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文字も音も大すき。同時に扱えない所も含めて

音声配信でnoteについて見つめ直しをした、さいちゃんです。

もちろん考えることが大すき。こうして文字を書き連ねる、私の頭の中を文字化してまとめていくこの場所をもててしあわせです。

ただ継続することを考慮すると、無理なノルマ設定なんて意味がないしむしろ続かないんですよね。いつものように、ふと立ち止まって「ん?」って考える癖がここでも出せました。

やりたいことはたくさん、でも身体はひとつ。時間も無限じゃない。スケジューリングも大事だけど、そもそものタスク管理から立ち返ることで生産性や質の向上が見込めると思います。

そんなわけで、文字を書くのも読むのも大すきですが、同時にはできない。さらに最近は音声でのインプット・アウトプットも大すきになってしまい、全て同時進行不能のものばかりで圧倒的に時間が足りなくなってしまいました。

音声の良さは、文章にすることと文章を読むことの手間とは別格です。タイムリー、スピーディー、そして情報量も多く、なにより「声」に惚れ込んでしまうことも魅力のひとつ。別の人が同じことを言っても、まとう雰囲気も耳からの入り方・心での受け止め方も全く変わってしまうのだから不思議です。

そんな、文字と音声。同時進行できないということは、

文字のインプット・アウトプット、音声のインプット・アウトプットは、頭の中できっと同じところを使っているし、なによりも使います。感じ取っている。そう思うので、私はこの4つが大すきだし、でもだからこそ同時進行は絶対にできないので時間も足りず「むう..」と思っています。

そんなときは、最近、音声のアウトプットに頼ります。

文字で起こすよりも早く、内容を決めなくて始めてしまってから、話しているうちに思考が整理されていくからです。手作業は脳の回転より遅い。

最近めっきりすきなのは、音声のインプット
情報量や納得の大きい内容が濃縮還元されたものも大好物ですが、もはや内容は関係なくて、そのものに惚れ込んで耳がしあわせなことで心まで潤っていると感じます。

文字で他人と交流してもやや殺風景になりがちですが、音声はその心の壁をとっぱらいます。なんなら声さえすきなら内容の無い発信者でもいいくらいの価値は大いにあります。

さいちゃんは声フェチかもしれない..

そんなことを考えていました。
最近は、すきな声・話し方のユーザーさん達に、「楽しいなあ」「かわいいなあ」「羨ましいなあ」と、たくさんの感情をもらいます。

なにより、さいちゃんって呼んでもらって喜び爆発..

声フェチ確定でしょうか。

2018.4.25 さいちゃんより

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