近くでした。
「おや、もうこんな時間ですか? ついつい楽しくてお引き留めしてしまいました。よろしければ、お昼もいかがですか?」
 わたくしは、すっかりこの僧が好きになっていたのです。
「いえいえ、まだ旅を続けますのでこれで失礼いたします。たいへんご馳走様でした。とても楽しゅうございました」
 合掌する僧に、こちらの方が恐縮しました。
「わたくしこそ、珍しいお話をたくさんうかがってたいへん楽しゅうございました。旅の途中でお引き留めして申し訳ございません」
 神社の入り口までお見送りし、持ってきた小さな包みをお渡ししました。「遠方の神からリンゴをいただきました。途中でおあがりください。そして、このビンに入っているのが御手洗池の水です。このようなものしかお持たせできませんが、よろしければどうぞ」
「ありがとうございます、それでは遠慮無く」
 僧は嬉しそうに手を伸ばし、大切に抱えてくれました。
「喜んでくださってようございました。また近くをお通りの際は、いつでもお立ち寄りください。神無月以外はおりますから」
 名残惜しい気持ちでした。
 お話も面白かったのですが、不思議に一緒にいるだけでほんわかした気持ちになれる方でしたから。
 僧は小さく笑って、わたくしの顔を見つめています。
「毘沙門天が言っていたとおり、優しい神様ですね」
「え? 毘沙門天のお知り合いなのですか?」
 驚きましたよ。
「ひょっとしてあなたも護法の神様ですか?」
 僧は笑顔のままです。
 身体全体が、まばゆい光に包まれました。
 そして尊いお姿へと変わったのです。
「旅の僧としては無名ですが、本生には名前があるのです。私は地蔵菩薩です」
 ポカンと口を開けてしまいました。
 つまり護法神の上の仏様ですか?
 それに気付くと同時に、地面に穴を掘って潜り込みたいほどの恥ずかしさに襲われました。
「そのような御方とは知らず、あんな粗末なものを差し上げて申し訳ございません」
 謝罪するわたくしに、地蔵菩薩は笑顔のままおっしゃいました。
「とんでもない。あなたは今できる最高のおもてなしをしてくださったのです。どこの誰ともわからぬ旅の僧に、心を込めて供養してくれました。毘沙門天が常々あなたのことを褒めていたので、大山だいせん(地蔵菩薩を祀る大山寺がある)へ行くために近くを通ったのを幸いお邪魔しましたが噂に違わぬ方です。突然来たのに素晴らしいおもてなしをありがとうございます」
「いえいえ、ちっちゃなウサギ神の社へお立ち寄りくださって光栄でございます」
 恐縮しているわたくしの前から、微笑んでおられる地蔵菩薩のお姿が消えました。
 しばらくぼーっと立っていましたが、気を取り直して社の中へ戻りました。
 参拝客はいませんでした。
 いたとしても我らのやりとりは人の目には見えなかったでしょう。
 食器を洗いながら、あんな粗末な朝食をお出ししたことを恥ずかしく思いつつも、心の中はほんわかしていました。
「お会いできてよかったな。また来てくださるかな?」
 何しろ神仏はお忙しい方々ですから、何度もお立ち寄りいただけるとは思えません。
 それでもまたお会いしたいものです。
 毘沙門天が、わたくしのことを仏様に良く言ってくださったのも嬉しいですしね。
 地方のウサギ神にできるおもてなしはたいしたものではございませんが、それでも今度おいでになられるときは、もう少しましなものを用意したいものだと考えつつ食器を片付け、一日中ほんわかした気分ですごしたのでございます。

            完


 毘沙門天とシロナガミミノミコトのエピソードは『因幡の白兎、神となり社に鎮座するまでの物語』『白兎神、大いなる陰謀に巻き込まれ日の本を救いし物語』でどうぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?