障害者手帳と仕事のこと

29歳で最初に就職した会社を辞めた時に、病院の先生勧めで「精神保健福祉手帳」(以下、障害者手帳)を取得した。

子どものときに障害児学級に入れられ、25歳で発達障害を宣告されて、まだまだちゃんと受け容れられていないのに…とまあ、過去のいろいろな話はまた書くとして、私は住まいの奈良県から正式に障害者として認定されるのである。

抵抗がなかったわけではないけれど、勧めに従ったのは「障害者雇用での就職」を視野に入れるためだった。

職安で求人を見ていても最低賃金に近い仕事しかなかったし、まず自分に如何なる配慮が必要かという職安のスタッフの質問に、戸惑ったのである。

障害と自分をきちんと見つめるため、就労移行支援も考えたが引きこもりではないので二年で20万円もの利用料は払えなかった。

そんなこんなで、クローズドでも探していたら職が見つかったのでそこに入ったのはいいが、きちんと面接をせず、会社の求めるスキルに達していなかったことと、自分が発達障害で年中コミュニケーションや何かしらの不安を抱えていることを知った社長は、発達障害に詳しい人から聞いたとかなんとか言って、ひどい仕打ち(って書くとやや大げさだが、他の人が聞いたらこれはいじめらしい)をしてきた。

まず、耳と発話が一切あてにならず、コミュニケーションも仕事も書くものが生命線の私から、筆記具を奪い取った。

パソコンでのメモの取り方ややタスク管理から、「行動指針」を細かく決められてしまい、簡単に言うとすべての行動を社長の言う通りにしろといった感じである。

守ろうと努力しても守れない(たとえば、わからないことがあって質問をするときも、相手に伝わるように準備をしてから質問をするのだが、そんな準備はいらないからすぐにやれ、など。)し、常に綱渡りで不安な心理状態で仕事していると、なんでそんな不安に苛まれているのか意味がわからないと言い放つ。

社長からしたら配慮・矯正のつもりでやったのかもしれないが、苦痛でしかなかった。病院の先生からも「私がこう言うことをいう立場ではないが、辞めた方がいい」と言われる始末だった。

結局のところ、私が首を切られるか自分からやめるかのチキンレースになってしまい、負けてしまった。4、5ヶ月ぐらいだったかと思う。

自分なりの思考やペースで進めたいと考える私に「高品質なものを効率よくつくる」という社風にはそらこの会社合わないわなとは思ったが、働くことがもうできないんじゃないかと真剣に考えたし、いまは先述の会社と違う会社で働いているが、働くことに対する諦念はずっともっていて、いまもいつ首を切られるかやきもきしている。

いまの会社では比較的落ち着いてやっているが、時々やってくる、仕事にならなくなる精神の不調をどうするかをお互いどうしていいのかわからぬ感じになってしまっている。

当時、働くことに対する絶望感を綴ったブログがある。次の記事に転載するので、参考にしてほしい。

手帳は結局、まだ就職活動には使用していない。(なにに使っているのかというと、職安から失業手当を多くもらったり、市からのバウチャーを受け取ったりしている)

たぶん次は障害者雇用なんだろうなと思っている。

失業中に、障害者就労のセミナーに行ったことがあるが、首都圏では法定雇用率のことから障害者の取り合いであるらしいが、働くのだから配慮をつたえるのもそうだけど自己PRをしないでどうするんだ、みたいな話だった。

求める配慮にしても、自己PRにしても、まずは自分を知らなければならない。それはすべての人にとって簡単にできるかといえば、そうじゃない。

特殊な配慮はいらない、隠して、耐え抜いて働くのも、選択のひとつである。

40の声が聞こえてくる歳の自分に根性論はもう合わない気がする。(根性論、嫌いじゃないけどね)

私のしてほしい配慮は、スタッフと気持ちよく働くためのルールは守るから、仕事のやり方に関してはほうっておいてほしい

…んですけど、これじゃあふわっとしすぎだから、今の間に、得意苦手や、精神の不調への対策をねっておこうかな。


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