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暑いから窓開ける

来週の火曜日学校選抜の面接が決定したというのに、全くもって逃げたい気分だ。
それに伴って、にゃんたこを見ている。
私は行き場の無い相当嫌な気持ちをぶつけたい時
にゃんたこを見る。
4年前も受験の前日、にゃんたこと太田の配信を見ていました。(恥ずかしくて敬帯)
4年前と何も変わっていなくて草

でも4年前と比べたら進化している。
なんと概要欄を初めの動画から全て読んだ。

やっぱ外の音がうるさくて集中できないから窓閉める。

6つ気になる概要欄をスクショした。
求められるのが怖い。というのがあって、それは今まさに私はそれだと思う。
面接で相手が求めるものはだいたい予想がつくけどそれを言ったところで何になる?
とか思ってしまう。それを言って合格して何の意味があるのだろうかと思ってしまう。
友達に、面接なんて全員練習せずにぶっつけ本番ですればいいのにね、って言ったら、何言ってんだこいつみたいな顔されて終わった。

でもこうやって自分の意見があるということ自体、私は誇らしい。
「自分以外に心を引っ張られて、自分のやりたいことがなんなのかわからないまま、自分の気持ちも知ろうともせず、流されて流され続けて、気づけば他人の意思が自分を乗っ取ってる、そんな悲しい人生のやめようや。人を嫌うなら1人で嫌いになれ。人を愛したら雑音を消して愛し続けろ!人生、1人で戦う覚悟だけあれば。」にゃんたこより

かっけぇ…かっけぇよ…その通りだよ…

忘却することは前進すること
ではなく
忘却することは許すこと。

そうなのか。
前進することだと思っていたけど、無意識に許してると思うと腹が立ちますね。優しいな自分。自分が1番憎いけど可愛い。

レールから外れられたとか思っていても、全然外れられないバカ真面目な私。可愛い。
いつまでもレールの外を羨ましがって眺めていることでしょう。鼻で笑うわ。

なんかもっとあるしひとつひとつ掘り下げて書くつもりだったのに、いかんせん集中力が落ちてきたのでこの辺で終わろうと思います。

最後に、「肌で感じる」って生きていく上で1番重要かもってにゃんたこが言ってるんだけど
ほんとにそう思う。
音楽とかそもそも生で聴くためにあると思うし、
実際に同じ空気を吸って、同じ空間で肌でそれを感じることは、何にも耐え難いものだと思う。
美術なんかも、スマホのアプリなんかで毎日日めくりで絵画とその解説を見せてくれるのがあるんだけど、ほんとに知識としてしか自分の中に入ってこなくて。
それを知って自分で考える動作までいかない。
美術館だったら、どうしてこれを書いたんだろうとかどんな社会背景で、どんな人生を歩んできたらこれが書けるんだろうとか、肌で感じるからそれを考えられるんだと思う。

集中力切れてからこいつばり喋るやん と思いましたよね。私も思います。

こんなもんよね。気が抜けてからが本番。
考え方でどうとでもなる。って話はまた今度ね。

今日も1日お疲れ様でした。
人生の中でも屈指の休憩所 「お風呂」へ行ってきます。それでは。

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