舞台PSYCHO-PATH VV はいいぞ

昨日友人がチケットを取ってくれた舞台PSYCHO-PATH VV2を観劇してきた。コロナ禍で舞台観劇は極力自粛してきたので久々の生観劇。隣との間隔も空いていたので感染対策面もわりかし安心だった。

さて、本舞台の話。舞台内容のネタバレしまくるため閲覧注意。

PSYCHO-PATH(サイコパス)はオリジナルアニメとして放送され全シリーズに目を通している。ざっくり説明すると、近未来の日本を舞台に、人間の思考や性格、適正等をすべて数値化し、職業や結婚相手などがシビュラシステムといういわゆる膨大な演算装置によりすべて決められた社会の話だ。人間の数値(犯罪計数)が悪化した人は犯罪を犯す前より潜在犯と認定され、主人公たち公安局の人間に執行されるという流れ。公安局には潜在犯でありながら職業適正で選ばれた執行官と、執行官を指揮する監視官で主に構成されている。SF要素もありながら根底はどっしりとした刑事ドラマであり、哲学的要素もふんだんに盛り込まれているので知識があればあるほど楽しめる作品だと思う。

そして舞台PSYCHO-PATH VVならびにVV2は、アニメの設定や世界を土台にオリジナルの監視官と執行官が奔走する作品だ。脚本や演出はアニメの製作陣がそのまま引き継ぎ、舞台楽曲はアニメ主題歌を歌う凛として時雨がオリジナル曲を引っ提げるという豪華なもの。そして何よりすごいのは、たった2時間ぽっきりで重厚なストーリーが綺麗に完結することだ。まるでジェットコースターのようなテンポであれよあれよと事件が広がっていくのだ。

前作の続編であるVV2は、主役を前作でも活躍した監視官の嘉納火炉(かのうひろ)が務める。彼は執行官から前例のない監視官に昇格する稀有な存在だ。犯罪計数の悪化で監視官から執行官へ降格したアニメの狡噛や宜野座とは真逆の人生を迎えることになる。今回の話の鍵は「トロリー・プロブレム」、いわゆるトロッコ問題だ。トロッコの先に分岐点があり、分岐点の先に複数の人間が立っている。片方の五人を助けるためにもう片方の一人を犠牲にするか、あるいは一人を取り五人を殺すか。物語が加速するにつれ、嘉納はこの問題に直面し、選択せざるを得ない状況に巻き込まれていく。人の命の優劣や、正義の意味、信じていたものがすべて信じられなくなる不安。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。考えれば考えるほど沼に落ちていく気分になる、そんな展開だった。

このトロッコ問題では、この五人と一人の立ち位置が問題でもある。五人が社会的に健常者に値する人間で、一人は社会の底辺扱いを受ける潜在犯の場合、一般的に考えて助けるべきは五人が妥当だ。ただ、潜在犯はまだ犯罪を起こしておらず、五人の健常者が意識的ではないにせよ何らかの罪を犯していたとしたら、どちらを救うべきだろうか。前作では潜在犯のサイコパス(犯罪計数)を意図的に改ざんし無害な人間に仕立て上げることが可能だとわかったため、それを前提にするといよいよどちらを救うのが最善か、どちらを殺すのが正義なのかがわからなくなる。この理不尽な天秤を前に嘉納が下した決断は、あまりにも…といった結末で大変良い地獄を見せられた。

そんなわけで舞台PSYCHO-PATH VVならびにVV2、テレビシリーズにハマった人なら恐らく刺さること間違いなし。2.5次元舞台でありながら映画を観ているかのような没入感にぜひ飛び込んで頂きたい。

ちなみに推しができると大変地獄味が増すので、二重の楽しみ方ができるよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?