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きみがいないと生きていけない絶望番地。

誰かに強く惹かれるとこころがその記憶から

離れられなくなることがある。

もう身体はとうの昔に離れていたとしても。

離れたら生きていけない、

きみがいないと生きていけないという場所は

まさに絶望という私たちの死に場所だ。

絶望はキワキワの果てで

最も全てが見渡せる場所なのだから

産まれるまでの準備をする場所としてはごく自然だとおもう。

だけど私たちが死にきれず、

なかなか産まれることも出来ないのは

自分が何者であるのかわからないからだとおもう。

だって脳内で過去を繰り返すという非日常なドラマは「何も出来ない私」という脇役を演じるのにはぴったりすぎる。

そうして、死ねず産まれることが出来ず、

いつも一歩手前に慣れた私たちは

引き裂かれたような気持ちで

何度もお酒を浴びたり、

何度も自分を痛めたりして、

ドラスティックな絶望番地を飽きるまで楽しんだりする。

だけど絶望という場所にはほんとうは

鍵もかかってないし、境界線などない。

赤ちゃんのようにもう一度産まれる方法を書いた看板はないけれど、

地続きに見えないような

絶望番地という現在位置と

希望という名のついた場所は溶けている。

そしてその方法の種はたぶん

その絶望キワキワで拾っているはずなのだ。

その「希望」の場所を

昔の人たちはきっと天国と呼んだりあの世と呼んでいたのだろう。

そう思うと、

偉人たちが残してくれた平成から令和の時代を

生きながら死んでなんかいられない。

いのちは短い。だからいのちを育みたい、

育む人をもっと愛したいとおもうのでした。


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色納シルシ

詩人/タロットリーダー私たちが持つ説明出来ないような感情がただそのままゆるされ、あるべき美意識に還るために「コトバの視覚化」によるカタルシス作品を散りばめています。色納シルシ公式サイト「僕はそれを愛と呼びたい。」https://ironosirusi.com/
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