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小説「たいせつなもの」

 世界中のどの陸地からも極めて遠く離れ、見つかることもほとんどない島があった。
 その島に住む者は藁や葉っぱで作った家や洞穴などに住み、野菜を作ったり、獣や魚を捕まえたり、草木や果実を集めて生活の糧としていた。そしてほぼ毎日のように、島のほぼ中央にある最も高い丘にある“イチバ”と呼ばれる広場に集まり、それぞれ欲しい食料を交換しあっていた。何の食料を持ってくることができない者でも、石や器の加工が上手い者はその手間の代わりに食料を得るものもいたし、絵を描いたり、歌や踊りで人々を楽しませ、食料を得るものもいた。たとえその日に食料を得ることができなかったものも、大勢から少しずつ食料をわけてもらえたので、島で飢えるものはいなかった。


 その島の海沿いにザラという少年とその父が、岩石の洞穴に二人で暮らしていた。ザラは父の魚捕りを手伝いたかったが、父はいつも「見ていろ」というだけで、ザラに魚の獲り方や貝拾いのコツなどを直接教えることはしなかった。そしてザラは言われたとおり見ていた。父の言うことが、見て真似して覚えろ、という意味だとはわからなかったからだ。そしてザラの主な仕事は、イチバに出て父が獲った魚や貝を他に必要な食料に交換して持ち帰ることだった。日頃から無口な父と会話することも少なく、交渉下手なザラは持っていった食料の割に持ち帰る食料が少ないことがよくあった。だがザラの父はそれについて特に何も言わず、二人で食事をして、寝た。そういう毎日だった。


 その父が急死した。岩の上で足を滑らせて頭を打ったのだ。あまりにあっけなくてザラは涙も出なかった。島の中央の丘の直ぐ側には、長老の館がある。島のしきたりにしたがって、ザラは父を背負って館へ行った。長老一家は木でできたしっかりと雨風をしのげる立派な家に住んでいたが、その裏にある墓地に他の島民と同様に埋葬してくれた。そして今後は父を弔うために、できるだけでいいから食料を長老一家に納めるように言われた。


 島のことは全て長老一家が決めていた。長老一家は長老、長男、次男、長女の四人暮らし。揉め事が起こったときも当人同士で解決できなければ長老が決着をつけた。長老の言うことは絶対だった。だがそもそも長老自身が島民らの気持ちを推察し判断するので、長老らに大きく不満を持つものはいなかった。たとえ冤罪であっても(冤罪が冤罪とわかるのは当人らだけだ)、島民らの気持ちを優先し断罪した。真実より島民の気持ちを尊重するのは長老が長老であり続けるための処世術でもあった。冤罪となった無実の本人ですら、疑われるようなことをした自分が悪いと反省した。長老の言葉はそれほど絶対だった。
 また長老は天気を予測するのが上手く、それをさも自らが天候を操ってるかのように喧伝していたので、島民からの信頼は厚かった。
 だが、なぜ長老一家がそのように島を治めるような地位にあるのか、もう知るものはいなかった。


 ある日、ザラが海にいると、沖から船が流れてきた。釣りに使うイカダ船しか知らないザラにとってはとても大きい船に見えた。誰も乗ってないように見える大きな船に異常を感じたザラが泳いで船まで行き様子を見ると、櫂を手にした者たちが何人も倒れており、そして一人若く美しい女性も倒れていた。ザラは船を岸に寄せると島の皆を呼び、船乗りと若い女を看病した。


 島民らの手当を受けて、彼らは数日で元気になった。すると若い女は頼みがあると言い出した。そのエリサと名乗る若い女が言うには、自分たちはある大陸の戦争から逃げてきた、戻る国もないし、そもそもこの絶海の孤島からでは航路もないし他の陸地に向かう方法もない。船乗りともども、どうかこの島に住まわせてほしいと頼んできた。だが長老は断った。この島は他所から移り住むことは許さないしきたりで、今までも全て断ってきたからだ。しばらく生きのびられる水と食料は用意するから、島からは出ていってくれ、と長老は言った。長老の決定は絶対だった。


 ならば、と、エリサは自分の持ち物からキラキラと光る小さな円の板を大量に出した。
「これは私の暮らしていた国ではとても大切にされていたものです。しかし今となっては私達にとって不要なもの。お礼のしるしと言ってはなんですが、皆さんにこれをもらって欲しい」
 その、キラキラと光る、ちょうど親指と人差指で作る円ほどの大きさの丸い板を、彼女らはリラキと呼んだ。リラキは島民一枚ずつ渡された。若いものも、年寄りも、男も女も、赤ん坊にも一枚ずつ。長老一家の四人にも一人ずつ渡された。そしてザラにも一枚渡された。エリサは、真っ先に自分たちを見つけてくれて島の人に助けを求めたザラに丁寧に感謝するとともに、じっとザラの目を見つめ、ザラの手を包むようにして「ありがとう」とそっとリラキを渡した。ザラの心は、今まで体験したことのない感情でパンパンに満たされた。
 島民の皆はもらったリラキの美しさに心を奪われ、まるで神様からもらった宝物のように大切にした。家に飾る者。先祖の墓に備える者。さまざまであった。ザラはお守りのように肌身離さず持ち歩くことにした。


 船は島を離れた。見送りも禁じられていたが、ザラは岸から離れた高い岬に上がり、エリサが乗る船が小さくなっていくのを見ていた。このことはのちに他の島民が長老に報告し、ザラは長老一家次男で力自慢のロウーヨにより、イチバの皆の見ている前で百叩きの刑を受けた。禁じられてたことをしたのだから罰を受けるのは当然だと皆思って見ていたが、それ以上に、ロウーヨの粗暴さが皆を萎縮させ、ああはなりたくないと強く思わせているのだった。


 一人一枚配られたはずのリラキであったが、時が経つとその枚数がズレてきた。
 親が死ぬと親のリラキを子が受け継いで、子は二枚持った。二枚もらった夫婦は子供が生まれても二枚のままだから、船が来る前に子供がいて子供の分ももらった家族とは枚数に差がついていった。そのことが島民の間に微妙な軋轢を生みはじめた。
 同じ家族の人数なのにあの家にはリラキがたくさんあってうらやましい。
 一人暮らしなのにリラキをたくさん持っている。ずるい。
 そしてイチバでのやり取りにもリラキは影響を与えはじめた。とっておきのうまそうな肉が捕れた者がリラキと交換すると言い出した。その男は一人暮らしでリラキを一枚しか持っていなかった(そもそも一人一枚なのだが)。結局その時は皆リラキを惜しんで、食えば無くなってしまう肉と交換するものはいなかったが、皆の中でリラキに対する考えが変わるきっかけになった。
 他にもリラキをめぐる動きは出始めた。
 とある男の女房はリラキ欲しさに他の男と姦通した。あるいはひとり者の男はリラキをやるからと若い女をたぶらかし抱いた。リラキ欲しさに他の者から盗んだり、暴力で襲うものも出はじめた。


 リラキをめぐる揉め事が増えてきたことに頭を悩ませてた長老であったが、ある日急死した。大雨の日に雲を確認するため(島の皆には天に祈りを捧げるなどと言ってあった)の物見台から降りるときに足を滑らせ落ちたのだ。落ちたところを直接見たのはルードだけであったが。
 長男のルードが長老の座を引き継ぎ、長老の持っていたリラキも自分のものにした。
 長老家は代々長男があとを継ぐことになっていたが、ルードがリラキを二枚持つことになったことを次男のロウーヨも長女のイーエンも内心不満に思っていた。特にイーエンはリラキのような美しいものを身につけるのが好きで、長老一家の家族の頼みを理由なく断るものはいないのをいいことに、島民にも美しい石や貝を集め、納めさせていた。イーエンは自分こそリラキを持つにふさわしいと思ったのだ。


 そうしたロウーヨやイーエンの気持ちを察したルードは、ある考えを実行した。
 長老が死んだときの大雨で長老家の裏にある崖の土砂が崩れ、銀色の石壁がむき出しになった。これを加工して、リラキの代わりにしようというのだ。
 長老家では、親が死んだりして行き場のない子供たちを何人も養っていた。養っていたと言っても、ろくに食事も与えず床下に住まわせ長老家の畑仕事などをさせていたのだが、長老家はそれをおおっぴらにしないこともあり、島民はそれを見て見ぬ振りをしていた。自分たちが生きるだけで精一杯なのにどこの誰だかわからない子供の面倒まで見きれないからだ。その子供たちに、銀色の石壁を削らせ、加工させた。円く加工するのは難しいので、四角くして札のようにし、ギンギラと呼ばせた。大きさはリラキとほぼ同じであったが、四角く、ヨレヨレの不格好で、美しくは見えなかった。


 新たに長老になったルードは、皆がリラキを持っていると悪いことをする、だから全て長老家で預かり、代わりに長老家で作ったギンギラを持つように、とリラキ一枚とギンギラ四枚を無理やり交換させた。回収にあたったのはロウーヨである。口先だけは優しく態度で恫喝するロウーヨに逆らうものはいなかった。ある一人を除いて。


 海沿いに済むザラは青年になっていた。だが魚や貝を捕るのはなかなか上達せず、交渉下手ということもあり、イチバでもなかなか欲しい物との交換に応じてもらえなかった。もちろんリラキを交換に使うこともなかった。声をかけられても断固断っていた。ザラにとってリラキは肌身離さず持ち歩くお守りであり、宝物であり、思い出の品であった。
 だから相手がロウーヨであっても、ザラは絶対にリラキを手放さなかった。ロウーヨがどんなに大声を上げ、拳を振り上げ脅しても、ザラはリラキを手放さなかった。ザラにとって、リラキは自分とエリサを繋ぐたったひとつの証だからだ。おびえたザラは岩陰に丸くなって座り込み、力ずくでリラキを取られるのを防ごうとした。その姿を見たロウーヨは呆れて引き返していった。「後悔しても知らんぞ」と言い残して。


 イチバでは、持ち寄ったものとギンギラとの交換で物のやりとりをスムーズにしていた。相手が自分の欲しい物を持っていなくても、ひとまずギンギラと交換し、他に持ち寄られたもので欲しい物があれば、自分のギンギラと交換して手に入れるようになっていた。ザラは、皆が本当にリラキを手放したことに驚いた。あんなに美しい、みんなが心奪われたリラキを、あの不格好なギンギラと交換したのか。
 それでも何かしら必要なものを交換できないかとイチバへ入ろうとすると、体格のいい男二人が長い棒を持ってザラの前に立ちふさがった。名前は知らない。
「お前よ、イチバでモノを手に入れるには、ギンギラ一枚を長老家に納めることになったんだ。お前持ってるのか」
「長老兄妹が決めたんだ。持ってなければイチバに入れるわけにはいかないなあ」
「今からでもロウーヨ様のところへ行ってリラキとギンギラ交換してこいよ。まあロウーヨ様に逆らったんだから、タダで済むとは思わないほうがいいかもな」
 二人の男は長い棒を脅すようにザラに突きつけた。
 ザラはイチバに入れず、とぼとぼと道を引き返した。懐にしまったリラキを握りしめながら。


 イチバに入れなくなって、ザラは食べ物に困ることが多くなった。子供の頃は皆が少しずつ分けてくれてたこともあったが、今はもうイチバに行くことすらできなくなったし、大人と呼ばれる年齢になったザラを心配する者は無かった。父と二人で島の隅にある海辺で生きてきて、父の死後もイチバで上手く交渉もできず、魚捕りも下手なザラには、仕事仲間も妻もできなかった。子供の頃からやってるのに、獲物を捕る腕がいっこうに上がらない。何も食べられない日も増えてきた。なんとか食料を得るため海から離れ、草や木の実を採ってきたり、昆虫や小動物を捕まえて食料にすることもあった。だがそれらにも当然コツがあり、ずっとやってきた魚捕りも上手にできないのに、他のことがそうそう簡単にできるわけがなかった。ザラは腹をすかせて体を動かすのもつらくなる日が増えた。体調が悪くても、イチバで薬草を手に入れることもできない。どうにもならず一日横になって動けなくなる日もあった。それはただ体力だけの問題でなく、自分にできることが無く、これからどうあっても暮らし向きは良くならないだろうという、悲観からくるものでもあったのだろう。


 ある日、ルードがザラの住処へやってきた。弔い代をもうずっと受け取ってない。これ以上滞ると皆の手前、もう墓の管理はできない。お前の父親の遺体だけ海へ捨てることになる、と言われた。リラキを渡すなら今からでもギンギラを渡すし、弔いも続けよう、とも。
 だがザラは懐のリラキをぐっと握りしめ、ルードの申し出を断った。
「そうかあ。お前のお父さんも親不孝な息子を持ったものだなあ」
 実際、ザラの父の墓は掘り起こされ、亡き骸は海へ捨てたと派手に吹聴された。島の皆は、ああはなりたくないなあと、先祖の弔い代を長老家に納めることを忘れないようにした。


 それからしばらくしたある夜。長老家に雷が落ち、火事になった。そこはちょうどイーエンが皆から集めたリラキを集めて飾っていた場所で、イーエンはいつもそこでリラキの美しさを堪能していた。
 そこが燃えた。
 リラキは次々と黒く焼かれ、その全ては輝きを失い、二度と戻ることはなかった。仮にも島民らから預かる形でリラキを集めていたので、イーエンは狼狽した。
 そしてイーエンは、これはリラキを渡さず一人だけ持っている魚捕りのザラが嫌がらせで火を付けたに違いないと、妄想を怒りに変えた。イーエンはロウーヨに人を集めさせ、腕っぷしのいい島民らを引き連れてザラの住処を襲った。
「お前一人がリラキを持つなど、許されるものか!」
 イーエンの指図で島民らがなんとかザラのリラキを奪おうとするも、食事もろくにできず病気がちでやせ衰えた身体とは思えないほどの力で抵抗した。
「だったらもういい!リラキを独り占めするため長老家に火をつけたこのクズを、追い出してしまえ!」
 ザラはロープでグルグル巻きにされ身体の自由を奪われ、ザラが釣りのために使っていたイカダ船に乗せて、海に流した。波に乗って、イカダ船はどんどん島から離れていった。
「船の上で飢え死にするか、海に飛び込んで溺れ死ぬか、好きな方を選びな!」


 潮の流れに乗ったのか、あっという間にザラから島は見えなくなった。それからどれほどの日にちが過ぎただろう。嵐に巻き込まれたザラのイカダ船はあっという間にひっくり返り、海に放り出されたザラは意識を失った。


 ザラが再び意識を取り戻した時、そこには星空が広がっていた。
「お気づきになられましたか!」
 声をかけてくれたのは、エリサだった。リラキを手渡されてからもう十数年経っていたが、ザラは確信した。
 夜の海、小舟の中で、ザラはエリサとともにいた。どうやら溺れそうなところを助けられたらしい。昔見た船よりは小さいかもしれないが、やはり漕手が何人かいた。
「覚えてらっしゃいますか。昔、命を助けていただいた、エリサです」
 そう微笑むエリサに、ザラは懐からリラキを取り出した。
 それを見るとエリサは「まあ・・・懐かしい」とゆっくりと話した。
「あなたのことを忘れた日は、ありませんでした。あなただけが、僕の生きる希望だったんです」
 ザラはそう言いながら、ボロボロと大粒の涙を流し始めた。
「まあ・・・もうあの頃のように若くも美しくもなくなってしまいましたが、ガッカリしませんでした?」
 エリサが冗談めかして問うと、ザラは首を大きく二回縦に、そしてあわてて横に二回振った。
「僕のこと、覚えててくれたんですか」
「命の恩人ですもの。忘れるものですか」
 エリサはそう言って微笑んだ。
 ザラたちの島を出たあと、エリサたちは一度は奇跡的にある陸地にたどり着きそこで暮らしていたが、その地でも戦争が起こり、逃げ出して海に出たという。だが周りに陸は見えず、行くあてもない。
「これから、どうするんですか」
「どうとでもなりましょう。私もあなたも大海の中で生き残ったのです。きっと今度も」
 エリサはそこまで言って、空を見上げた。
「星が導いてくれるでしょう」
 ザラが握るリラキを、エリサはザラの手を上から握りしめた。ザラの涙がさらに大粒になり、いつ終わるかわからぬほど流れ続けた。

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