くまざわさとみ

小説やエッセイを書いています。著書に『だれも知らないムーミン谷-孤児たちの避難所』(朝…

くまざわさとみ

小説やエッセイを書いています。著書に『だれも知らないムーミン谷-孤児たちの避難所』(朝日出版社)。他、小学館「本の窓」4月号・5月号に短編小説を連続掲載など。

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最近の記事

魔法がとけた夜のこと

   22歳になるまで、わたしは自分のことを特別な子だって思いこんでいた。  でも、絵が上手かったり、足が速かったり、これと言って才能があったわけじゃなくて、結局のところ自分が平凡な人間だと気づいたのは、思う存分若くてきれいな時間を使った後だった。  だれのせいでそう思い込んだかと聞かれたら、間違いなく、8年前に死んじゃったママのせいだった。  子供の頃はそれでも絵を描くことが好きで、アニメのキャラクターや、雑誌のモデル、とにかく好きなものはなんでも画用紙に色鉛筆で描き殴

    • 音楽が聞こえる

       玄関を開けると、ギターの音が聞こえくる。  その次に見えるのは窓際のソファに寄りかかる、ご機嫌なあの人の俯いた顔だった。ただいま。おかえり。今日の夕飯はなににするの。彼はそう問いかけながら、曲とも言えない音をいくつか鳴らして、私は、肉じゃがとカレーならどっちがいい、と冷蔵庫を開けながら聞き返す。しばらく手を止めて悩んだ後、カレーかな、といつも通りの答えを呟いた。それから、今度はちゃんと私でも知っているバンドの曲を弾き始めた。  玉葱の皮を剥きながら、その曲が昔、なにかの映画

      • 蜘蛛

           真夜中、巨大な蜘蛛を見た。  それは掌を広げたのと同じくらいの大きさで、ベッドの真横にあるテーブルの隅にぴたりと静止していた。自分でもその気配に気づいて目を覚ましたのか、もしくは蜘蛛の夢を見たから起きたのか、よくは覚えていない。けれど、その後、テーブルから床にかけてゆっくりと下りる様子を、はっきりと視線の先に捉えていたから、私はそれから探すのも怖くて眠れなくなってしまった。  二週間が経って、その間一度も見かけなかったから、あれは夢だったのかもしれないと結論づけ

        • 恋愛小説

           パソコンのデータを整理していたら、中学生のときにこっそり書いた恋愛小説が出てきた。冒頭の数文字を読んだだけで、大長編の物語が当時の思い出したくない記憶と共に急速に蘇ってくる。それをゴミ箱にドラッグするかほんの少し躊躇ったところを、隣でテレビを見ていた建一はすかさず気づいた。 「これ、ミズキが書いたの?」  建一は興味津々で、私の太腿に乗せたノートパソコンに顔を近づける。私は全力で彼の体を押し返した。 「だめ。絶対読ませないから」 「どうして」 「大昔に書いたやつだから

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        • 短編小説
          14本
        • エッセイ
          1本
        • 長編小説
          2本

        記事

          窓の庭

           アパートの窓から見える向かいの二階建ての一軒家は、来月に取り壊されることが決まった。会社から帰って何気なくポストを覗いたとき、工事のお知らせと、再来年完成する五階建てのマンションの見取り図が届いていた。  部屋の内覧に訪れたとき、最初に惹かれたのがこの窓の景色だった。  庭には一番大きなソメイヨシノをはじめ、立派な木々が伸びていて、玄関前も濃淡の異なる緑色と、薄紫色の花によってバランス良く包まれていた。けれど、これだけ広い家なのにだれも住んでいないらしく、週末のたびに清掃員

          真夜中のディズニーランド

             真夜中に見かける隣の工事中のマンションは、まるでディズニーランドのアトラクションみたいだった。あの街に越してきたとき、そこはまだ閉院したばかりの病院で、しばらくの間廃墟として残っていた。けれど、オリンピックに向けた都市開発で大規模な工事が行われ、いつの間にかタワーマンションの建設が始まった。 アルバイトを終えた帰り道、駅から続くなだらかな坂を上りながら、私はその景色をじっと見つめるのが好きだった。  初めて一人暮らしを始めたアパートは、都心から40分以上も離れ

          真夜中のディズニーランド

          きみのことが可哀想

             だれも気づいていないけれど、ほんとうは、きみが特別可愛いものが好きだってことを知っている。ヘアゴムの留め具はよく見ると花柄が入っているし、パンプスに隠した両足のペディキュアだって蛍光のピンク色だ。しかし、残念なことに、それらはどれもほんの少しだけ可愛すぎていた。きみの容姿と言えば長身でスレンダー、黒髪のロングヘアーに切れ長の一重で、おまけに今年の春から新規プロジェクトリーダーに抜擢されるほど、周りと比べて仕事もできた。もはや、上司のだれもがきみのことを女だなんて思って

          きみのことが可哀想

          日曜日の夜、美由紀は考えた。

           日曜日が終わる夜に、美由紀は夕食を食べながら考えた。  一人分の料理をするのはもったいないからと買ったスーパーのお総菜コロッケと、温めた冷凍ご飯、せめてもの健康への気遣いで並べたもずくパックと豆腐たちは、なんの味もせずに彼女の舌を滑り去っていくだけだった。そもそも、味なんてなかったかもしれない。音量を落としたテレビの音は、さっきから他人の笑い声ばかりで、なにひとつ面白くない。でも、人生って本来こんなものなのだと、美由紀は改めて思い直す。半分まで食べたところで、スマートフォ

          日曜日の夜、美由紀は考えた。

          絵を描く

           絵を描くことが好きだった。  完成したときに、間違いなく、自分が描いたものだって一目でわかるから。子供の頃、母親に怒られるのに部屋中にらくがきをして回ったのは、そういう特別なしるしを残すことが単純に好きだったのかもしれない。  高校の美術の先生に勧められるがまま、私はごく自然な流れで、美大受験の予備校に進んだ。予備校にはひどく変わっていると思っていた自分よりも個性的な人がたくさんいて、クラスの女の子と恋愛の話をするより何倍も面白く、なにより手を動かすほど絵がうまくなる

          バスを待ちながら

           駅前のバスターミナルには、ちょうど影になって大通りから見えにくい階段があった。私たちはいつもその真ん中あたりに座って、からだを寄せて手をつなぎ、帰りのバスを何本も見送っていたね。きみがこの街を出る一年後も、私が出る二年後も想像しないまま、今夜手を離さなければならない瞬間を恐れて、ただひたすら、お互いのことを考え続けた。  デリケートな私たちは翌年の同じ季節にお別れした。  大人になる前の恥ずかしい姿だけを晒して。  今になっても時々、インターネットの検索サイトやSNSに

          バスを待ちながら

          紫色のチェックのシャツ

           占い師の女は私の目を見つめて、こう言った。  あなたの運命の人は、紫色のチェックのシャツを着ています。えっと、他になにか特徴はありませんか、と私はすかさず尋ねたけれど、占い師はもったいぶって残りの十分間うなるばかりで、結局服装以外のヒントはなに一つ与えてくれなかった。  新宿東口の狭い占い屋を出て、とりあえず近くのスターバックスに入り、私は二階から大通りを見下ろしながら運命の人を探した。さっきの占い師はネットの口コミでよく当たると評判が良かったから行ってみたのに、どうして結

          紫色のチェックのシャツ

           花が嫌いだ。  あれを見ているだけで腹が立つ。  子供の頃から、私は性別が女の子だって理由で、花柄のワンピースを着せられてきた。それだけじゃなくてスカートやシャツも、靴下も、ハンカチや水筒だって、とにかく目につくありとあらゆるところに可愛らしい花の模様がプリントされていた。もちろん本物の花も、公園や学校の校庭、隣の家のバルコニー、道路の端に至るまで、見渡す限り咲き乱れていた。花を見ているだけで、蕁麻疹が出そうなほど腹が立つから、花壇の花を手当たり次第にむしってみるけれど、

          同棲

             冷蔵庫からビールを取り出して、後ろを振り返ったときだった。  さっきリビングのソファに座ってお笑い番組を見ていたケンイチは、豚になっていた。いや、そんなわけがない。あの人は豚を身代わりに、どこかに行ってしまったのかもしれないと思って玄関を見るけど、使いこんだスニーカーは脱いだ跡のまま斜めにずれていて、ソファにいる豚はこちらを見つめて、まるで私を呼ぶように鳴き声をあげた。ブヒ。ブヒヒ。私が出した二本のビールのうち、一本を開けて皿に注いであげると、豚は鼻をつけてご機

          短編小説「ランナー」

          「ランナーはな、病気なんだよ」  午後のワイドショーのランニング特集を見て、パパはため息混じりに呟いた。  テレビ画面には、カラフルなウエアに身を包んだ話題のランナーたちが、休日の道路を埋めつくす様子が中継されている。沿道の人々は目を逸らして道を譲り、アナウンサーとカメラマンは、両手の隙間からこわごわと覗く。ランナーたちは頬を桃色に染めて、時に手を叩いて大声で笑ったり、また時に涙を流したりしながら、前方の一点を見つめて走っている。 「どんな病気なの?」 「足をひとたび止める

          短編小説「ランナー」

          短編小説「家族写真」

           お酒に強くない彼は、ビールを二杯も飲むと饒舌になった。  一杯目ではお互いの近況報告をし、二杯目では彼の営業に回る取引先の愚痴と二人の息子の話をして、そして三杯目にはいつも決まって、初めてする話をしてくれた。雑居ビルの五階にある半個室の居酒屋は、一昨年から通いつめたせいか、まるで私たち二人の小さな家のようにさえ思えた。 「九回裏でサヨナラ満塁ホームランが出たら、だれだって奇跡だって思うだろ。だから、プロポーズしたんだ」  彼はそう言って、三杯目のビールに口をつける。上着のポ

          短編小説「家族写真」

          長編小説「盆踊りの夜に」

           夏の夜更けの一人暮らしの部屋の中に、太鼓の音がひびきわたる。  その音は、エアコンの吹き出し口から漏れ聞こえていた。私はベッドの壁際に頭をよせて耳をすまし、音をできる限り聞きとろうとする。太鼓はリズミカルに叩かれ、鈴が鳴り、それから人々の賑やかな歌声も聞こえてくる。それは、子供の頃に実家の近くの公園で行われた、盆踊りの歌だった。  八月の第三週が近づくにつれて、太鼓の音は不思議なことに、夜になるたび必ず聞こえてきた。最初は微かな音だったが、日を増しておおきくなり、その活気と

          長編小説「盆踊りの夜に」