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知的障碍者施設に実習に行った話③


1週間経って
私は軽度障碍者施設の方に
棟を移されました。

この棟になって感じた違いは
多少は利用者の方とコミュニケーションが
取れるということです。

重度障碍者施設が人間の精神年齢だと
1〜2歳前後の知能指数
軽度障碍者施設になると
未就学児童程度と言われていました。

一人一人が隔離されていた重度障碍者施設
とは違いここでは利用者同士の交流もあります。
時に喧嘩や恋愛沙汰もありました。

ただ普段は温厚でも大人の力で癇癪を起こしたりするので
ある意味身体障害と併発して
ほとんど介助状態だった重度障碍者施設より
怪我のリスクは有るとのことでした。

ここで私は一人のお気に入りの利用者さんがいました。

彼は30代前後のダウン症の小柄の男性で
20歳そこそこの私によく
「おねーさん、おねーさん」と
話しかけてきました。

ダウン症というと
みなさんが想像する特徴のある顔つきが
あると思いますが
なぜか彼はまたちょっと違った系統の可愛らしい顔つきをしており
「ダウン症でも違う顔つきの方がいるんだな」と知りました。

「おねーさん、おねーさん」
彼が話しかけてくる理由はいつもだいたい
同じでした。
「ねーねー、今から僕の言うことを書き取って」
「はいはい、ちょっと待ってくださいね。」
「準備できた?いくよ」

「ウイーン管弦楽〇〇交響曲第◯番
 〇〇ライナー指揮
 〇〇秋の祭典
 〇〇提供
 11月◯日から12月◯日まで、、、」

なんだか聞き覚えのある文脈でした。

この時はオーケストラのコンサートのCMが 
繰り返し流れていて
彼はCMの告知内容をまるっと
完全に覚えていたのです

よく知的障碍がある方が非凡な才能を
持っていることは聞きますが
「これか!」
と思いました。

彼は驚異的な記憶力の持ち主だったのです。

そんな彼の存在もあり
最初は苦痛だった実習も
最終日には名残惜しくなりました。

実習で見たこと聞いたことは
守秘義務で守らないといけません。

私は次の日からいつも通りのバイトに戻り
その2週間のことを他に口外することなく
今日この場で初めて開示します。

その十数年の中である事件が起きました。
相模原での施設の連続殺人事件です。

事件を起こした犯人が
生きてるのがかわいそうだったから
と言うことに対して
似たようなことを考えた自分を思い出しました。

福祉の現場というのは
衝撃的な場面もあり
実習が終わった所感としては
「私はこの仕事は出来ないな」
という感覚でした。

当時まだメンタルが不安定だった自分は
おそらく感情移入しすぎてしまって
いつかあの容疑者のようなことをしてしまいそうな気がしたのです。

だから私は道徳的に許されることでなくても
明確に否定できません。
むしろ激しく非難をする人間は
どれだけ現場を知っているのかと
問いたいくらいでした。

私はあの実習はみんな経験していいと思うし
どれだけ福祉の現場に携わる人に
メンタルケアを欠かしてはいけないか
もっと切実に感じてほしいと感じました。

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