日本史で意外と忘れ去られていること

日本は、奈良時代から明治初期まで、律令国家だった。
諸説あるが、これは意外と知られていない。

中大兄皇子が大化の改新というクーデターを起こし、甚だ不完全ながらも、律令制の制定に力を入れた。
律令制は公地公民が肝であるが、奈良時代後期、この原則を骨抜きにする詔が「三世一身の法」更にいえば「墾田永年私財法」である。

これは政府の作戦負けだった。
(元正天皇と長屋親王)
法には抜け道があり、藤原氏等の貴族や、豪族たちが私腹を肥やすことしか考えていない。

歴史上では不当に低く評価されているが、
「墾田永年私財法」を停止した、勇気ある天皇もいた。称徳天皇と、大臣禅師であった道鏡である。

武家の台頭や、現実と、あまりにかけ離れた律令制は、武家ならではの統治の仕方が定着するにつれ、いつの間にかフェードアウトしていった感があるが、なんやかんやで明治初期まで、日本は律令国家だったのある。

奈良時代初期に定められた律令が、明治初期まで存在していたのが、少々驚きだった。

律令制というのは、基本、全ての土地(人民)は国家(王)が統治するというシステムである。
中国から輸入されてきた法律だが、その中国でさえ律令政治は時世とともに瓦解してしまった。

日本というのはまさに保存の天才と言わざるを得ない。

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