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大手と個人。

こんにちは。みなさんお元気ですか?
森家は睦沢町に越してきて三ヶ月が経ち、少しずつ新しい家の暮らしにも慣れてきました。これから、夏になるので葦簀や簾の準備、庭の草刈りなどやっていきます。毎日、庭のジューンベリーを鳥が食べにきます。とても可愛いです。同じ土地で生活を共にしている感じがして嬉しくなります。

庭はジャングルになってきました。いつもウグイスが綺麗な声で鳴いています。この声を聞きながらの昼寝は最高です。雉もよく来ます。なんとも多様性な庭です。しかし!竹がずい分こっちの方まで生えてきてどうしようかと思ってます。もうちょっと様子を見ます。

最近、明香の愛読書の よしもとばななさん のエッセイを読んでいます。
そこで、日本の外食産業は

「客を満足させる、客の健康に貢献する」
というのをどうしてかんがえられないのだろう?と書いていました。

某チェーン店に入って、マーガリンを塗ったパスタやコンビニレベルの冷凍のピザを食べてそう感じたみたいです。
これを読んで僕も日本の外食産業の端っこの方にいるので、
色々と思うことがありました。僕は東京に住んでいた時に
色々な飲食店で働いてきました。

個人でやっている喫茶店から、大手チェーン店、銀座のカフェなどなど。
あちこちで働いてその現場で見たことや感じたことが
今に生かされていると思います。
中野の駅前にあったクラシックな純喫茶では
初老のマスターと奥さんが切り盛りしていたので、
とにかく食材を捨てるってことがなかったです。
厨房二人、ホール三人くらいの規模のお店でしたがいつも混んでいました。僕は厨房でコーヒーを淹れたり、サンドイッチを作ったり、
洗い物をしたりしたいました。
とにかく丁寧にかつスピーディーに仕事をこなす事を教わった気がします。

大手チェーン店での良い思い出はあまりありません。
作業もシステマティックだし、食材もほぼ加工品。
加工品をプラモデルみたいに並べて提供する感じ。
冷凍物がほとんどでした。利益が第一優先なスタンスで、
取引している食品業者もきっとそうなのでしょう。
だから、美味しさや安全さよりも低コスト、
低クオリティで食べ物を工場で大量生産して平気でゴミにするスタイル。
とにかく、戦争を体験した明治生まれのお祖父ちゃんっ子だった僕には、
食べ物を捨てるのが嫌で仕方なかった。

銀座のカフェはその中間に位置する感じでした。
数寄屋橋交差点にあったビルに入っていたカフェです。
地下に工房がありベーグルをそこで焼いていました。
僕は後半、厨房を任されてメニューを考えたりしていました(アルバイトですが!)
そこでも、朝出勤すると前日売れ残ったベーグルが
何個もゴミになっています。
せっかく、手作りで焼いているのに中々上手く循環しない。
でも、そういうのって一回捨てると癖になって、
どんどん麻痺していくと思います。
一度、新宿伊勢丹の催事にベーグルを売りにいきました。
ほとんどその日限りなので、売れなかったのは当然ゴミになります。
他のどの店舗もです。「一体なんなんだ!?」と。
僕が変わってるのかも知れないけれど、引っくり返せば、
デパ地下の食材や食べ物ってほとんどゴミになってるって。
気付いたんです。
中野の純喫茶じゃないけど、個人店は何かロスがあって廃棄するにしても
それなりの覚悟というか、損失を痛感します。
でも、大手になれば成る程、作り手と売る人の間の距離感が遠くなり、
そこまで思いやりが湧かない。

冒頭のばななさんのお話に戻ると、どうも日本の外食産業は、お客さんよりもなによりも、利益を最優先にしていると思います。だから、どんな食材を使っても(ほとんどが酸化防止剤や防腐剤着色料といった薬漬けです!ほんとうに)大量に廃棄となっても、どこかで利益を取り戻せばいいと。

僕はそういった体験をしてきて、今すごくそれまでの経験が繋がってると感じます。必然的な流れだったんだと(当時は相当きつかったです)
白子の時から一貫しているスタイルは、

手作り、少量生産、質の良い食材、一番良い状態で提供、
そして廃棄はしない、です。

これをキッチリと体に染み込ませて働いてきました。
白子でパンを焼き始めたのが約5年前。
あの場所で本当に商売が成り立つのか?
正直何度もくじけそうになりました。
でも、明香の支えがあって自分たちのスタイルを崩さずに
コツコツとパンを焼き続けて、
僕が焼くパンを好きになってくれるお客さんが一人ずつ、
一人ずつ増えてきてくれました。
睦沢に越してきてからも、そのお客さんは買いに来てくれます。
ただパンを焼いて売るというだけではなく、
もっと一人一人の人間としてお互いに信頼関係が成り立っているのが、
今までやってきて本当に良かったと思います。
そこの信頼関係=安心な食べ物に繋がっていく気がします。

コンビニなどができる前はどの街にも商店街があって、
お肉屋さんで肉を買い、お魚屋さんでお魚を買い、野菜は八百屋さんでと、それぞれに信頼関係があって買い物を日常的にしていたと思うんです。
ぼくはやっぱりそういうお店をやっていきたい。
コーヒー一杯でもいいんです。それで、お客さんがホッと一息つけたり、
日常の忙しさを少しの間だけ忘れられたり。
そういうのって、すごく大切な事です。
ここ最近の森は、主婦の方、赤ちゃんと一緒に来てくれる
お母さん方が多い気がします。
皆さんそれぞれに息抜きしたり気分転換に来てくれている気がします。
僕も家庭があって家の中で母ちゃんが暗いと、全体が暗くなりますよね。
だからどんどん、世の中のお母さんが息抜き出来る場所が
増えるといいな、って思います。
出来れば大手チェーンではなく個人の力で。