もう一度「キンプリ」を見てください ― 演出とテーマから語るキンプリ (1) (*ネタバレあり)


 『キンプリ』、ようやく二回目行ってきました! 時間がないのでさくっとだけど、感想です。結論としては、「くっそおもしろかった。帰り道に自転車乗りながらジャンプしそうなくらいテンション上がった。おもしろすぎて語彙なくなるわこれ」って感じ。キンプリのこと考えすぎて、飯食べてるときにブリの照り焼きにケチャップをつけてしまったくらい (地味に落ち込んだ)。ということで、もう「おもしろい!」だけ言って終わりにしたい………のですが、せっかく二回目見たのだし、ちゃんと語ってみることにしましょう。

 (1)で演出について。(2)でテーマについて語ります。急いで書いているので雑な文章になっているかもしれませんが、ご了承ください。



*以下、『KING OF PRISM by PrettyRhythm』のネタバレあり。


(1) 演出面

 ◎ 畳み掛けるところはセリフとBGMで徹底的に畳み掛けていく!

 これについては説明する必要はありませんね。映画を見た人は体感したはず。でも、『キンプリ』は盛り上げて畳み掛けるだけじゃない。

 突然話はかわりますが、映画を見ていて「映像はものすごいのに、なにか間延びした印象だなー」と思ったことありませんか? 派手なのに、テンションあがらない。面白そうなのに、どこか退屈。

 いうまでもないことだとは思いますが (そして言うは易く行うは難しなのですが)、畳み掛けることが効果を持つためには、映像に緩急が存在している必要があります。客のテンションを上げるためには、つねにフルスロットルを出していてはいけないのです。だから、なぜ『キンプリ』がここまでおもしろいのかを語るためには、「急」の部分ではなく「緩」の部分に注目してみる必要があるでしょう

 とくに、キンプリは60分という短い (回想やエンディングを抜くとさらに短い)  時間で新キャラと旧キャラを、紹介し、かつ動かしていく映画です。キャラが多いということは、それだけ情報量が多くなり「緩」の部分を作るのが難しくなっていくことを意味します。翻せば、「急」の部分を作るのが実はかなり難易度の高い映画なのだといえるでしょう。それなのに、「緩急」をつくるのに成功している。これは一体どのようにして可能になっているのでしょうか。この記事では、これについて考えていくことにします。

(*先に言っておきますが、私は別にアニメの演出に詳しいわけではありません。したがってこれは、純粋に客としてこの映画を見たときの素朴な感想です。製作者がこう考えて作っただろうということを考える文章ではなく、客の目線から見たときに、このシーンはこういう効果をもっているように見えた、ということを語る文章です。それでもよろしければどうぞ。)


◎ 場面の切り替え:ゆっくり時間をとって客の頭を切り替えさせながら、キャラの印象付けを行う

 まず、場面の切り替え部分に注目して1シーンを語ってみることにします。ここで語るのは、映画のなかでもそれなりに謎なシーンであるコウジのレシピの長台詞。長いよ!って感じなのですが、前のシーンも視野に含めて見ると、実に効果的な演出であることがわかります。

 レシピのセリフの直前にあるのは、シンにルヰが抱きつくシーン。(かなり唐突なシーンなのですが) 大きなBGMと勢いでなんだか感動的に仕上がっています。ルヰの背景にあるストーリーはまったくわからないのに、とにかくルヰのなかで感情が高まっているんだということが伝わってくる、アニメの力を感じさせてくれるシーンです。どういう文脈での行為なのかよくわからないのに、見ているほうのテンションも少し上がってしまう。

 そして、場面が切り替わった途端に入るのがコウジのレシピの台詞。そこから話のトーンは落ちて、オバレや旧三強のストーリーに移っていく。

 前後のシーンには話として直接のつながりはほとんどありません。したがって、シン・ルヰの感情的なシーンからオバレたちの話に移すためには、客を置いてけぼりにしないためにクッションを挟む必要があります。このクッションの役割を果たすものこそが、コウジのレシピだったのではないでしょうか。一度話とあまり関係のない長台詞 (それも客が理解のために頭を使うような台詞) を入れることで、話の転換を受け入れやすくしている。そういう効果があるように私には思えました。

 そして、この台詞は同時にオバレにおけるコウジの存在感を引き立てる役割を持っています (もちろんコウジに対する過剰なまでのキャラ付けでもあり、鑑賞者にコウジを強く印象づける効果も持っています)。あれだけの料理を作れるのはコウジくらいしかいないのですから。

 さらに言えば、作画を節約するという効果もありますね。長い台詞にも関わらず、台詞の最中は料理の一枚絵のみが映されています。それでも、このシーンは見る側に退屈な印象を与えていません。これは、鑑賞者がコウジの台詞と一枚絵の料理を対応させようと必至に目を動かし絵を理解しようとしているからなのでしょう。少し理解のために頭を使うようなシーンを入れることで、「あ、これは作画を節約したんだな」という印象を与えないことに成功しているのです。

 短い上映時間のなかでストーリーをつみこみながら、キャラを印象づけ、作画も節約しなければならない。このように『キンプリ』は非常に制限の多い映画です。しかし、このシーンではつめ込まれたストーリーについていくために頭を切り替える時間を与えながら、コウジというキャラを印象付け、作画の節約まで行っている。制限のなかで求められる全てが達成されているシーンであったといえるでしょう。


◎ 場面の連続:切り替え前から次のシーンにかかわるセリフや要素を入れておくことで、急な話の進展でも客を置いて行かない

 ここまでは場面の切り替え方に注目しました。次は、場面をつなげるシーンに注目してみます。どうせなので同じくコウジの料理に関わるシーンに注目することにしましょう。ミナトくんのセロリ料理のシーンです。

 突然ですが、このシーンの直後にどのような話の展開になっていったか思い出せますか? 何度も見ているエリートの方々なら思い出せると思いますが、コウジの記者会見シーンが入ります。そして、そこからヒロが海岸で佇む姿が映しだされ、カヅキやコウジのシーンが入り、そのあとほとんど時間をおかずにオバレのラストライブにつながっていく。DVDが出てみないと詳しいことはわかりませんが、時間を計りながら見てみると、かなりの急展開になっていることでしょう。それでも、急展開だという印象や、せわしない印象を客に与えていません。これはどうやって可能になっているのでしょうか。

 さまざまな技が隠されているのだと思いますが、ここではミナトの台詞に注目してみることにします。ミナトは、コウジの記者会見シーンの直前の台詞のなかで、自分の料理は「コウジさんのレシピ」によるものだということを繰り返し強調していました。セロリの料理やコンソメスープ。そのそれぞれで「コウジさん秘伝のレシピ」といった言葉を使っているのです。

 そして、その話の直後に管理人さんが現れ、テレビをつける。映っているのはコウジの記者会見。こうして新世代の日常を描いていた映画はまた、オバレのストーリーへと移っていくのです。

 この場面の切り替え、何気ないけれど鮮やかではないでしょうか。話を無理やり進めるだけなら、暗転 → 記者会見シーン という写し方もできます。しかしここでは、日常シーンを入れて直前の「EZ DO DANCE」で盛り上がった熱を一度冷ましながら、それでも背後でオバレのストーリーが進展していることを示すために、テレビに記者会見シーンを写す。そこから流れるように海岸に佇むヒロへと場面を変えることで、無理なくヒロやカヅキ、コウジ (とユウ) の感情へと話を切り替えることに成功しています。

 そして、このような急展開のなかでも、それぞれのシーンのつながりを生むだす。そういう効果を持っているのが、ミナトくんの「コウジさんのレシピ」を強調する台詞なのだと思います。直後に来るシーンと関連する台詞を入れておくことで、話の急展開にも客を追いていかないようにする。そういった意味があるように感じました。

 この映画、いうまでもなくキャラがとても多いです。そして、キャラが多いということは、それだけ画面に写っていないキャラが多いということでもあります。それゆえ、ともすればバラバラの話がバラバラに進行しているような印象を与えやすいのです。ミナトの台詞は、こうした点からも意味があるものだったといえるでしょう。台詞のなかに「コウジ」を繰り返しだすことで、新世代とオバレとのつながりを強調し印象づけているのです。

 そして、先述したシーンと同じく、この台詞は同時に新世代にとってもコウジの存在が大きなものであることを印象づけます。この印象付けが行われているからこそ、コウジの記者会見シーンが新世代にとってもショックな出来事であることが客にも伝わってくるのでしょう。


◎ 60分で観客を最高に気持ちよくする映画!

 まとめておきます。はじめに書いたように、『キンプリ』はとても制限の多い映画です。時間少ない、作画も節約、キャラは多い、オバレの回想も入れないといけない……。そうした制限のなかで、最大限に「客を気持ちよくする」。数々の工夫を駆使して、それを成功させている。

 もしかすると、穿った見方をする人のなかには「作画が制限されててあまり動かない」とか「時間が短い」という理由でこの作品を低く評価する人もいるかもしれません。しかし、アニメーションは工夫の産物です。作りたいものを無尽蔵につくれるわけではない以上、制限があるなかで、どれほど工夫するかが勝負になってくるのです。『キンプリ』は、この勝負に圧倒的に勝利した作品だったといえるのではないでしょうか。



(*シンのプリズムジャンプの最中で曲が一端止まりチャイムの音が入るシーンについても語りたいけれど、長くなるのでやめる! 短く書いてしまうと、一度客の心を整えてから映画のテーマを台詞で伝え、それと同時に曲を再開させることで、台詞に合わせて客のテンションを上げていく。そうすることで、映画のテーマを強く心に刻み込むことに成功してる。こういう、曲やBGMの効果的な使い方はまさにプリリズって感じだよねって話。)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?