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高天彦神社で出会った91歳のご老人

■奈良県御所市の高天原

奈良県御所市に高天彦神社という神社がある。近くに鎮座する全国のカモ(鴨・賀茂・加茂)神社の総本社とされている高鴨神社に訪れた際、ついでくらいの気持ちで寄ったのが高天彦神社を訪れた最初だった。

しかし、想像を超える素晴らしさだったので、それ以来何度も訪れている。

この高天彦神社のある高天原は古事記にある日本神話の中で登場する天津神が住んでいた地という伝承が伝わる地。天照大神が隠れてしまい、世界が真っ暗になる「岩戸隠れの伝説」の舞台もこの高天原だとも言われているが、真偽の程は分からない。

ところで、無愛想そうだからか、街を歩いていても声を掛けられたり道を聞かれたりすることは殆どない。しかし珍しいことに高天彦神社では二人の方に声を掛けられた。一人目のオジサンは、境内から参道の写真を撮っているところだったので「写真を撮ったらダメだよ」って怒られるのかと思ったら、「境内から参道向いて写真を撮ると虹色の色が写るらしいですよ?どうです?」ってことだった。しかし、残念ながら虹色は写らなかった。

あとそのオジサンから、なんかこの高天彦神社の近くにあるお寺で、NHKの元カメラマンがいつも撮影している不思議な池があるとも聞いたが場所が分からなかった。

そしてもう一人お会いした方が凄かった。齢91歳のご老人だったのだが、この方の話が凄すぎた。

素晴らしい雰囲気の高天彦神社

■高天彦神社の氏子である91歳のご老人

高天彦神社の御祭神である高皇産霊神は、天地の始まりの時に現れた造化三神の一柱。それがこの地に伝わる天孫降臨神話の大きな由縁であるという。

そして、高天彦神社には、宗像三女神のうちの一柱である市杵嶋姫命、学問の神として有名な菅原道真も御祭神として併祀されている。知らないだけかもしれないが、造化三神と宗像三女神と菅原道真が一緒に祀られている神社ってなかなかない。不思議な組み合わせだなあと思っていたのだが、どうやら菅原道真はこの御所市に深い縁があるのだという。それを教えてくれたのが、91歳(当時)のご老人。話はそれだけに止まらず、神武東征絡みの話で、地元に人しか知らないような話をいろいろしてくれた。

例えば、橿原神宮の現在の場所は、何の縁もある訳ではなく、むしろ現在の御所市にこそ神武天皇が深く関わる地であるとか。他にも長髄彦は個人の名前ではなく、古代から周辺に居た先住民の名前だとか。あと戦争中の話も当事者でないと知らないような話をたくさんしてくださった。こういう方の話ってとっても貴重。実はこっそり動画を撮っていたのだが、こういう方がまだご存命の間に撮って残していきたい。ということで、家も分かっているし、再度じっくりお話伺うためにまた訪問しよう、その時はそう軽く思っていた。

威風堂々の雰囲気

■ご老人となかなか会えない

高天彦神社を訪れた時に出会った91歳のご老人の話が興味深過ぎて、これはもう一度ちゃんとお話を伺ってしっかりと残さねば!と思い、再び奈良御所市まで行ってきた。しかし、残念ながら会えなかった。って言うか、家の回りをうろうろしたんだけど、どうもそこに住んでおられる様子がない。電気メーターも回ってないし、ポストに入ってた関西電力の請求書をチラ見したら、先月、先々月と電気を使用していないようだった。

前にお会いできたのは、お宅の前にある畑を耕しに来られたためと推測。姪っ子さんと来たっておっしゃってたし。仕方なく表札の名前と住所を控えて帰って、珍しい名字だったので、翌日その名前をネットで調べた。親戚がいるかもと思って該当する名前のお宅に片っ端から電話を掛けた。

でも殆ど不在で、たまに掛かっても「知りませんわー」って言われて、あえなく撃沈。やっぱり行くしかないと思って、またまたダメ元で行った。

■え!・・・亡くなった?

最初にお会いして約1ヵ月ほど経ったある日、再び91歳のご老人を訪ねて高天彦神社へやって来た。しかし、期待も虚しく今回も不在。これはもう会えないのか?とも思ったが、手紙でも書こうか、いつか必ず戻って来られるはずだから。いやいやちょっと待てよ。この地で生まれ育ったって言ってたから、地元の人に聞けば分かるかも!と思い、ご近所のお宅に、ヨネスケばりに突撃訪問。

もちろん「奥さん今日の晩ご飯は?」とは聞いていない。かくかくしかじかと説明して、そのご老人のことを聞いてみると、なんと!「ああ、亡くなられましたよ」とのこと、ええええーーー!!マジかいな。あれからすぐに亡くなったのだろうか?でも91歳というご高齢だったしあり得るよなー。『で、いつお亡くなりになったんですか?』と聞くと、「二年前ですよ」とのこと!さらにええええーーー!!では、前にお会いしたあの方は一体?

■御所市の元市会議員さん

しかし、よくよく聞いてみると、亡くなっていたのは、どうやら探しているご老人のお兄さんだった。その探索中のご老人のことは、よく知っていて連絡先も分かるとのこと。ほっと胸をなで下ろしていると、「でもねー、連絡先を書いてある年賀状が、どこにあるのか分からないのよー」。うーん、落ち込んだり喜んだり悲しんだりでこっちも大変ですわー。って感じになったが、そのご老人の連絡先を知ってそうな別のご近所の所まで連れていってくださるとのこと。

着いた先で出てこられたのは、とっても貫禄のある、まるで元東京都知事・石原慎太郎のような風情のご老人。石原慎太郎だが、知事時代に運営していたサイトの名前がなんと「宣戦布告ドットコム」だった。どこにやねーん!さすがの慎太郎。

話を戻して、その慎太郎似のご老人、聞けば、御所市の市会議員をされておられた地元の名士。それどころか、高天彦神社の代表総代のお方だった。これがまた、このお方の話もおもしろい。色んな話を伺ったのだが、本題の91歳のご老人の連絡先もちゃんと教えてくださった。その方曰く、91歳のご老人はやはり地元でも有名な歴史に詳しい方らしかった。いやあ素晴らしい。これで話が伺える!と思いながら早速連絡してみた。すると・・・・。

■地元の名士さん

高天彦神社のすぐ横にあるこの水車。金剛山から流れる水を利用して回っていて「高天水車」というのが正式名称。金剛山から流れる水を、天水というらしいが、いつ来ても美しい水が豊富に流れている。この水車がある土地を所有しているのは、あの石原慎太郎似の元御所市会議員。

また、水車前のお札はその方が直筆で書かれたものらしい。元々は看板業者に頼んでいたのだが、全然作ってくれないんで、結局は自分で書いて作ったんだとか。自分で作ったら、業者に頼む10分の1の値段で済みましたわー、がっはっはっ!とのこと。そこにはこう書かれている。天水によりこの水車は、1回転7秒で廻る。1日は86400秒。それを7で割ると12342.8571。数字に9と6が無いことから「苦労がない」ようにとの思いで、廻ってくださっているとのこと。おもしろいねー。それを、慎太郎御大に直々にご説明いただいた。有り難やー。

奥に見えるのが水車

■やっとご老人の居場所がわかった

さて、91歳のご老人の話だが、御大のお陰で無事に連絡が取れた。御大とお別れした帰り道、車の中から電話してみるとすぐに繋がったのだ。が、周辺の音がうるさすぎてどうも聞き取りにくい。どうやらパチンコ屋にいらっしゃるようだ。「よく聞こえまへんねん」とのこと。元々耳が少し遠いようだったし、パチンコされているのなら尚更のこと。フィーバー中かもしれないし、いったん切って、翌日再度連絡してみた。

どうやら昨日は運動がてらパチンコをしていたとのこと。パチンコと運動の相関関係が不明だが、ここは深堀りしないでおこう。いつもはお昼間カラオケを楽しんでおられる模様。改めて、取材の依頼をしてみたら、ホツマツタエももう自分しか知らないし、自分の家ももう終わるかもしれないから、どうにかして奈良の歴史を伝えていきたいと思ってた、と仰った。良かったあー。

■ご老人にじっくり話を聞く

さて、昨日の91歳のご老人の取材だが、話は日本各地に伝説が残る徐福の話から始まった。そして、あちこち脱線しながらも織田信長の話で終わったのだが、まだまだ話はあるようで、再びお宅にご訪問して取材撮影することになった。とにかく色んなことに詳しくて、幾らでも話してを聞いていれるわー。

しかし、おもしろかったのは、撮影させて下さいと言ったら「ほな着替えてこなあきまへんなー」と言って奥に引っ込み、本当に背広に着替えてこられた。そしてその背広の襟元には、安全ピンで鬼滅の刃の竈門炭治郎と、ピカピカのキティちゃんのバッジがぶら下げてあった。オシャレやん。

竈門炭治郎のバッチ。お孫さんに貰ったものだとか。

2時間ばかり取材・撮影してきたのだが、最初にお話くださったのは「徐福」の話だった。よほど歴史に詳しい人でないと「徐福」のことは知らないと思うが、こう言えば興味が湧くのではないか。「徐福(達)」は、秦(しん)の始皇帝の命を受け日本にやってきた。そして、稲作や多くの技術を伝えたことで、縄文時代から弥生時代に移行した、という説がある。そして「徐福」の子孫は「秦氏」と称したというのだ。

「秦氏」と言えば、松尾大社、伏見稲荷大社、木嶋坐天照御魂神社などを創建したとされる渡来人。そして、日本で最もたくさんの神社で祀られている神といえば?・言わずと知れた「八幡神」。なんとなく似ていないか?「秦(ハタ)と八幡(ヤハタ)」。「八幡神」は古事記にも日本書紀にも記載がないだけに、秦氏絡みだと謎も解けるような気がする。宇佐神宮にもいろんな話があるしね(辛島氏)、興味が尽きない。

さらに言うと、「徐福」と「秦氏」は「古代イスラエル」から渡って来た「イスラエルの失われた十支族」の一族とされている説もある。カメラ好きな人がレンズに凝り出すことを、レンズ沼にハマると云うが、「徐福」や「秦氏」「十氏族」の話の深みにハマっていくと、まるで古代史沼に引き込まれていくって感じだなぁ

■菅原道真の話

高天彦神社では、高皇産霊神と市杵嶋姫命と菅原道真公が祀られている。なんとも妙な組み合わせだなぁと思っていたのだが、91歳のご老人によると、菅原道真は奈良の出身なのだとか(生誕地は京都を中心に諸説ある)。いずれにせよ、信頼できる史料は殆ど存在しないため真偽の確かめようがない。

だが、その91歳のご老人は、どこで仕入れてきたのか、菅原道真が出世していった様が細かに記載されている史料をお持ちとのこと。前にも色々凄いものを見せて頂いたり、お借りしたのだが、菅原道真の史料とは凄いじゃないですか。そして、それを元に歴史小説を書くことがご老人の夢なんだそうだ。

ただ91歳という年齢もあって、自分ではとても書けない。なので書いてもらえませんか?と云われたのだが、まさか小説なんて、しかも時代が時代。どれだけの資料を集め時代考証をしないといけないかと思うと、とても自分では無理。なので一応ご老人がお持ちの資料はコピーさせて頂いたが、その時はお断りした。

これが菅原道真の資料。漢文なんです・・・

それから三年が経ち、ご老人は94歳となった。そしていま、なんとなくその菅原道真のことを書いてみようかとふと思ったりして、その事を伝えるためにご老人のお宅を久しぶり訪ねた。ご老人いわく「それはぜひやって欲しい。支援が必要ならそれもします」と言ってくれた。

という訳でさてどこから始めようかと思案中の今なのだ。

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