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馬と鹿、でしょましょ

たまたまおすすめに出てきた、米津玄師さんが『馬と鹿』リリース記念として昨年9月に出したラジオ。

ここで米津さんは、「馬と鹿」の制作にあたっての想いを中心に、カップリング曲や「海の幽霊」「パプリカ」などについて、幅広く語っている。

「馬と鹿」と聞くと、多くの人がラグビーを思い起こすのではないだろうか。ラグビーが題材のドラマ「ノーサイドゲーム」で、いつも絶妙なタイミングでかかるこの歌に涙した人も多いだろう。ご存知の方もいるかと思うが、私はラグビーが大好きだ。だから私にとってもこの曲は、本当に特別であり、改めて歌詞を聞いた時は、浮かぶ情景が多すぎて胸が締め付けられた。

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さて、今回ラジオを聞いていて、私は初めて「馬と鹿」のカップリング曲「でしょましょ」のことを知った。そして、この曲に込めた想いと、なぜこの曲が「馬と鹿」のカップリング曲かを知って、震えた。

「馬と鹿」がどんな曲かは、知っている人が多いだろう。何かに熱中し、熱狂する。我を忘れて、ただひとつ、1点だけを見つめて猪突猛進していく。苦しいことに耐え抜き、たくさんの誘惑や迷いをそぎ落とす。ただ自分が本当に欲しいものを追い求め、もがきながらも進んでいく姿は、うらやましいほどに馬鹿ばかしく、美しい。それらがポジティブに描かれているのが「馬と鹿」だ。

では、カップリング曲の「でしょましょ」はどんな曲か。端的にいうと、狭い視野の中でひとつの物やその正義を狂気的に信じる異常性と危険性をネガティブに描いた曲であると言えるだろう。そう、「馬と鹿」とは対極にあるようなメッセージ性があるのだ。音色も、何ともいえない不気味さで、私は少しぞっとしてしまう。

米津さんは、令和になり度重なる凄惨な事件(通り魔や放火など)に対して、正義心や義憤を装いながら、とてつもなく悪辣な言葉が出てくるような怒りの渦を、狂気的な流れとみている。(加害者に対しての擁護ではないことを明確に言っている。)

少し、ラジオから言葉を抜粋したい。

——正義心だとか義憤というものに皮をかぶって、自らの後ろ暗い欲求を正当化しようとする、そういう流れを見た時に、俺はそれに加担したくないと思ったんですよね。例えば、生産性で人を測る言葉だったり。生産性のある人間たちより、生産性のない人間は生きていても価値がない、だから生まれてくるべきではなかった、ということをさも当たり前のように言う人たちが沢山いる。俺はそれに加担することはできないんですよね。(中略)生産性のある人間を優先せよ、生産性のない人間は死んでも然るべし。そういう流れの中で俺は生きていくことができない。(中略)いろんな正義だったり義憤だったり、そういうものを免罪符にして、自分の欲求を隠し通そうとする。そういう行為には加担したくないなとずっと思っていて。それがこの「でしょましょ」という曲に出てるなと思いますね。
——もしかすると「馬と鹿」で言ってたことと、真逆なこと言ってるかもしれないんですけどね。スポーツマンとかがひたすら相手を打ち負かす、自分達を高めるという一点を向いてる。狭い視野の中で一点を見つめるというその熱狂的な流れに対して、俺は美しいと思うし。かたや「でしょましょ」を作るにあたって感じた一点を見つめる感じというのは、不気味に感じる。それは自分自身、そことどうやって折り合いをつけていくべきなのかというのが、音楽を作る上でも、人として生きていく上でも、自分の中の至上命題というか。その両方を踏まえた上で自分はどこへ行くのか、そういうことばっかり考えていたかもしれないですね。

おわりの方に米津さんが言っていた「折り合いの付け方」。米津さんが「馬と鹿」、「でしょましょ」をカップリングにするように、このバランス感覚こそが、大切なんだろうと、私はとても感じた。

この折り合いの付け方は、私にとっても、まさに今悩んでいる部分でもある。今はどう折り合いをつけていくかは分からない。一元的な価値の中で追い求めるからこそ為し得れること、見える世界に、無条件に心が惹かれる自分がいて、それが人を巻き込み心を動かすパワーを持つことも知っている。そして、それだけ無我夢中になれる幸せも知っている。でも、時にそれが、狂気的なものとなり、人を傷つけ排他的になることもよく知っている。どうこれを頭でっかちにならずに、バランスを取って生きていくのか、考え続けていきたい。

ちなみに米津さんは、以下のように話していて、そういう中間的な立ち位置の取り方があるんだな、と新しい発見、、!

何か指針を立てて、何かを美しいと思いながら、何かを信じながら生きていくというのが絶対に必要なことであって。そう考えた時に、何も信用しない代わりに、ありとあらゆることをちょっとずつ信用するってことをずっとやってきたなと思うんですよね。そうすることで、何も信用せずに済むと。(中略)この人はこういう側面があって、こういう美しさがあるけれども、裏を返せばこういう醜さがあって、一つ一つ紐解いていくほど、自分がどんどんゼロになっていくというか。どんどん自分が透明なものになっていくから。そうやって自分の立場を保ってたような気がするんですよね。

※もう少し気になる方は、このインタビュー記事がラジオ以外だとわかりやすそうなので是非^^