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「命」の大切さ

これを見てくれている人は何かしら悩んでみてくれている人が多いと思う。(悩んでいない人は、今一度一緒に命の大切さを考えながら読んでみよう!)そしたらあけぼのワールドへ入場ー。


今回はまとめるのをやめてただひたすら「思い」を書こうと思う。なぜなら命の大切さなんてまとめることはできないから。色々な解釈があり、私自身様々なことを「命」というワードに感じさせられる。だからこそ、まとめずあえてツラツラ書こうと思う。

命に軽いも重いも無い。

みんな同じ命の重さだと真剣に思う。これは誰かが思うからではない。自分が本当にそう思うからだ。「命」を持った人や動物、植物、その他大勢は「今」を生きるために必死だ。生まれ持った命で自分の手足を使って必死に生きているのだ。それは人間然りその他生物、みんなそう。だからこそ、命の重さは同じように思える。

私自身、嫌で命を捨ててしまおうと思ったことが小学生の頃にあった。もう生きているのがつらくて、楽しくなくて、疲れて、生きている意味すら見失って。

でもそこで踏みとどまれたのは、こうした経験をもう誰にもさせたくないと思った。偽善でも見栄でも驕りでもない。叶わない願いかもしれない。だけどそれだからって諦められない。今こうしている間も辛い人がいると思うと…。せめて手が届く範囲で救いたい、守りたい、そばにいたい。

そしてその子の生きる価値を見出したい。「今までよく頑張ったね、もう大丈夫。俺が守るからと抱きしめてあげたい。」どんな子でも価値はあります!今それを実感しなくたって、いつか必ず感じます。そして私はその子の価値をいつでも信じてます。「いや俺に無いもの持ってるじゃん。すげーよ、お前」って伝えてあげたい。例えばその子の好きな色、性格、経験したこと。どれを取ってもきっと自分と違う。だからこそ、それがその子の「魅力」であり生きることの価値だと思う。

今まで辛かったね。もう絶対大丈夫。だって俺に出会えたんだから。

X(旧:twitter)で告知を見た人は分かると思いますが、なぜこんなにも投稿する期間を空けたのか。それはその子自身が自分の足で立って闘い、今ようやく待ち望んだものに辿り着けるようにするためです。つまり自分の足で踏みとどまる「決断」をしてほしかったのです。

私自身この記事を早く届けたかった…、届けられないことがつらかった…。けどその子が自分で決断し踏みとどまることこそが大事だと思ったからこそ、我慢するしかなかった。

辛かったらいつでも俺を頼るんだよ。君は一人なんかじゃない。
このあけぼの博士がいる限り、日は沈まない。

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