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還暦おやじのスタディアブロードWith ウクレレ65

How long does it take from here?

   タクシーは商店街をゆっくり走って検問所で守衛が車内を覗き込みOKといってタイガースカラーのバーを上げてくれて、すぐに走り出し大通りを左折したからみなの姿は見えなくなった。

私はドライバーに「How long does it take from here.」ここからどれくらいかかりますか?と尋ねたら「Maybe it will take about 50 minutes to reach the airport sir.」多分空港まで50分ぐらいで着きます。といってくれた。

ぼうっと車窓を眺ながらマサシから「シゲと出逢えたことがマニラでの一番の収穫だった。」という言葉とケンから「シゲに教わった人生は誰に出逢うかで決まる。という言葉を大事にしてこれからも生きていきます。ありがとう。」といわれた言葉に思いをはせていた。

タクシーは何度か渋滞にはまったがうまく走り抜けて本当に1時間以内に空港に着いた。

ドライバーが料金は600ペソだと告げたので、あらかじめ用意していた封筒から800ペソを取りだして「Here you go. Please keep the change.」はいこれです。お釣りは取っておいてください。といって空港の中に入った。

そして最初にお土産売り場に行って例のチョコレートを購入してセーターを取り出したところに詰め込んだ。

そうして、ジェットスターのカウンターでチェックインし、キャリーケースを預けて保安検査場でセキュリティーチェックを受けた。

その後税関審査を経て出国審査の搭乗口を確認。その後椅子に腰を下ろしてから持っているペソを数えて再びお土産物売り場を見て歩いて、いくつかのお土産を買って新しい方のリュックに詰め込んだ。

そして搭乗口に戻る前にビールとおつまみを仕入れて、飛行機が見える場所の椅子席に腰を下ろした。

時刻は夜11時を少し回ったところなのでフライトまではまだ時間がある。ビールを飲みながら空港内のアナウンスを集中して聴いている。

スクールの先生と空港でのアナウンスの聞き取りとスピーキング練習を積んできた成果として、驚くほど聞き取ることが出来、にやにやしながらピーナッツを口に放り込んだ。

スタディアブロードの前には、いわゆるリンキングといわれている音のつながりや音の脱落について、頭では理解していたがレッスンを受けて自分で発音することも出来るようになったことによりクリアーに聞き取ることが出来るようになっていた。

ビールを飲みながら飛び立ってゆく飛行機と着陸する飛行機をぼんやり眺めていた。またここに来ることがあるのだろうかなんて考えていた。そして、何年か後に今回のスタディアブロードを振り帰られるように、備忘録として最初に計画を立ててオンライン英会話を始めた一年前の事などを書き始めた。

 当初はマニラのスクールにするか、セブのスクールにするかなど、実際に行くとなると滞在時期や期間などについての迷いもあり、やっと出発1か月前に腹を決めて航空券を予約し、スクールに授業料を振り込んだが、行くか行かないかで逡巡しゅんじゅんしていた時の事を思い出してノートパソコンに書き始めた。

あの頃はいつも心が揺れ動いていた。「本当に行く必要があるのか?」「行かなくたってやる気さえあれば日本にいても英会話の勉強は出来るじゃないか」「スタディアブロードのメリットは何なのか?」などあの時の心の中の葛藤について何度も書き直しているうちに搭乗のアナウンスが始まり、私の周りに座っていた方々が列に並んだ。私は列が短くなったところをみはらかって搭乗手続きをした。

さらばマニラ!お世話になりました。

 キャビンクルーに搭乗券を手渡してバスに乗り飛行機の近くまで行ってタラップを登った。

 座席は来たときと同じで一番前だった。窓側はフィリピン人のビジネスマンで通路側は日本人のビジネスマンが既に座っていた。頭上のロッカーを開けてみると充分にスペースが空いていたので新しい方のリュックと古い方のリュックを両方とも入れることが出来た。

 私は両隣の方に軽く会釈をしてミニノートとシャープペンをポケットに入れて、手ぶらで座席に腰を下ろした。

 私が追加料金を払って購入した席は足を延ばせて快適なのだが、非常時にはクールと共に非難誘導をしなければならない決まりがあり、離陸と着陸の際には手荷物はすべて頭上のロッカーにしまわなくてはならないからだ。

 今回もキャビンクルーは男女2名が乗客と向かい合って座っていて、初めに男性の方がマイクを取って非常口座席の利用についてのアナウンスから始めた。1.12.13列目はすべて非常口座席となりますのでご利用になるにはお手荷物を頭上のロッカーに入れてくださいというアナウンスだった。

 それ以外は乗務員やパイロットの紹介といった決まり切った内容だった。その後に、安全で快適な空の旅の為に、お守りいただきたい5項目について、女性のキャビンクルーが説明をした。

 機体はゆっくりと滑走路に向けて動き出した。いよいよフィリピンともお別れだと思うと胸が締め付けられるようだった。

 漆黒の闇の中に滑走路のライトが迫ってきた。マニラで出会った方々の顔を思い出そうとして、まず頭に浮かんだのが桶まんごろうだった。

 飛行機は速度を上げて離陸の体制に入った。

 エンジン音が大きくなったので隣の人を気にせずに、桶まんごろう、まじめに謹慎しろよ。おぬしに会えて写楽が誰だかわかって嬉しかったよ。10年後に会うのが今から楽しみだよ。それじゃーまたなって窓に向かって言ってみた。

パンダ

 機体は斜め上空に向かって飛行していた。その時飛行機と並走するように空にのんきに浮かんでいるパンダが見えた。

 私は思わず“あれは何だ!”って叫んでしまった。窓際のフィリピン人が「You scared me. What do you mean?」びっくりした。なんなんの?といいながら私を怖い顔で睨んだ。

 私は「I’m so sorry. You know, I saw a panda. I mean, I’m afraid of height. 」大変失礼しました。私はパンダを見ました。えーと、間違えました私は高所恐怖症なのです。とその場を取り繕とりつくろったが、彼は私の事をアブナイ人と認識したようで二度と私の方に顔を向けることはなかった。

 機体は安定飛行になりシートベルトのサインが消えたので、頭上のロッカーからノートパソコンを取り出して、記憶をたどりながらローマ字入力でキーボードをたたいていた。

気が付くと機内でパンダが飛び回っていた。そして”ご隠居ご無沙汰でおま”と、声を掛けてきた。

 私はビックリしたが声を出さず頭の中に「おぬしは謹慎中のはずじゃがどうしたんじゃ。」という言葉を思い浮かべてみた。

 桶まんが言うには、彼のレフリーからご隠居の寿命について話したことで、一発レッドカードを出されたが、VARにより一発レッドカードでは厳しすぎるという判定が下されたという事だった。

VARについて詳しく聞いてみると、サッカーで採用されているビデオ・アシスタント・レフリーの事で、問題になった場面をもう一人のレフリーがチェックして再ジャッジをする事らしい。

 桶まんが私の脳に一瞬だけ送ってくれた、私の担当になってから私が死んで任務を終えるまでの任務表が実は他人の物だったことが判明し、今回の事は一発レッドカードではなくイエローカードに変更された。その為次にイエローカードが出されるまで私のまんごろうの担当をするそうだ。

 それを聞いて私は怒りが込み上げてきた「するってーと何かい?わしは10年後に生きているかどうか分からいないってことになるんですかな?」と冷静を装って頭に思い浮かべてみた。

 桶まんは、そうでげす。と意味ありげに答えてくれた。

 私が頭に思い浮かべた言葉は「何ってこった、おぬしがご隠居は10年後も生きていると教えてくれたので、この先もだらだらと悠々自適に生きていこうと決めていたのに、いつ死ぬか分からないんだったら一日一日を大事に生きていかなきゃならんじゃないか。」だった。

 桶まんは、ご隠居が死んじゃっても親魂には次があるでげすと、お気軽に話してくれた。

 それと色々話しかけてくるので、今回のスタディアブロードについてのまとめをノートに書くのに、桶まんは邪魔なので何時もの合言葉が思い出せなかったので、適当に “とっとと失せろべらぼうめ、いい加減にしろ、このおたんこなす”といったらパンダの姿は見えなくなった。

photo album

 貰ったphoto album を開いて、一ヶ月を思い出しながらノートに書いている。しかし、写真も文字も霞んで見えない。いつの日か今回のスタディアブロードの事を本にまとめられたなんてアホなことを考えていた。

 夜中なのに不思議と眠くならないのでスクールでの英語での挨拶の時に耳の芸が大ウケした場面を思い出していたら、思わず吹き出してしまった。

 窓際のフィリピン人がおびえるような目でこちらを見ていた。

 記憶があいまいなところは桶まんを呼び出して奴に教えて貰いながらノートに書き留めた。

しかし、流石に疲れたので少しだけでも眠ろうと目を閉じた。よほど疲れていただろう自分では5分ぐらいと思っていたが随分時間が経過していたようで、女性のキャビンクラークから声を掛けられてハッとして目を覚ました。

これからの人生も一緒に歩いて行こう!

 話の内容としては着陸態勢に入るので手荷物やノートパソコン等を頭上のコンポーネントにしまってくださいという事だった。

私は頭上のコンポーネントの中のリュックにphoto albumとノートをしまって、スマホをポケットに入れて座席に腰を下ろした。

まもなくして先ほどの女性のキャビンクルーがマイクを持ち、機内アナウンスが始まった。日本語のアナウンスはなるべく聞かないようにして、英語でのアナウンスの方を集中して聴いてみた。

私が聞き取れたのはまもなく成田国際空港に着陸しますのでシートベルトを締めてください。そして座席は元に戻してください。電子機器は電源を切ってください。成田の気温はマイナス5度、雨、などという内容だった。

今回のスタディアブロードにおける英会話のテストは、機内アナウンスと空港のアナウンスを聴きとることだったので自分の採点としてはほぼ合格。

 飛行機は予定通りの時刻に着陸した。そして再度キャビンクルーからアナウンスがあったが定番の内容なので、改めて英語のアナウンスに聞き耳を立てることはしなかった。

 車窓から見えたのは夜の成田だった。スマホで確認すると今日の日の出時刻は6時30分前後の予定なのでそれまではまだ1時間半ほどある。

 飛行機が完全に停止したので乗客はコンポーネントから我先にと手荷物を取り出して降りる準備をしていた。

私はスマホのLineで連れ合いに成田に到着したことを報告してから、おもむろに立ち上がってコンポーネントから二つのリュックを下ろした。

 そして、乗客が少なくなったのを確認してから、キャビンクルーにありがとうございましたと言ってタラップを降りた。

 傘を持っていない私は雨の中を二つのリュックを片方ずつの肩に掛けながらバスに乗り込んだ。

マニラはネバーランドだった。

ネバーランドへ

まもなくしてバスから降りて入国審査を通ってターンテーブルでキャリーケースを受け取り、税関検査終了後到着ロビーへ。

 その時lineに連れ合いから私も飛行場の駐車場に着きましたと連絡があった。同時に代官からもlineで僕は第一ターミナルのロビーにいますが、成田に着きましたか?という投稿があった。

 二人にlineで私は今から第一ターミナルに向かいますと書き込みをしてから、歩き出したが正直にいうと代官と連れ合いを引き合わせることにためらいもあった。考えてみるとこれから代官はともかく、桶まんごろうと付き合っていかなくてはならないと思うと先々の事が心配だ。

 第一ターミナルについてキョロキョロしていると、やあ、久しぶりという懐かしい声に促されて振り向くと、強面の顔があった。

 まもなくして、ふわふわした白い綿のようなものに包まれた連れ合いが近寄ってきた。元気なようで何よりですという彼女の言葉に、マニラで思いっきり楽しんできたよと笑顔で返した。

 あなたの周りのそのふわふわした白い綿のようなものは何なの?と訊かれたが自分には見えなかった。

 白い綿のようなのもについて代官に話してみたが彼には全く見えないようだった。

 桶まんごろうが「ご隠居、それはとても幸せな時にだけ現れるオーラで、幸せを感じている人にしか見えないのでござる。」と教えてくれた。
パンダからどうして助さんの話し言葉に変わったんですかな。とツッコミをいれてみたら私が助さんを頭に思い浮かべたからだという。

そして自分の幸せのオーラは自分自身では見えないのでござる。と、説明してくれた。幸せのオーラの事を連れ合いに伝えてみた。すると、妻が「私にもあなたの周りにふわふわしたものがみえるわ。」という言葉が返ってきた。私は連れ合いも幸せだと感じていてくれることがとても嬉しかった。

代官に連れ合いを紹介したが、彼がフライトまでそんなに時間がないというので、立ち話だけで別れた。しかし別れ際に代官からシゲに折り入って相談があると言われた一言がとても気になった。

そして、連れ合いから「あなた、この一ヶ月はどうだったのですか?」
と訊かれて、僕にとってマニラの一か月間はネバーランドにいるようだった。と答えた。

そうしたら連れ合いから「あら、それは良かったこと」と、自分の事のように喜んでくれたのが本当に嬉しかった。

 考えてみるとマニラでの一か月間のスタディアブロードは、英語の勉強よりも自分自身がどれほど幸せなのかという事を確認するご褒美旅になったのだった。

この先の人生もよろしく!一緒に歩いてゆこう

 私は妻に「この先の人生もよろしく!最期まで一緒に歩いてゆこう」と言って、何年か振りに手を繋いで駐車場まで歩いた。


おわり

 


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