表現についてくだをまく

私は「表現」をする(私の場合は絵や漫画を書く、デザインをする)ことでコミュニケーションの問題をなんとかして生きてきたのだけれど

私の活動のミッションとして「表現」という言葉を使うのは主語が大きすぎる気がしてならない。

何を持って「表現」とするのかは人それぞれだし、極端なことを言うとわーわー喚くだけでも「表現」だし。

でもですね、思い出すのが、知的障害の人が書いた絵。

普通の方法では気持ちや思いを表すことができない困難が、あの、極めて純粋で、原始的で、圧倒的な「表現」を生み出す。

芸術を嗜む者の端くれとして、アレには勝てん、といつも思うと同時に「表現」のおおきな可能性を感じる。

私が持っている「表現」の「手段」が、他者や社会に、どのように問題解決に導けるのか、影響を与えられるのかがまだ答えが出せないことに妙な焦りを感じる。

行動が「(自己)表現」だよとはよく言うたもので。
相手がいないと成立しないのにブログやらTwitterやらで好きなことだけを書いて「表現」と言えるのか。

だから、自分にとって、何をもって「表現」とするかだよなあ。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

7

茶鏡あや

わたしはほんとうにデザイナーになりたいのか

30代、スキルほぼなしの茶鏡が「Webのことも話せるデザイナー」という夢を突き詰める連載です。とりあえず、2018年3月の間だけ。デザインワークつくったり求職の記録も書く予定です。

コメント2件

「表現」をもうちょいカジュアルにした言葉があればいいんですけどね(^^;)
カジュアルが正しいのかわからないのですが、的を射てて伝わる言葉があればなと思います。結局は言葉遊びになってしまうのですが。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。