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しくじりは武器になる、黒歴史は最大の魅力になる

自分の職務経歴書を書くと劣等感に苛まれる方、他の人のプロフィールを見ると、羨ましくてもっと新しいスキルを手に入れた方がいいよねと焦る人に伝えたい。

しくじりは武器になるし、黒歴史は最大の魅力に化ける」と。

・自分のキャリアがブツブツと切れているように感じる
・今までの生き方に納得感がない
・専門性を極められていない、中途半端だと感じる

この3つに共感し、わたしにも何か自分らしい表現があるのではないか?と最後まで足掻きたい方に、約10年の葛藤がお役に立てると嬉しい。


ジュエリー職人を志した第二の青春

私は26歳の時にジュエリーデザイナーになりたい!と新卒で入ったリクルートの営業を辞めた。

リクルートに入社してしばらくは調子がよかったけれど、やらかしたことも多々あって、決して優秀な社員じゃなかった。それでもいろんな地元の経営者に話を聴いて、採用の提案を持って行ったり、掲載した記事で素晴らしい出会いがあって会社の核となる人材が採用できたことはとても喜びだった。会社の風土も一緒に働く仲間も大好きで、会社はとても好きだったし、社員であることに誇りも持っていた。

反面、仕事はハードで、メンタルも体調もギリギリ。持病の喘息もアトピーもひどくなった。ちょっともう無理かも…ということも何度もあった。ある日、お腹が痛くて人生初の婦人科に行ったら子宮に炎症ができてますよ、と言われて、これは流石にまずいと思い始めた。

メンタルも不安定となり、これも人生初の心療内科に行ったら、薬を飲みますか?それとも数日休んでゆっくり寝れますか?と言われ、いま薬に手をつけたら戻れなくなる気がします… 会社を数日休みます… と言って2〜3日会社を休んだりもした。

このままじゃダメだ…どうしよう…と思っていた時にふと思いついたのが、「色に触れる仕事がしたい」「ジュエリー職人になりたい」だった。

絵も上手くない、デザインも知らない、美大も出てない、貯金もたいしてない。でも自分で指輪を作ってみたい。カラフルな石を触りたい。

衝動だけを頼りに、実家の近くに「彫金(ちょうきん)教室」を見つけた。ジュエリー専門学校はいくつかあったがが、授業料が高額で、簡単に行けるところではなくて、なんとか通えそうな教室だった。「彫金」という聞き慣れない言葉がジュエリー制作を指す日本語だと初めて知った。

「自分のジュエリーブランドを作りたいので、会社辞めます!」

いきなりこんなことを言い出しても、リクルートという環境は、みんなが拍手で応援して送り出してくれた。取引先に「自分のブランド作ります!」と高らかに宣言して、意気揚々と退職した。

それから週に2回。5年ほど「彫金教室」に通った。やすりの使い方、シルバーの曲げ方など、1から学び、石を指輪にセッティングすること、金属の扱い方など一通りマスターした。工具も揃えて、家でガスバーナーが使えるようして、自宅で指輪の制作はできるようなった。

とにかく資金が必要な学びだったので、教室の隣のコールセンターでアルバイトをして、実家にほんのわずかなお金を入れて、残りはほぼ全部突っ込んだ。

少し脇道に逸れるが、コールセンターには、いろんな背景を持つ人がいた。イラストレーターを志す人、自分でカフェをオープンさせるために週末はDIYで改築している人、インディーズバンドを組んでライブハウスに誘ってもらって見に行ったりもした。クリエイターの端くれのようなことをしていたので、そういう仲間もたくさんできて、陶芸をしている人、カメラマン、漫画家…など本当にたくさんの友人ができた。リクルート時代には出会うことがなかった好きなことを仕事にする夢を持って生きる人が多かった。

元同僚たちが、会社の中で成績を上げて、出世するのを横目で見ながら、昼間はコールセンターで働き、夜は実家の自分の部屋で夜遅くまで制作したりする。そんな20代後半だった。

福岡のアジア美術館の企画展に誘ってもらって、出展したり、クリエイターっぽくてめちゃくちゃ楽しかった

学生時代の延長のように楽しい時間と同時に、「プロではない」ことも感じていた。ジュエリーやアクセサリーの世界は、センス、技術力、経済力、全て必要だ。スポンサーもツテもコネもない… どこにでもいる普通の20代の私がジュエリーの世界で一人前のブランドを作ろうなんて、無謀な挑戦だったと今は思う。

でも学び始めて、2〜3年は絶対に実現できると鼻息荒く奮闘しがた、徐々に自分のセンスがわかってくる。ほかのクリエイターが作る素敵なアクセサリーと自分のものを比較して、どんどんどん小さくなる。私はだめだと、あんなに好きで夢中に作っていたものづくりを、少しづつ嫌になり始めていた。

友人の子供に依頼されて作ったアクアマリンとK18イエローゴールドのベビーリング

そんなとき、リクルート時代から私を支えてくれていた彼氏と7年付き合って結婚し、東京に行くことなった。バタバタしている間にあんなにやっていたのに少し距離を置くようになった。

それがちょうど私の25歳ぐらいから30歳までのお話だ。  

コーチングに出会ってコンプレックスに悩む30代

そこから、縁あって小売店に勤め、妊娠・出産を経て、コーチングという対人支援を知った。

この学びの中でずっとひきづってきたのが、

大したキャリアがない私
リクルートを逃げ出した私
彫金も中途半端だった私
MBAも有名大学出身の称号も、国家資格もない私
大企業での人事の経験もなく、中途半端なキャリアしか築けなかった私

超ド級のコンプレックスの塊だった。
今を知る方には信じれられないと言われるけど、本当に小さく小さくなっていた。

CTIというコーチ養成機関で共に学ぶ人たちは、誰もが知っている企業の人事担当者や、キャリアカウンセラーや産業カウンセラーとして既に対人支援をする方が割と多く、ずっと引け目を感じていた。何者にもなれていないまま34歳になって、子どもを産んでますます何者にもなれそうもないコンプレックスの塊だった私には、皆さんがキラキラキャリアに見えて仕方がなかった。

「なんて場違いな場所に来てしまったんだ」
「こんなすごい人たちの中で私は何してるんだろう」と本当に後悔した。

多分一緒に学んだ人に、こんな過去があったことを知っていた人はほんの数人だと思う。ずっと恥ずかしくて言えなかった。

恥ずかしさの理由は、

こんなキラキラしたキャリアの方々に私のこんな経験は恥ずかしくて言えない
この人に私の気持ちなんてきっとわからない
中途半端な私が恥ずかしい
逃げたことなんて言えない…

ずっとそう思ってきた。

コーチングの学びが深まり、さぁ、資格取得まで進みますか?と自分に問うたとき、ここまできたら最後までやり遂げようと思ったのも、中途半端で終わっていてプロになれなかったという傷があったから。

コーチングも途中で終わったら、リクルートや「彫金」と同じように、手をつけたけど中途半端で終わった人になってしまう。そして本当に全部半端な人になってしまうと、思ったから踏み切った。

「せめてコーチングは最後まで駆け抜けよう。そしたら何か変わるかもしれない」それがCPCC®︎というコーチングの資格を取ろうと思った理由だった。

それでも抜け出せない圧倒的劣等感

ようやくコーチングのプロ資格を取ったのは、2021年の9月ごろ、37歳のときだった。

その頃も「コーチングと彫金」の2つが大好きであるという説明が自分でできなかった。

でも、コーチの学びの中で相当コーチングを受けていたので、その頃には、「ジュエリーの世界プロにはなれなかったけど、作ることも磨くことも大好きで、気づいたら何時間もやってしまう、私が純粋にとても好きなこと」があった。

幸い細く長く続けていたので、道具も全て揃っていたし、何もできなくなるほど腕が落ちることもなかった。もう手が覚えていた。

3年前に作った指輪は今でもよくつけている

定期的に作りたい波も訪れていたので、ちょくちょく作っていたし、販売用サイトも作っていた。コーチングを受けていた効果だったと思う。もしクライアントとしてコーチングを受けていなかったら… 好きだという気持ちも封印して、全部工具も手放していたかもしれない。

デザインすること、金属を曲げることに、なぜか胸が踊ることに25歳から変わっていない。

多分これは私の”純粋意欲”とよべる、なぜ好きかと言葉では説明できないけど無条件にやりたいことだ。

コーチ養成機関のCTIで資格取得仲間にプレゼントしたコース名BAYのキーホルダー。10人分作った。

石留めも、ゴールドもプラチナもシルバーも真鍮も扱える。
指輪もネックレスもピアスも大体の作り方がわかるし、宝石の石留め方法もジュエリーを見ればある程度セッティングはわかる。
私の20代後半、時間も情熱もお金もぶっ込んだ好きなものだった。

だけど、技術において人間国宝の素晴らしい技術の足元にも及ばない。東京藝大のクリエイターさんには敵わない。比較することもできないほど、素晴らしい人たちには敵わない。

「自分のブランド作ります!」なんて大見得きって辞めて、結構貯金もつぎ込んで、独身時代に海外旅行に行ったりもせず、遊ぶこともなく、ひたすらものづくりに注ぎ込んだ時間とお金のあの日々は、すっかり黒歴史となり、35歳で2児の母となった2021年の私は、自分の職務経歴書にコンプレックスしかなかった。

そんな呪いにかかった私が、ふと視点が変わることになった。

ふと、視点を変えると黒歴史は強みになった

すっかり「彫金(ちょうきん)」は黒歴史となって表立って語ることはほとんどなくなり、プロフェッショナルコーチとしてようやく「資格」をとっていた。やっと欲しかった誰かがプロフェッショナルだと認定してくれた「資格」だった。

ものづくりの学びには「資格」がなく、美大も芸大も出ていない私はずっと「素人」という自己認識だった。初めて得た自動車の免許以外の「資格」がとても嬉しかった。

でも、国家資格とは違う「民間資格」は、これだけでは大した武器にならないこともわかった。それ以上に「コーチング」という業界は、私がコンプレックスを持っている素晴らしい経歴の方々が無数にいる劣等感をビリビリと刺激するとんでもないレッドオーシャンだった。

とはいえ、もう逃げられない。会社も辞めてしまって個人事業主になってしまった。今ある使えそうな武器は、コーチングスキルしかなく、これを使うしかない状態だった。

もともとの私の気質は「転んでもただでは起きない」「使えるものはなんでも使う」だ。勝てないと言って嘆いていても仕方がないので、どうにかしてこの業界で勝てる方法はないか?と探し続けること1年ちょっと。

ある時、ふと、黒歴史である「彫金」とコーチングがかけ合わさったのだ。

ふと、と言っても、突然降ってきたわけじゃない。でも、確かに「ふと」気がついた。

「今、決めたことを忘れないように絵にしておきましょう。」
「この感覚を忘れないように携帯の待ち受けにして毎日見るようにしましょう」

そう提案するコーチはいても、形そのものをコーチ自身が制作できるコーチはいないぞ?デザインに起こして、実際に手に取れる形にすることができるコーチってそんなにいないんじゃない?
しかもその形は特殊な技法でつくり、永遠に壊れることも解けることもない金属製だ。まさに今この瞬間を閉じ込めたような形を作ることができるコーチって他にいるだろうか?

ふとそう思って、Googleに「 彫金 コーチング」で尋ねてみたら、完全に独占状態だった。

あたりまえだ。こんなマニアックなものを掛け合わせる計画を立てる人はいない。偶然の産物だ。

1つではその他大勢だけど、掛け合わせたら唯一になれるかもしれない

こんなことを、1年ぐらいかけて少しずつ受け入れて、でもやっぱり私なんか…が顔を出して納得して、を繰り返す。

異質な2つを掛け合わせたら、こんな人多分日本に私しかいない。

と、大きな声で言えるようになった。

想像していた形ではないけれど、あたしにしかできない関わり方をようやく見つけた気がする。今となってみると、もっと早く気づけたんじゃない?と思うけれど、やっぱり心から納得するまでに時間が必要で、たくさんの山を乗り越えないといけなかった。ようやく、自分の中にあったしこりが溶け始めた感覚だ。

長い年月と、視点の変換があって、無性にこれが好きだと心から思えるものを2つ掛け合わせて、「恥ずかしい」という感覚を忘れて、好きなんだからやっちゃいなよ!どうせやるならおもいっきりとびきり突き抜けなよ!と、過去小さく小さくなっていた私が、今の私に言う。

まるで、大好きなのに大好きだと言えずに小さく小さくなっていた10年分の私が、息を吹き返したようだった。

それから、2年。
今、私の大切な仕事の一つに、対話とものづくりを掛け合わせたのが「彫金(ちょうきん)ワークショップ」だ。

今までに30回近く開催し、70人近くが自分の作品を作り、東京、宇都宮、千葉、福岡、小田原を経て、引き続き日本各地に訪れるたくらみをしている。

ライスワークでもライフワークでもなく、「アートミーワーク」

この活動は、私にとって生きるためのお金を稼ぐ仕事、ライスワーク(ricework)ではない。

自分の人生をかけられる仕事は、「パーソナルコーチ」だと思っているので、ワイフワーク(lifework)でもない。

私にとって「彫金ワークショップ」の主宰者であることは、自分の生き方を表現する仕事だと思っている。だからこれをアートミーワーク(Art me work)とよぶことにした。

ライスワークはとても大事だ。ないとご飯が食べられない。
ライフワーク・人生を使ってする仕事、天職に出会えたらそれはとても幸せなことだ。
お金のためでも、自分の一生というわけでもないけれど、身体中から喜びが満ちて、この仕事があると思うとワクワクして遠足に行くような気持ちになる仕事=アートミーワークがあるととても幸せなんだ、ということを体験した。

この体験から、私はみなさんに伝えたいことがある。

正解のない時代をありたい姿で生きるために、好きや得意を活かし、自分を表現する仕事

私のように、本当は好きだけど、他の人と比べて劣っていると思って、得意だとは思えないことや、このレベルの「好き」を好きと言ってはいけないと思う好きなことは、必ずみんな何かある。

途中で諦めたもの、大成しなかったと思うもの。周りと比較してちっともかっこよくないとおもうもの。嫌いにならずに密かに好きだと思って時々引っ張り出しているもの。
そんなものは実は、大きく育つ可能性がある。

自分の人生でしくじったと思うことを、ひっぱり出してみてはどうだろうか? 1つでは見え方が変わらないかもしれないけれど、2つ以上の何かを掛け合わせると新しいものが生まれるかもしれない。

しくじりは武器になる、黒歴史は最大の魅力になる

何にピンとくるか、何に心が躍るか。探せば必ずある。ただし重要なポイントは、自分ひとりで見つけることはとても難しいということだ。

ずっと「私よりすごい人がいる」「大したことない」と思っていることだ。
それをいきなり、これはやっぱり私の特技なんだ!と視点が変わることはなかなかない。だからこそ、ほかの誰かに聞いてもらってアイデアをもらうことがいい。

「自分のことはわからないけど、他人の強みは好き勝手言えるよね!」という体験から、「好きと得意を活かして自分を表現する仕事をつくる」をコンセプトに、Art me work講座をつくった。

私のような「好きや得意を活かし、自分を表現する仕事=自分だけの Art me work」があるんじゃない?と思う方は、一緒に探そう。

黒歴史は最強の強みになる可能性が高い

リクルートを中途半端に退職し、ジュエリーブランドもうまくいかず、出産・育児によって今更新しいキャリアを始める勇気も持てず、コーチングだけはプロ資格を取ったけど、さあどうしていこうか… という私がコンプレックスという弱みを強みに変えたら、こんなに熱く語れる何かが生まれた。

もしこれを最後まで読んでくださった方に、私もそうなの!キャリアに自信がないの!という方に、何かを踏み出す一歩に繋がっていればとても嬉しい。コンプレックスだと思っているものの方が、視点を変えれば、最強で唯一無二のArt meな仕事に化ける可能性がとてもある。

国際コーチング連盟PCC
CTI認定CPCC®︎
Art me work講座 ファシリテーター
坂口佳世

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