『本日、酉の刻…』

第91話

信号が変わり、広い広場を突っ切り二人は東京駅の構内に入った。
大きな吹き抜けの円天井の下を通りながら、相馬は腕時計を見た。
「今回の聴聞の前に特例委員会は既に手を打っていたんだな。本来ならばこの手の発見は必ず宙倫研に連絡が入ってから次にマスコミ報道が順番だ。それが今回はマスコミにすっぱ抜かれた。委員会の連中にこれ以上先を越されないためにも急ぐぞ、何としてもBプロットたちと接触する。」
「せ、接触?!できるんですか?」
「あの女子大生だ。あの子ならBプロットたちとの接触方法を何か知っているはずだ。だから日比野さんを呼んだんだ。下手をすると委員会の命令であのBプロットたちの対抗勢力の暗い服の連中があの女子大生をまた狙うかもしれない。日比野さんはあの子と会ったことがある。Bプロットも日比野さんのことはよく知っている。俺はあの子を知らないし、あの子も俺のことは何も知らない。日比野さんの方がいい。俺が勝手にあの子に手を出せば、逆にBプロットが黙っちゃいないだろう。余計な摩擦は作りたくない。栗原、その発見された刀剣は今どこにある?」
相馬の分の新幹線の乗車券と特急券を彼に渡しながら、新幹線の改札を栗原は目で探した。
「天正時代に発見されたものは、今はみんなあの特別展が開催される博物館に集約されています。研究施設が一番整っているからでしょう。バックヤードに保管されているようです。我々がBプロットたちをおびき出そうとしている施設にその刀剣も運びこまれたなんて、奇遇というか、委員会も何を考えているんでしょうね。」
「考えていることは一緒だ。くそ…、俺たちの上前を撥ねるつもりだ。」
新幹線の改札を抜けた相馬は、エスカレーターを使わずに階段を走るように駆け上がった。
「相馬さん、急いでも次の『のぞみ』はまだ来ませんよ。」
そんな相馬の背を追い、栗原が息を切らしながら言った。

新幹線のホームで、次に来る『のぞみ』を待ちながら、相馬はやっと追いついた栗原に向かって訊ねた。
「栗原、いったい何故ここにきてこんなに“歴史の修正点”の報告やBプロットの史料が突然次々に発見されるようになったと思う?」
肩で息をし、額の汗を拭いながら、栗原が答えた。
「そりゃあ、Bプロットたちの動きが急に活発になったからじゃないんですか?Bプロットが過去と現在を行き来している以上、彼らの動きに呼応して過去の歴史もちょっとづつ動くんですから。しかし、本来はもし過去に変更が起こってもその後の歴史の中に帯(ベルト)のように生きている我々はその変化には気がつかないのが普通なんですが、Bプロットの行為に関しては、彼らが持っている時の流れのくくりが我々の物とは異なるのか、過去に起こった出来事の現在の影響や変化の違いが“歴史の修正点”として不思議なことに我々にも分かるんですよね。そこが実に面白いですよね。そんなことが分かるから、いちいち新たに発生したBプロットの痕跡をことごとく消していく必要が生まれているわけですが…。」
相馬は栗原の話を聞いた後しばらく沈黙した。
まもなく『のぞみ』が、定刻通り到着するアナウンスがホームに大きく響いた。
「…本能寺の変のあった年は…、確か天正十年だったな…。」
相馬が何かを思い出すように呟いた。
「はい、1582年の6月2日です。」
「…1582年か…。1574バージョンが、ウルカの記録が最初に記述されていたのが、1574年・天正二年、次に記録があったのが、1576年・天正四年だ。信長が死ぬのは、その6年後だ…。」
「それが、どうかしたんですか…?」
すべるようにホームに『のぞみ』が入ってきた。
美しい流線型の先頭車両が相馬たちの目の前を通り過ぎ、ゆっくりと『のぞみ』は停車した。
「…もしかしたら、信長は、自分の運命を変えようとしているのかもしれない。」
扉が開き、相馬の前に並んでいた乗客が次々と乗り込んでいく。
相馬は乗車口の前に立ったまま考え込み、動こうとはしなかった。
相馬と栗原の後ろに並んでいた乗客たちが彼らを追い越していった。
栗原が相馬の肩をたたき声をかけると、相馬はハッとして乗客の最後尾から『のぞみ』に乗り込んだ。
「信長ですか…?信長とBプロットと何か接点でもあるんですか…?現在残っているあらゆる史料は、何を見たって信長は本能寺で亡くなっていますよ。」
栗原は自分たちの座席を探しながら相馬に言った。
「あの時代で一番勢いのある戦国武将は誰だ?それにあの城主の分からない城址、Bプロットたちのターゲットマーカーがあるあの城址一帯を支配していたのは、間違いなく信長だ。あの天正時代の覇者である信長ほどの戦国武将が彼らと接点を持とうとしないはずはない。そして自分のこれからの運命も、その接点を通して少しは読んでいただろう。だからこそ、この時代に渡ってきている1574バージョンをあの時代に引き戻そうとしているんじゃないのか…。彼らの力を利用して、今の歴史の流れを、自分の運命を信長は変えようとしているのかもしれない。そしてとうとう、信長は時を越えて、現在のあの特例委員会まで動かしたんだ。」
「あ、相馬さん、そこの、4列目の席です。」
二人が指定席に着席したころ、『のぞみ』は静かに動き出した。
栗原はリュックを棚に上げ終わると、
「運命を変えるって…、そんなこと簡単にできるんですか?信長がおのれの運命を変えるということは…、その後の歴史も全部変わるってことですよ。」
と、彼は少し小声であたりを気にしながら話をした。
「信長の亡骸は本能寺で見つかっていないんだ。彼の墓と言われている場所にも何一つ、亡骸らしきものは埋まっていない。すでに歴史は変わり始めているのかもしれない…。」
相馬は答えながら座席に着くと、自分の右腕にそっと手を置いた。
その姿を見て、栗原が言った。
「そういえば、相馬さん、あれ、やらなくなりましたね。」
「…あれ?」
不思議そうな顔をする相馬に向かって、栗原は右手でペンをカチャカチャするしぐさをしてみせた。
「あぁ、そうだな…。何故かな…。」
「…色々不満だったことが、解消したんじゃないですか…。なんだかんだいって、相馬さん、長年ずっと追っていた、文献の中でしか出会えなかった1574バージョンのホンモノに現実で会えたんですから。俺だってこの間、ずっと魂が震えるような、ゾクゾクすることの連続でしたよ。」
相馬は表情を緩めた。
「栗原、俺のことなんかほっとけ。お前にはやることが他にもたくさんあるだろう。」
そう、転職どころじゃない、本当は自分たちの命の保証さえあまりないことを、相馬はまだ栗原に伝えあぐねていた。
そのとばっちりが栗原や辻越たちに行かないよう少しでも早く状況を整えたかったが、その時間が今はない。相馬にとってそのことも大きな憂慮のひとつだった。
相馬は栗原を見て、にっこりと笑った。
「落ち着いたら、お前の新居を見せてくれ。お前のことだから、カトラリーやキッチンセット、こだわりのある物を一式揃えているんだろう。」
「やめてくださいよ、その笑顔。また何かあるんですね。」
「いや、何もないよ。」
そう言って相馬は深くシートに座りなおし、思考を元に戻した。

信長は6年後に死ぬことが分かっていて、1574バージョンを取り込もうとしているのか、単に1574バージョンを天正時代に呼び戻そうとして、その結果として信長の運命が変わろうとしているのか、その違いは分からない。
だが、この執拗なまでの過去からのこの時代への干渉は尋常ではない。
むしろ、自分たちの時代にぴったり合わせて歴史的遺物の発見が繰り返されるのもおかしな話だ。
それとも歴史的な史料や遺物を未来に向かって残す時に、今から438年後に公に向かってこれを開示せよと添え書きされているとでもいうのだろうか。
発見されたあらゆる史料やBプロットに関連する歴史的遺物にそれらしき添え書きを、相馬は見たことがなかった。まるで誰かがこの“時”に合わせて、史料や遺物を次々に発見・開示を促しているようだ。
仮に、この地域のこの場所にこれらの史料や遺物が眠っているから、この時期になったら探し出し、何としても発見し、世の中に開示せよという過去からの命(めい)を守り抜いてきた一族がいたとして、彼らによってある時期に、それらの存在を世間に知らしめたとでもいうのだろうか…。
そんなに都合良く、歴史の闇に暗躍する影の組織なんてあるのか…。
「あの…、暗い服の連中か…。」
相馬は、しばらく走った『のぞみ』の車窓の、トンネルとトンネルの間から時々フラッシュバックのように見える青い海に目をやりながら、影の組織といったら、自分たちの存在もどっこいどっこいだと思い、微かに苦笑し、その直後に顔色を変えた。
先ほどの聴聞の中の、委員長の言葉を、相馬は思い出した。
特例委員会は暗い服の連中と接触している。
てっきり委員会が暗い服の連中を動かしているのかと思った。
だが、はたしてそうか…。
暗い服の連中が特例委員会に近づき、自分たちを使うようにしむけたとしたら…。
日比野によれば、暗い服の連中は時に人々に幻影を見せる力を持っている。
おそらく彼らはわずかではあるが、Bプロットと同様の特殊能力を身につけているのだ。
そんな彼らが委員会に近づくのはたやすいことだろう。
相馬は立ち上がり、上着をフックにかけながら辺りをそっと見まわした。
6列ほど後ろの座席に、相馬の姿に暗く視線を合わせていた男がいた。
相馬が男を見ると不意をつかれたらしく、男は少し慌ててすぐに手元に視線を落とした。
あの男はあいつらの仲間だ。
やはり、尾行(つ)けられいる…、と相馬は思いながらゆっくりと自然に席についた。

しばらくして、何やらノートPCを必死にたたいていた栗原に相馬は静かに尋ねた。
「栗原、日比野さんとは連絡が取れたか?」
「はい…。今さっき京都で落ち合うことにしましたが、何か?」
相馬は腕時計を見ると自分のスマホを取り出してホットライン用の暗号キーを何度か押し、日比野に向かってメッセージを送った。
「変更だ。先に動いてもらう。どうやら尾行られている。俺たちは名古屋で降りる。」
栗原は驚いてノートPCを慌てて閉め、身をすくめた。
「つ、尾行られているって、いつからですか?」
「さぁな、今まで気づかなかった。聴聞が終わってからか、それとも宙倫研を出た時からか…。」
「俺たち、大丈夫ですか?」
「だから大丈夫な訳ないって何度も言っているだろう。よし、日比野さんには連絡が取れた。」
そう言って相馬はスマホを胸ポケットの中に閉まった。そんな相馬に向かって栗原が周りを見回しながら言った。
「相馬さん、Bプロットと接触しないでいいんですか?」
「会いたいさ。しかし、あいつらを撒く方が先決だ。撒ければの話だが…。あの暗い服の連中はプロだ。俺たちを尾行しているってことは、あの女子大生にも必ず狙いを定めている。Bプロットが付いていればいいが、常にとは限らない。日比野さんには一刻も早くあの子の元へ行って、あの子を守ってもらった方がいい。栗原、あと何分で名古屋に着く?」
栗原はノートPCやらスマホやらを慌ただしく見ると、
「え…と、名古屋到着予定の車内アナウンスが流れるまで、あと五分ほどです。」
と小さな声で答えながら、できるだけ自然な動きで、といっても明らかに周りを気にしながらぎこちなく棚の上からリュックを下ろした。
「栗原、今の動きはいいぞ。これであいつらは俺たちが名古屋で降りると分かっただろう。」
相馬は栗原を見ながら唇の端に笑みを浮かべた。
「えぇえ~~っ、何ですか、それ、褒めてんですか、けなしてるんですか?」
「褒めているに決まっているだろう。奴らの注意をできるだけ、こちらに引き寄せればいいんだ。駅に着いたら全速力で改札に向かって走る。中央コンコースに出たら、とにかく一番近い出口から地上へ向かう。いいな。」
「そ、そんな…。映画みたいにうまくいきますか?相馬さん、名古屋駅って広いんですよっ!」
と、栗原は相変わらず小声で相馬に言いながら、慌ててスマホで名古屋駅の構内図を調べた。
車内アナウンスが流れ始めた。
名古屋で降りる乗客たちがおもむろに座席から立ち上がり始めた。
ゆっくりと『のぞみ』は速度を落としていった。
「いいか、栗原、転ぶなよ…。」
「は、はい。」
『のぞみ』が停止したと同時に、二人は弾丸のように立ち上がり、乗客をかき分け車両の出口へ向かった。6列ほど後ろにいた男たちもすぐに立ち上がり、有無をも言わず乗客たちを押し退け、相馬たちの後を追った。
彼らがホームへ降りた時には、すぐ先に見える下り階段を全速力で降りていく相馬と栗原の後ろ姿が見えた。
男たちは強く舌打ちをすると、二人を追い始めた。

――続く――


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