「みんな」とは

授業の時間だよ。今日は「みんな」という分類の一種について教えるよ。

「みんな」というのは、一つの空間に自分以外の人がいる時に生まれる現象で、その空間にいる全ての人間のことを「みんな」と言います。対義語は「銘銘」または「各々」これに関しては余裕がある人だけ覚えておいてね。

例えば、この教室を一つの空間とするならば、この教室で授業を受けている全ての人間は、全員「みんな」ということになります。

さて、「みんな」の基本に関しては大丈夫かな? ここから難しくなるよ。

先程先生は言いました。「この教室で授業を受けている全ての人間は全員みんなである」とね。先生から見たら、君達は「みんな」で分類できる。

問題なのは、君達に話をしている私は「みんな」に分類されるのか否か。

例えば、此処に丸があるとしよう。この丸は授業に関わるっていう意味ね。丸の中のものが「みんな」に分類されるもの、外側にあるものが含まれないものね。丸の中に無数の点がある。これを君達だとしよう。だとしたら、私はこの丸を描いた線の上、此処にいることになる。つまり、「私」という人間は「みんな」という分類にも入っているし、それ以外の分類にも入っていることになる。この曖昧さが「みんな」という分類の問題であり、怖さなの。はい、ここテストに出すからね。

では、具体的にどういう風に問題なのか。一つ目は被害妄想を掻き立ててしまうことだ。

例えば、一人問題児がいるとしよう。先生はお決まりのように「みんなを見習いなさい」という。本来ならば、この問題児も「みんな」に分類されるはずだがまるで彼は「みんな」の対象外のような口振りで話す。この子は混乱しただろうね。言葉の意味とは違うことを言っているのだからね。だから、問題児は先生にこう言った。

「俺はどうせ『みんな』とは違うんだ。俺だけ仲間はずれなんだ。俺は『みんな』になれないんだ」

彼にも問題があった。ただ、問題行動だけが問題じゃなかったんだ。彼には理解力が足りなかったのだ。先生にも悪気はないのだ。ただ、彼がちゃんと理解出来るように説明しなくちゃいけないことを省いてしまっていただけなのだ。あ、此処は記述で書いてもらうからしっかり覚えておくように。

二つ目は具体性に欠けるため誤解を招きやすいことだ。例えばこういう問題があったとしよう。

「A君はいつも年下に暴言や暴力をしてしまう。それを見ていたX君やY君は、A君を避けるようになった。あなたが『みんな』だったら、A君のことをどう思いますか?」

一般的には「A君を怖いと思う」や「暴力を振るわれそうだから友達になりたくない」と答えるのが普通だろう。だが、中にはこういう問いかけをする人達もいる。

「この『みんな』というのは誰のことですか?」

質問の意味が理解出来ない者もいるだろう。私も最初、この質問を聞いた時は驚いた。だが、確かに言われてみればその通りなのよ。むしろ、何故私達はこのように答えを求めることが出来るのか。
この架空人物しかいない架空の空間に「私」という人間はいないのに、まるでその場にいたかのように「みんな」の分類に入れられている。この問題の世界に「私という人間」は存在しないのに。

この世界には「私という人間」は存在しないのだから、その場に私という人間を召喚するか、取り憑く人間を指定するしかない。私達は方程式に答えるように、憑依する人間を決めているのだ。そして、その行動を無意識のうちに行なっている。何が問題点なのかと不思議に思うだろう。
だけど、よく考えてほしい。この憑依先を間違えていたら、私達は一般的な答えにさえたどり着くことが出来ないのだ。それはとても恐ろしいことなんだよ。

おっと、チャイムが鳴ってしまった。
では、次回は小テストから始めますね。しっかり復習してくるようにね、みんな。

では、解散。


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