「平成たぬき合戦ぽんぽこ」に描かれた「昭和」と「平成」。あるいは運動の終わりの景色。


目次:
0.  平成の終わりに、私たちが通り過ぎてきたものについて考える。
1.  1970年代の不安:藤子・F・不二雄作品における人口増加のイメージ。
2.  舞台となる「ニュータウン」:農村の消失と郊外の誕生。
3.  運動の時代から消費の時代へ : 妖怪大作戦は何に負けたのか。
4.  それぞれの敗北 : 運動のゆくすえを見つめて。
5.  むすび:消されてしまった景色について。


0. 平成の終わりに、私たちが通り過ぎてきたものについて考える。


 「平成最後の」というキャッチフレーズが蔓延して久しいこの頃、私としてもここらへんであの「平成」に蹴りをつけておかねばという気持ちになってきた。高畑勲が監督し、1994年に公開された、「平成」を名に冠した名作。そう、「平成たぬき合戦ぽんぽこ」である。
 かねてよりこの映画について何か書きたいと思っていたのだが、例のごとく構想だけ建てて6,7年ほどお蔵入りになっていた。いろいろと調べて勉強しなければならないことが多すぎるために、いつまでも書くことができなかったのだ。しかし、このまま放置していてはたぶん一生書けない。書くならば平成が終わろうとしている今、年末の雰囲気に勢いをつけ、無知を承知で書き上げてしまうしかない。そう思い、記事にしてみることにした。

 この記事で私が描きたいと思っているのは、「平成たぬき合戦ぽんぽこ」に描かれる、戦後日本社会のさまざまな風景たちについてである。この映画には、私たちの「社会」が通り過ぎてきた様々な景色が描きこまれている。戦後日本の諸事件に触れながら、その景色を確認し、それを通じて昭和から平成をごくごく簡単にふりかえること。それがこの記事の狙いである。
 もちろん、様々なものに触れようとすればするほど描写は粗いものとならざるをえない。そもそも描写以前に話に無理があるところも多い。だが、何か一つの大雑把な話をすることで、誰かが「違う像もある」と伝えてくれることもある。そのようにして何か話題を作ることができ、それを通じて「昭和」や「平成」を振り返ることができるならば、それで十分幸いである。そうしたことを期待して、無理のある話を書き下していきたい。


1. 1970年代の不安:藤子・F・不二雄作品における人口増加のイメージ。


 藤子・F・不二雄が1974年に公開した「間引き」という漫画をご存知だろうか (『ミノタウロスの皿 藤子・F・不二雄 異色短編集1』などに収録)。コインロッカーへの赤子遺棄をめぐる短編である。テレビで取り上げられネットでも有名になったストーリーなので、知らない方は検索をしてみてほしい。
 舞台は人口爆発によって食糧が配給制になり、人々が飢え始めている世界。コインロッカーの管理人である主人公のもとに、赤子遺棄事件を取材する記者が現れる。彼は、コインロッカーへの赤子遺棄は人口爆発に応じて人間が自己の個体数を調整しつつあることの表れであると自説を展開。「あらゆる愛情が、最近急速に消滅しつつある」のは、そうした個体数調整の兆候であり、コインロッカーベイビーはその一端であると主張するのだった。
 正直なところ、この漫画のなかで繰り広げられる人口論は荒唐無稽であり面白みもない。そもそもこの漫画のように赤子遺棄を社会問題化すること自体が、偏見や誤解によるものといえるだろう。そうした部分についてはさておき、ここで注目しておきたいのは「高度経済成長によって増えた人口をまかないきれるかどうか」という不安が当時大きな存在感を持っていたということである。ことオイルショックが起きた1973年や、そのあおりを受けて戦後初のマイナス成長を記録した1974年などにおいては、この不安が大きく膨らんでいたようだ。

 藤子・F・不二雄のSFは、「少子高齢化」という言葉に囲まれてきた私のような世代の人たちには、やや理解しにくいものとなってしまっている。例えば1973年に書かれた「定年退食」という話では、「生産者2.73人で年金生活者ひとりを扶養」するようになった社会で、老人が無碍にされる様子が描かれる (『気軽に殺ろうよ 藤子・F不二雄 異色短編集2』などに収録)。ここまでは現在の我々でも簡単にその設定を受け入れることができるだろう。だがそのあとの展開がなかなか不思議なのだ。首相はこの事態に対して次のように対策を打ち出す。


みなさんご承知の如く、昨今の食糧事情の急速なる悪化……
ついに……この定員法を大幅に縮小の止むなきに至ったのです。
一時定年を56歳とします。それ以上の生産人口をわが国は必要としません。
二次定年を57歳から73歳までとします。それ以上の扶養能力をわが国は持ちません。
73歳以上のかたがたは本日をもって定年カードの効力を失うものとします。
年金、食料、医療 その他一切の国家による保障を打ち切ります。


 先に述べたように、老人への保障を打ち切る展開は理解できる。面白いのは、「生産人口」削減のために56歳を仕事における定年として設定する点であろう。定年を延ばして生産人口の減少を補おうとする現在の状況とは、真逆の対策が講じられているのだ。これはもちろん、藤子・F・不二雄が、「人口が増加し続ける未来」を前提に置きながらストーリーを作っていたことを意味している。「定年退食」という話のなかではこの前提に直接触れられるコマがないため、「人口増加」への恐怖というものを内面化していない私たちは、この首相の声明に対して奇妙な違和感を覚えることとなるだろう。逆にいえばこれは、この当時特に断りなく「人口増加」の不安を前提にして話をつくることができたということを意味しているのである。


2. 舞台となる「ニュータウン」:農村の消失と郊外の誕生。


 高度経済成長期の1965年、当時は農家集落であった東京の多摩にニュータウンを建てる計画が立ち上がる。増えすぎた都心人口を移動させるために、「郊外」の計画的な開発が行われることとなったのだ。
 当時すでに都心ではスプロール現象 (虫食い状の乱開発) が進行しており、効率的な公団住宅を大規模に開発できるような状態ではなかった。そうしたなかで、増加していく人口に対して住居を安定的に供給する必要性が高まり、それが「郊外」の計画的開発を始動させることとなる  (ニュータウンについての参考:「UR都市機構 多摩ニュータウンガイド」)

 計画的な都市開発は、ある開発思想に沿って街を形成し、そこに人を組み込むことを意図する。もちろん実際にその意図通りに進むかどうかは個々事情があるので一概には判じえないのだが、少なくともそこにはなんらかの開発思想がある。では、多摩ニュータウン計画における思想とはどのようなものだったのであろうか。それは、「小規模のコミュニティを形成する」といったものであった。幹線道路の計画配置によって小規模のコミュニティを作り出し、小学校などの各インフラを均等配置する「近隣住区論」。これに則り都市を形成しようとしたのだ。そして、農村におけるこのようなコミュニティの計画的開発は、サラリーマン家族の生活に農民たちが組み込まれていくことを意味していた。


 1970年代以降の郊外化において重要なのは、それが既存の大都市の連続的な拡張というよりも、それまで単なる近郊農村でしかなかったところが、突如、ニュータウン開発の波にさらされ、市街地化していくケースが多かったことである。首都圏や関西圏の膨大な地域で、近郊農村に急激な宅地開発の波が及び、土地が買い占められ、サラリーマン家族から成る新住民が旧住民の農民たちを圧倒していく現象が生じていった。また、それらの地域に古くから住んでいた農民たちも、開発のなかで兼業化し、やがて駐車場やアパートの経営で生活を支えるようになり、農民としての社会的性格を失っていった。(吉見俊哉『ポスト戦後社会』,岩波新書,2009:92)。


3. 運動の時代から消費の時代へ : 妖怪大作戦は何に負けたのか。


 1983年、千葉県浦安市に「東京ディズニーランド」が開園する。当時の日本において画期的な遊園地であったといわれる「東京ディズニーランド」では、よく言われるように園内から外の景色を見ることができない (北田暁大『増補・広告都市東京』,ちくま学芸文庫,2011)。「東京ディズニーランド」は外の景色を隠すことで、「日本」や「浦安」といった、その土地の風景からは完全に切り離された独自の空間を作りだし、夢と魔法の国を演出する。
 そして、このように地元の風景から独立した空間を作り上げ演出していくことは、1960年代~1980年代の日本で盛んにおこなわれていた。先に述べたようなニュータウン開発がその先例であり (例えば軽井沢レイクニュータウンではヨーロッパ避暑地を演出するためレマン湖と呼ばれる人口の湖が作られたりした[参考:「レイクニュータウンホームページ」])、そうした計画思想が都市へと及んだのが1970年のパルコによる渋谷公園通り再開発などであったといえるだろう。これらの開発は、ただデパートを作るのではなく、街全体を一つの演出に沿った空間として作り上げることを目的としており、その点で街のテーマパーク化と呼ぶにふさわしいものであった (吉見:前掲)。

 実は、たぬきたちの運動を敗北させたのは、こうしたテーマパーク的な空間、その想像力に他ならない。物語の中盤、たぬきたちは「妖怪大作戦」によって巻き返しを図り、失敗する。これが大きなきっかけとなってたぬきらは分裂し敗退していくのだが、そもそもなぜこの作戦は失敗したのだろうか。
 たぬきたちは、自身らの運動を展開するにあたって、「祟り」という土着の (つまりその土地に根差した) 想像力を利用していた。例えばたぬきらは狐の姿で神社仏閣の屋根に現れることで人間たちをひれ伏させ、開発を遅れさせることに成功していく。四国から来た長老らもまたこうした可能性を信じたからこそ、「妖怪大作戦」なるものを計画するのである。しかし、その手柄はワンダーランドの社長によって簡単に横取りされてしまうことになる。「地元の神の祟り」も、「夢と魔法の王国」のなかでは、作られたファンタジーへと簡単に組み込まれ解毒されてしまうのだ。これは、(やはり作中で四国の長老らが嘆くように) 農民たちが生活のなかで作り上げてきたリアリティが、消費社会のリアリティへととって代わられつつあるなかで、土着のもののイメージが人々のなかから姿を消していったことの表れなのであろう。

 あるいは、これはある面では、「運動の時代」の終わりを表しているのかもしれない。吉見は大塚英二や北田暁大らの著書に基づきつつ、1960年代の学生運動を「思想による自己実現」であったとし、そうした若者の動きが1970年代以降は「消費による自己実現」へと徐々に変化していったとまとめている (吉見:前掲)。暴力的手段によって人間に訴えかけるゴン太が学生運動を体現していたとするならば (高畑勲の経歴を考えると、労働争議などを想像した方が良いのかもしれないが)、その敗北はある種の必然であったのだろう。

 そして、いずれにせよ言えるのは、たぬきらは実は映画の冒頭の時点で人間に負けていたということである。映画の冒頭、たぬきたちは会議の席で、おろく婆の用意した「マクドナルドのハンバーガー」に殺到する。それは、まさに彼らもまた消費社会というものに組み込まれて生きているということ、そのようなものから逃れて農村集落の生活を続けることはできないのだということを、意味している。


4. それぞれの敗北 : 運動のゆくすえを見つめて。


 妖怪大作戦の敗北後、たぬきらは以下のように分裂していく。ここでは、それぞれの末路から連想される日本社会の出来事を取り上げていくことにしよう。



 まずはゴン太らのように過激な運動をつづけた人たちについて見ていこう。結局のところゴン太たちは機動隊と衝突し敗北する。これはそのまま学生運動の終わりを象徴しているように見えるのだが、現実の運動では周知のとおりその衰退期に大きな事件があった。1972年、弱体化した学生運動団体同士が結成した連合赤軍が、人質とともに10日間山荘に立てこもった「あさま山荘事件」である。有名な事件なので詳しく書くまでもないだろうが、彼らはあさま山荘に立てこもる前に、集団リンチによって10名以上の仲間を「総括」の名のもとに殺していた (いわゆる山岳ベース事件)。先に触れたように、多分にテーマパーク的な開発が行われた軽井沢レイクニュータウン付近で起きたこの事件は、私たちの社会の何を象徴していたのであろうか。

 特攻策で敗れたゴン太たちに対して、残された正吉たちは転向し人間として暮らすことを選ぶ。なかには不動産業につき自分たちの山を売りさばくたぬきもおり、彼らや通勤電車でゆられる正吉の姿からは、土地投資が過熱し経済がバブルへと突入していく日本の姿を見ることができるだろう。作中で印象的に描かれる栄養ドリンクは、まさにこうした時代を象徴するものであった。リゲインの「24時間戦えますか?」というCMが流行したのは、平成の元年である (参考:NHK NewsWeb「24時間戦えますか? 栄養ドリンクの30年」)。
 自分たちが戦っていた敵であるはずの人間社会に入り込み、その社会を支えるサラリーマンとなって働く正吉。彼の姿は、学生運動にかかわっていた1960年代当時の学生たちの多くが、その後転向し消費社会に組み込まれ、のちに大企業の一戦士として (あるいはすでに重役として) バブルを支えたであろうことを、示唆している。

 最後に、変化できないたぬきたちが、宗教的な熱狂と共に「死出の旅」へと旅立ったことにふれておこう。『平成たぬき合戦ぽんぽこ』が公開されたのは1994年のことであったが、日本社会において「宗教的な熱狂から死を選んだ」事件のことを考えるにあたっては、1994~1995年の「オウム真理教事件」のことを無視できない。宗教団体オウム真理教を取り巻く事件にはさまざまなものがあるが、最も規模の大きいものが「地下鉄サリン事件」であった。国家の転覆を狙ったとされるオウム真理教の信者が、東京の地下鉄で有毒物質であるサリンをまき、約6300人を負傷させる。もし今と違う世界を実現させるために行動を起こすことを「革命」や「運動」と呼ぶのであれば、これは戦後最悪の「革命」的「運動」であったということもできるかもしれない。
 この事件は真空状態のなかで突然起きたわけではない。オウム真理教が力をつけた背景には、1980年代後半からのオカルトブームがある。ノストラダムスの大予言、コックリさん、マイバースデイ、前世少女、ユリ・ゲラー……例を挙げれば尽きることがないほどに、様々なブームがあった (余談だが、月間ムーのウェブサイトで当時の学校文化の様子を垣間見ることのできる記事が連載されている。これがとても面白い[参考:昭和こどもオカルト回顧録])。よく言われるように、新興宗教団体がバラエティ番組に出演することもあった。オウム真理教はそうしたオカルトブームに乗じて1980年代に組織を拡大させてきたのである。
 高畑勲は、オカルトに沸くこの世相をどのようにとらえていたのだろうか。残念ながらインタビュー等を確認したわけではないのでわからない。しかし、運動に敗れた人々が集団で宗教にはまり自殺していくあのラストは、やはりこの世相を背景にして捉えておく必要のあるシーンだといえるのではないだろうか。

 以上3つの末路を確認してきた。それぞれ全く異なるものを扱ってはいるが、どれも戦後日本社会における「運動」の敗北の光景であったといえるであろう。「平成たぬき合戦ぽんぽこ」が描くのは、このようなどうしようもない敗北のシーンなのである。生き残った、あるいは取り残された正吉らが最後の最後に力のすべてを出し切ってできたのは、取り戻せない景色へのノスタルジーに浸ることでしかなかった。そしてそのノスタルジーもひと時の夢でしかない。子どものころの自分を見つけて走り出してみても、その景色はあっけなく住宅地とはげ山に変わる。おそらくはこのあっけなさを通じて、たぬきらは自分たちの敗北をハッキリと突き付けられ、それを受け入れることになるのであろう。消費社会へと移り行く流れの中で、彼らはその景色が取り戻せないものであるということを皮肉にも自身の変化 (へんげ) を通じて再確認し、そうすることで人間として生きることを覚悟するのである。


5. むすび:消されてしまった景色について。


 以上、「平成たぬき合戦ぽんぽこ」の舞台や、そのストーリーから連想される出来事に触れつつ戦後日本社会を簡単にふりかえってみた。ここからわかるのは、多摩地域の変貌を描くこの作品が、戦後日本社会の様々な風景を (どこまで意識していたかは別として) 反映しているのだということである。たぬきたちの運動と敗北、そのそれぞれの末路は、この社会が通り過ぎた多様な変化のことを、この社会から消えてしまった景色のことを、私たちに伝えている。

 最後に、「残されたたぬき」であるぽん吉の言葉に触れておこう。我々は、ときに過去の美しい風景を思い出し、その風景が「消えてしまった」と嘆いたりする。しかし、映画で描かれるような日本社会の風景の変化は、ほかならぬ「人間たち」が、自ら生み出したものなのである。土着の風景を破壊して、そこにテーマパークを作り出したのは、紛れもなく「人間たち」なのだ。「でも、ウサギやイタチはどうです? 自分じゃ姿を消せないでしょう?」というポン吉の言葉は、消されてしまった景色や生き物についての責任を、我々人間に対して投げかけている。





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