7.1サラウンドの景色〜アラフォーHSPバイク日記〜

 バイクに乗ると景色が変わるという。だが、具体的にどう変わるかを語っている人は少ないと思う。私は実際にバイクに乗ってみて、その変わりように衝撃を受けた。あまりに衝撃を受けて、しばらくひとりで悩んでしまったほどだ。そして今もまだ、悩み続けている。

 予告なく突然、世界は変わってしまった。『禅とオートバイ修理技術』の著者ロバート・M・パーシグは「オートバイには枠がない」と言った。それゆえ自然と一体になるとか、五感を刺激されるとか言うことは、確かにその通りなのだが、実際に体験することはそんな冷静なものではない。

 例えて言うなら、自分の部屋で、ラジオのモノラル音声でゆっくり味わっていたものが、突然7.1サラウンドの大空間シアターに放り込まれたような感じだ。音だけの話ではない。聞こえるもの、見えるもの、肌に感じるもの、匂いや風圧、そう言った外部的な要素はもちろん、自分の内側の恐怖、緊張、不安、奢り、羞恥、そう言った感情まで、全てが自分の周囲360度、7.1サラウンドに拡張されるような感覚だ。

 音響が7.1サラウンドなら、映像は4D の最新のビッグシアターだ。しかも私にとって初めて運転をする大都市の公道。シアターに流れる映像はジュラシックパークかスターウォーズの戦闘シーンだ。つまり私はバイクに乗った途端、7.1サラウンドで4Dのジュラシックパークに、生身のまま放り出されてしまった。

 大袈裟だと笑う人もいるだろう。けれどHSP気質ということがどういうことであるか、少しは理解して頂けると思う。しかもHSP気質というのは、ラジオのモノラル音声でも十分に楽しく味わったり、うっとりと陶酔したり、時にはうるさいと感じてしまう。決して物足りない、ということはない。だから7.1サラウンドで4Dのジュラシックパークは、あまりにも情報過多だ。

 そのように拡張される現実がHSP気質によるものなのか、もしくは刺激物によって分泌されるという脳内麻薬のエンドルフィンやドーパミンによるものなのかは分からない。バイクに乗って体験すること、見える景色はその本人だけの唯一無二のものであって、誰かと共有することはできない。そのことはまた、私たちの存在自体が唯一無二で、代替不可能だということも教えてくれる。

 そこには見たくないものもある。現実に道路を走っているのだから、命の危険もある。車体が重いということで、下手に取り回すと怪我をするかもしれない。バイクにのるということは、そう言ったことは承知の上で、体格に合った車体を選び、指導を受け法規に沿って走るということだ。しかし「承知の上」というのは、あくまで頭で理解するということ。本当に命の危険を実感しながらでは、誰もバイクを楽しむことは出来ないだろう。しかし拡張された現実の中では、そうはいかない。身に迫ってくる可能性を忘れたり、無視することは出来ない。それだけでなく、自分自身の不安や至らなさ、見たくもないし向き合いたくもなかった自分の弱さや未熟ささえも、突き付けられる。バイクに乗り始めてすぐ、こんな極限状態で乗る乗り物なのか!?と衝撃を受けたが、見える世界も感じる恐怖もここまで拡張されてしまうのは、HSP気質に特有なのかもしれないし、それは分からない。

 もちろん、それだけに美しい景色に出会った時の体験は身に余るものがある。断っておくが、私はまだ走行距離1000km未満の超初心者だ。バイクに乗って見る景色というのをそんなに多くは知らないし、数々の絶景スポットを訪ねた訳でも、もちろんない。ツーリングどころか、まだ家の近所の半径20km以内くらいを練習している段階だ。けれど言いたいのは、それにも関わらず言葉を失うほどの瞬間に出会うことがあるということ。空が綺麗なだけで、あるいは川に映る街の明かりのリフレクションに、あるいは街路樹の美しさに、涙を流すことがある。それらはずっとそこにあったのに、バイクに乗る前までは見えていなかった。いや、見えていたし知っていたけれども、バイクに乗るまで、きっと「本当には」見えていなかった。

 一体これらは錯覚なのだろうか。バイクに乗る以前に見ていた景色と、バイクに乗って見えた景色と、どちらが本当なのだろう。けれどきっと「どちらが本当か」ということは重要ではない。重要なことは、その両方の景色が今、私の中に存在しているということだ。バイクに乗り始めた今、私はどちらかの世界を自由に選べるし、その両方を自在に行き来できる切符を手にしている。開かれたもう一つの世界が、私の中で芽吹き、生き生きと動き始め、まだ私が追いつかないくらいのスピードで流れていく。まるで夢を見ているようで、心も身体もあまりに翻弄されるから、ほとんどキャパオーバー状態なのだけれど。

 乗り始めてまだ間もない私は、そんな現実の中でもがいている最中だ。慣れていくしかない。そこに飛び込んでいくしかない。そこには超絶恐ろしいものも、超絶美しいものも同時に存在している。そして、普段から勇敢でも何でもない私は、そこに飛び込めるところまで、自分のメンタルを調整していかなければならない。もしかしたらそのことも、私がバイクに乗る理由、私にバイクが与えられた理由なのかもしれない。

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