小説『アムネシアの花畑』 【2854文字】

私の古くからの親友が息を引き取った。享年18歳。死因は不慮の交通事故。突然の事だったそうで、私もつい先日叔母さんから知らされたばかりだ。

生前、彼は明るくて、リーダーシップがあり、周りからの評価も高く、ここ数年は疎遠になってしまったが、幼少期は家族ぐるみでの交流があったことを記憶している。

私はよく見知ったはずの彼の葬式に参加したが、不思議と涙は出なかった。そこには空虚な喪失感と虚しさが残滓として残っていた。

何度も顔を見たし、近所に住んでいた幼馴染とも言える彼が、息を引き取った。

私は未だにその事に実感が湧かなかったが、腹の底のもっと奥深いところから今まで感じた事がない、目眩にも似たなにかが襲ってきた。

今にも目の前が真っ白になりそうだ。クローゼットの端から引っ張り出した不格好な黒いドレスは私をたしなめているだろうか。

式の前に、彼の母親にも挨拶したが、とてもまともに話せる状態では無かった。悔しさと悲しみが交わって、食事も喉を通らないようだった。

今まで、なんとなく映画やドラマなどで漠然と「死」を受け入れてきたが、実際に直面してみればこのザマだ。私には何も出来やしない。

そして、私がもっとも痛感したのは「感情を露わに出来なかった」ことだった。

もちろん親族の手前、血が繋がってない自分が一番泣くのはおかしいが、それにしても彼が焼かれて骨になり、数時間ほど経った今現在に至るまで一滴も涙が零れ落ち無かったのは何故だろうか。

命には始まりがあれば、終わりもある。そんな事は当たり前のように分かっている。

でも、理屈ではない。悲しい気持ちは感じているし、追悼だけを考えれば、本当は気持ちだけで充分なのだ。分かっている。

それでも、彼の為になにか出来ないだろうか。そこを問い詰めた結果、私には彼の為に「涙を流す」ことが自分なりの弔いになると考えた。

そうだ、彼とやり残したことを今からでも振り替えろう。そうすれば、彼との追体験から、涙が出るかもしれない。

家に帰ったら過去のアルバムも確認してみよう。車の中で漫然と揺られながら、そう考えていた。

家路に着き、アルバムをめくると、そこには小学生時代の私たちの姿があった。元気そうに笑う彼の姿を見ると、自然と背筋が真っ直ぐに伸びた。

「神社だ...」 今まで忘れていた。元気そうに彼がピースをしているのは、間違いなく近所にある神社の境内だった。見覚えがある。

どのくらい前の記憶だろうか。少なくとも10年は前の写真だろうか。今まで忘れていた記憶だったのに、今はもう鮮明にフラッシュバックしている。

大きな御神木が祀られており、夏休みで遊びに出かけると、その木陰が涼しいので、自然とこの神社に集まっていた。そこで彼と他愛ない話をしたり、当時学校で流行っていた遊びをしたりもした。

早速、行ってみよう。葬式から帰ってきたその足で思い出の神社へと向かった。

神社の風景はあの頃のままだった。今は秋なので、少し涼しいが、間違いなく同じ風景だった。

でも、懐かしさを占める割合が多く、涙が出るには程遠かった。何故だろうか。少し悔しい。

しかし、流れとしては悪くない。それと同時にこれ以上は無いのではないか?という考えがよぎった。それが堪らなく恐ろしかった。

再び家に帰ると、いつも通りの時間に母親が食事を作り、自分は風呂に入った。ふと目をやるとリビングで、弟が平気な顔でゲームをしているのに無性に腹が立ち、自室に戻り、一心不乱にアルバムを読み返す。

そこで見つけたのは、自分の成長記録と、自宅で撮ったであろう私たちの2ショットなどが見受けられた。

そこで1枚だけ異質な写真を見つけた。無造作に撮られたいかにも素人っぽい写真で、そこには花畑だと思われるスナップ写真が入っていた。

もちろん、そこに映っている花の種類も皆目見当がつかない。それどころか、私には正確な場所すら分からない。

母親にその写真を確認すると「分からない」と一蹴されてしまった。

つまり、家族写真ではないのだろう。私自身の心当たりが全くないのも奇妙だった。

何故だろう、妙な胸騒ぎがする。何かしらの手掛かりがあるはず。そう予感せざるを得なかった。

悪戦苦闘しながらネットで検索したところ、1つ思い当たる節があった。小学生時代に学校行事でどこかの山に登ったことがある。

恐らくこの写真は、その時に見た花畑であり、この写真は恐らく私が父親の使い捨てカメラを借りて、行った時の写真だと思い出した。

ここに行くべきか。少し悩んでから今週末の日曜日に行くことに決めた。

その山は私の住んでいる地域からは、少し離れていて、片道1時間ほどで着く少し有名な山だった。

秋頃とはいえ、山を登るのは体力がいる。あまり大きくない山なのだが、勾配がそれなりにキツく、古くなった木製の立て看板があるだけだった。

昼頃にはもう既に着いていたはずだったのに、辺りはもう少しづつ暗くなり始め、最初は家族連れなどで活気あった道中も、次第に静けさが目立つようになった。

私は何をしているのだろうか?本当にあるのだろうか?など、様々な思いが逡巡していき、ようやく目当ての花畑まで目前となった。

本来の目的は、彼を弔うことだったはずなのに、趣旨が変わってきていると思い始めたが、そこで眼前に広がる花畑を見た瞬間に言いようのない思いが込み上げてきた。

それは彼との追体験に他ならない。今まで顔の輪郭も不安定だった彼の人物像が、花畑の景色を見た瞬間に一気にリンクし始めた。

ここで何があったかも鮮明に思い出した。私が足首を捻挫してしまったのだ。この花畑のあまりの綺麗さに、使い捨てカメラで花畑を撮っていた際に、足を挫いてしまった。

そこで列から大幅に遅れてしまい、足を引きずりながら進もうとしていた私を探しに来てくれた、彼は優しく自ら手を差し伸べてくれた。

頂上から少し下って左手側にある、この花畑は少しだけ見付けづらい。それでも私を見付けて、その足で頂上まで連れて行ってくれた彼の姿は子供ながらに、とても頼もしかった。

何故だろう。今までそれを忘れていたのは。そして、何故私の顔は涙で溢れているのだろう。言葉にすればなんでもない事なのに。

もっと大切な思い出を作れたはずなのに。彼との思い出は高校進学のタイミングで途絶えてしまったけど、本当はもっと深く知りたかった。

今まで強がっていたけど、本当は交通事故なんて受け入れたくなかった。どこか遠くに行ってしまったことを受け入れたくなかった。

最初に聞いた時は耳を疑ったし、とても信じられなかった。本当は無意識に心の奥底に溜まっていた気持ちに、少しづつ嘘を吐きながら進んできた。

今まで私が彼に募らせてきたこの気持ちは何なのだろうか。その正体にも本当は気付いていたのに、彼が亡くなるまで見て見ぬふりを続けてきてしまった。

「そっか... そうだったんだ..」

辺りはもう日が沈みだし、紅蓮を思わせるアネモネの花畑に、大粒の涙を流しながら、白いワンピースの裾が風で靡く自分の姿だけが残った。

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