ざわめき

後輩たちが荒ぶるをとった。


満員の国立競技場。
喜ぶたくさんの人々。
長い間応援してくれたたくさんのファンの方々。
新しくラグビーの虜になる人々
喜び涙を流す下級生たち
度上げされる監督、そしてキャプテン。


とりたくて、とりたくて、とりたくて仕方がなかったものを、
見たくて、見たくて、見たくて仕方がなかったものを、
恩返ししたくてしたくてしたくて仕方がなかったものを、
歌いたくて、歌いたくて、歌いたくて仕方がなかったものを、
後輩たちが今手にしている。


たくさんの OB たちが言う、「おめでとう。」と「お疲れ様。」。
どれだけの思いがそこに含まれているのだろう。

ありがとうじゃなくて、おめでとうしか言えないこの他人事感。
「おめでとう、ありがとうございます」を繰り返すたびに、とったのはお前じゃないと言葉が自分の胸につきささる。


現役のみんなの努力が報われたこと、本当にうれしい。
いや、みんなと言っていいかはわからない。
けど、スタッフや出ている選手たちは報われた気分がしたはずで。
現役の時は、私の代が荒ぶるをとることで、少なくても私と被っている代の先輩がたが報われるだろう、だからこそ私の代が頑張らなくちゃいけない。そんな気分でやっていた。
でも、OG として荒ぶるに立ち会った今、一ミリたりとも報われる気分になんかならなくて、「おめでとう」でしかないんだ。

ただ、本当に後輩たちに感謝したいのは、ファンの方々に、荒ぶるを歌うという恩返しをしてくれたこと。これに関しては、私たちの分までファンの方に恩返しをしてくれた、と感じられて。ファンの方が早稲田ラグビーに捧げ続けてくれた愛を、やっと、最大の形で還元してくれたこと、それが本当に心からうれしいしありがたい。ずっとずっと、苦しいときも低迷しているときも応援してくれた人が、早稲田を応援していてよかったと思ってもらえたこと、荒ぶるを歌えたこと、荒ぶるに立ち会えたこと、それが本当にうれしい。この最高の形の恩返しを、私たちの分までやってくれたって感じられている。ありがとうが尽きない。


ただ、やっぱり、私が、恩返ししたかった。
ただ、やっぱり、私の代がこの喜びの渦を作りたかった。
ただ、やっぱり、私が感謝を荒ぶるという形で示したかった。
ただ、やっぱり、私が応援してくれている人の笑顔を作りたかった。

そう思ってしまうんだ。
だから今更どうって話じゃないんだけどね。

ただ、自分の代の主将を度上げしたかったという思いや、自分の代の主務に日本一の主務という肩書を上げたかったという思いや、いろんなあの時の思いが、こうも鮮明にフラッシュバックするのかと、驚いている。

後輩が日本一のマネージャーだね、と声をかけられているのを聞いて、自分が「日本一へと導くマネージャーになれなかった自分」であることをはっと思い出してしまう。


人から、一年遅かったね。と言われて、一年遅く生まれてればよかったね。と言われて、
浪人してよかった、といった類の言葉を聞いたりして、
違う、違うんだ。荒ぶるはもらうものじゃなくて、とるものでしょう。と
この1年、頑張ったあなたたちがいたから、今年荒ぶるをとれたんだって。そう思うからこそ、私はどうしても、荒ぶるを歌えない。


私は今日、気が付いた。
私はもうファンには戻れないのだと。
私はどれだけこれから早稲田ラグビーを応援しようとも、その応援している早稲田ラグビーが優勝しようとも、荒ぶるだけは歌えない。荒ぶるは、歌えない。
歌わせてもらう荒ぶると、自分が歌う荒ぶるは違いすぎる。
まだ、歌わせてもらう荒ぶるを歌えるほど、私の4年間の記憶は薄れていない。その重みを忘れていない。