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ししおのつぼやき15 ダン・ニャット・ミンの映画2本

福岡市総合図書館収蔵のベトナム人監督のダン・ニャット・ミンの代表作らしい2本を見た。
福岡市総合図書館映像ホール・シネラ 映画解説 (cinela.com) 
写真↑はこのサイトより
ベトナム映画の二人 ダン・ニャット・ミン&ヴィエト・リン監督
(ずっと前から思っているのだがこのサイトでスケジュールと作品解説をなぜ相互にリンクしないのだろう? ネットなんだから簡単と思うが。いつもいちいち別に開いてあわせて見ないといけないのは不便なのがいつまでも直されない)

『十月になれば』(1984年)はいい作品だった。夫の戦死を家族のために隠し続ける妻(母)ズエンと、彼女を助ける教師カーン、そしてその家族や友人たちの、悲しく美しい抒情性あふれる作品であり、ゆったりしたペース、モノクロのカメラもすばらしい。やたらにお客さんが来てお茶をふるまうコミュニティ、凧揚げや大衆演劇、寺院?、死者と出会えるお祭り、市場などの民俗史的場面も映画ならではの楽しみだ。ただズエンが大衆演劇の主役で素人とは思えない演技とセリフまわしは唐突な感じ。『河の女』もそうだが、主人公の顔のアップがやたらに多いのも気になる。欠点といえば何しろズエン役が美人すぎることで、演技中の彼女に、(夫が死んでいることをただひとり知っているとはいえ人妻に)カーンがしっかり見とれている(笑)。こんな美人ならすぐ再婚できるでしょ、なんて思ってしまう。

『河の女』(1987年)は「80年代最高のベトナム映画」とあるので、すでに『十月になれば』の途中で体調が悪くなったのにいったん家に帰ってちょっと寝てまた見に行った。こちらはカラー。中部フエで小舟のなかで体を売るニュエが解放戦線のリエンをかくまって愛するようになるが、解放後に党の幹部となったリエンに拒否されてしまう。『十月になれば』では最後に勝利したハノイ政府への希望をほのめかすが(義理で?)、『河の女』では政府幹部への批判があるとしてしばらく上映されなかったという。それをあえておこなったことは歴史的な価値があるのだが、雑誌記者が入院中のニュエにインタビューするという構成から前半と後半のギャップがテーマを散漫にしているような気がする。いろんな問題が未解決のまま最後にニュエがいったんふった男と幸せそうに暮らすという結末に納得がいかない。
 特に絶対おかしいと思うのは、雑誌記者の夫がリエンだったというあまりに不自然な設定もだが、ニュエがはっきり「書くな」といった幹部とのいきさつを記者が雑誌に発表することだ。話としては政府による検閲と戦うジャーナリストが焦点なのだが(その記事の掲載を禁じられた雑誌の刊行後に編集長がどうなるのか気になる)、その前に、本人がはっきり記録さえ拒否している取材内容を無断で雑誌に掲載することは(たとえ匿名でも)、ジャーナリストとしての倫理にもとるにきまっている。当時のマスコミでは平気でこんなことやってたのかと思ってしまう。個人情報保護なんてない時代、ニュエが忘れたい過去を通俗週刊誌などでさらされたらとても幸せになんかなれない。
 このほか、そもそもなぜニュエがリエンを愛するようになったのかも、本人が「わからん」というだけで、いきなり抱き合ってるんじゃ、説得力がないでしょ。彼女が解放(統一)の闘争を強く支持しているような気配もゼロだから、最後に戦場をかけるリエンのイメージも観衆に共有されないのではないか。
 あと検閲のきびしい時代なのに、やけに水浴びとか着替えのシーンとか、まったく不要な(男性の)観客サービスみたいな場面が気になる。営業的に「お色気(死語)」シーンが求められたからか?! 娼婦の話なのでベッドシーンは必要だろうけど、部分的にしか見えないとはいえ、むしろこっちのほうがよく許されたものだ。まあ検閲するのは男性だろうから(笑)。
 カラーの映像も、カメラワークはうまいと思うところもあるが、『十月になれば』のような見どころは少なかった。後半が見栄えのしない大都市の話になるし、テーマが政治的に重すぎて自然描写や心理の余裕がなかったのか。
 なので『河の女』のほうが(物語の内外のジェンダーissues含め)問題提起的で歴史的な価値があるのは確かだが、以上のように納得いかないことが多すぎするので、映画作品としては『十月になれば』のほうが完成度は高いといえる。
 なお13日にドキュメンタリー『五月の顔』と『レ・バン・ダン』の2本も見ている。『五月の顔』は解放直後のサイゴンの、歓喜と苦難とが共存する街の記録として興味深かったが、レ・バン・ダンなんてこの映画で初めて聞いた。造形の甘さといい、あからさまにオリエンタルな画題といい、ベトナム美術史のなかでぜんぜんたいしたことない画家だし、かつ社会主義イデオロギーにも合わないし、なぜこの画家が22分の短編とはいえ映画にとりあげられたのか謎である。個人美術館作るくらいだから商業的に成功したのだろうけど、ベトナム美術はこの程度かと思われたら有害無益だ。だいたいハノイもホーチミン(サイゴン)も美術館にいい作品いっぱいあるのに展示はひどかったですからね。ただもう15年くらい前に行ったきりなので今はどうなっているか。
(11/21 ミス修正)