2018年、30年間憎み続けた統合失調症患者の父のことを、はじめて感謝した日が訪れたこと

いま思えば、父は少し神経質な気があったと思う。
ふたり姉弟の末っ子で育った父は、不在しがちな鯨漁師の父(わたしにとっては祖父)を持ったことで、母(わたしにとっては祖母)に過剰に可愛がられた。
地方では珍しく中学から私立の男子校に通った父は、おそらく大人しく優秀な血筋の誉れだったと思う。
漁師の仕事柄、家をあける祖父の代わりに家の貴重な男手にもなったと思う。
大学を卒業し就職し、わたしの母と知り合い25歳で結婚した。
わたしの姉である最初の子どもを病気で亡くし、4年後に子どもを再度授かった。
それがわたしである。

ほどなく、父は統合失調症を患った。
平成の前半、不景気の中仕事は厳しく、また収入は少なかっただろうと思う。
神経質な父はストレスを溜め、精神をすり減らしていった。

わたしが5歳、9歳、19歳のときに、父はそれぞれ壊れた。
父が何かわからない言動をするのが怖く、時にはわたしは道化になってクッションになることを試み、時には妹と母を守るための行動をした。
度々は着の身着のままで警察に駆け込んだ。
また、親戚で体の強い”おんつぁん”にお願いして、父をたびたび強制入院させた。

父は仕事を辞めた。
2008年に軽度の脳梗塞を患った父は、微かな後遺症を患った。
また、ちょうど祖母(父の母)が認知症を発症した。
うまいこと父は障害年金を手にして、また祖母の介護をしながら生きている。
服薬を続け、精神病そのものはなりを潜め、愛犬を可愛がりながらまあまあ穏やかに生きている。


さて、ここからは戸籍上は次女であるわたしの話。

わたしは母を苦しめる父を憎んでいた。
父が壊れる姿を物心ついた頃から知っていた。
母は悩み、怯えていた。わたしは妹と母を守らねばならないとずっと思っていた。
体の大きな男性である父に対抗する力をつけたかったわたしは、
よく食べ、剣道を学び、気づいたら大柄で力の強い女に成長していた。

13歳の時、図書館で精神分裂病(統合失調症)の本を熟読していたわたしは、
「精神病の因子は遺伝する」という文を見つけた。
その頃から、わたしは「いつかわたしもああなるかもしれない」という怯えがあった。
そして、心から父を軽蔑し、憎んだ。なんでわたしが!と思ったし、「普通の家庭でない」ことはコンプレックスだった。

19歳で父が壊れた時、わたしは母に「離婚してはどうか」と勧めたが、
普段父の愚痴を言う母が、その時は決して首を縦に振らなかった。
49歳の母は、「病める時も健やかなる時も夫婦でいると決めたのだから」と涙ながらに主張した。

父はなんとか「戻ってきて」、母が働く間祖母の介護をしているのは前述の通り。
わたしは、ここまで父と母がタッグを組んでいるところを見るのは初めてだな、と思いながら、
26-9歳ごろの、東京時代を過ごした。実家を離れることで、冷静に家族を見ることができたように思う。


さて、ここからは30歳のわたしの話。
2018年1月、職場の人間関係でのストレスから不眠症を発症した。
わたしは、睡眠に異変が訪れたとわかった瞬間、ためらいなく精神病院の予約を入れた。
それは、自分が子どもの頃、父が壊れた時に、父がまったく眠っていなかったことを思い出したからだ。

わたしは「いつかああなるかもしれない」。

その感情がわたしを病院へと運んだ。
わたしは不眠症、そして適応障害であるという診断が下り、服薬を開始した。
また、うつ病であることもすぐわかり、同様に治療を開始することができた。

最近、あのとき迅速に動くことができて、
そして会社を休職して自分を第一に動くことができたのは、壊れた父を見ていたからだ、と強く思うようになった。
そして、当時そうとう父が苦しかっただろうということを知ることができた。
30代半ば、ふたりの子どもと妻を抱え、父を亡くし、母は少しヒステリーで、
不景気の東北地方の都市で、父はどれほどのストレスを抱えただろう。

思えば、母はストレスに対してかなりタフだが、だからこそ父に対して寄り添ってはいなかったかもしれない。
そうすると、父はほんとうにひとりぼっちだ。父は、ずっと孤独だったのだ。


わたしは初めて父のために涙を流した。
家族を苦しめたが、決してわたしや妹、母に対して怪我を負わせたりしなかったし、なんの事件も起こさなかった父。
わたしは、自分が不眠症、うつ病になって、あらためてそのありがたさを感じた。

10年前、20年前の父が、今のわたしを救ってくれたように感じた。
わたしが小学生の時にはすでに運動会にもめったに訪れなくなった父。
可愛がられている、という意識を持つことはあまりできなかったが、
年数を超えたバトン、叡智、希望のようなものを受け取った気分になった。

父は今、愛犬を可愛がりながら、祖母を介護し、まあまあ穏やかに暮らしている。
文句がないわけではないが、できるだけ穏やかに余生を過ごしてほしい、と感じる。


2018年は、人生の中でもかなり特異点となる年だったと思う。

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