『本日、酉の刻…』

第93話

イヌイは、晴景を前にして、ウルカと出会った頃を思い出していた。
才に長け、自らの想像を超える能力に苛まれていた。
イヌイは彼にこの宇宙の成り立ちを語り、星の生き死にを示し、懸命に生きる様々な生きものたちの美しい生態をゆっくりと説いた。
彼は静かに耳を傾け、僅かであるが、徐々に心を解いていった。
強い情熱を内に秘めた、美しく、そして悲しい青年だった。
だが、闇に心を奪われ(むしろ闇がウルカを手放そうとしなかった)もがき苦しんでいた。
その闇に呑まれたウルカに向かって、当時死が大きな鎌首を上げて迫っていた。
イヌイはウルカの死を回避させるためにあらゆる手段を講じた。
そのために、訪れた星の人々と深く接することを禁じられていた異星人としての不文律を、イヌイは幾度となく破っていた。
そればかりでなく、決して犯してはならない“時”の流れにも介入し、その時代の1500年ほど前よりこの国の時の流れに僅かではあるが足跡を残してしまった。
それによってイヌイは、天正時代におけるウルカの死を回避させることに成功した。だがそれは、彼の所属する宇宙での重罪に当たる絶対律を犯す行為だった。
イヌイは弁明のため、一度地球を離れなければならなかった。
ところがその間に、ウルカはその事実を知り、織田軍に取り囲まれた月出城陥落の直前に、まるで自らの命を絶つように敵の手中に落ちたのだった。
もし、あの時ウルカが、イヌイが修正した時の流れの通り生き延びていたら、イヌイの刑はもっと重いものになっていただろう。ウルカの死によって、イヌイは救われ、時の本流は本来の流れ通りに進んだのだった。
だが、イヌイの心に空いた穴は、決して閉じることはなかった。
イヌイにとってウルカは、すでになくてはならない存在になっていた。
一度時空から消えてしまった存在を元に戻すことは、決してたやすいことではない。時の流れとは水のように流動的にとらえがちだが、むしろ強靭な個体に近い。隙間もなく、一度流れが決まったものを動かすことはとても困難なのだ。
すべて修復するには、固く絡み合ってもつれた糸を、途方もない時間をかけて解きほぐす作業にとても良く似ていた。
ウルカの死を予見していたイヌイも、彼の死を回避することは最後まで迷った。そして彼を蘇らせることも。
大きな変化を生む予兆を、イヌイは彼から感じていた。
長くこの星で静かに暮らし、瀑の生態を追うことのみに力を注いできたイヌイの前を多くの文明、様々な生きものの生死が通り過ぎて行った。
何もできない悲しみはあるが、イヌイたちの一族にとって、異空の文明や生きものに深く関わることは強く禁止されていたのだ。
だが、それでもイヌイは諦めきれなかった。
彼はウルカの亡骸を手に入れ、すでに一族が集めていた瀑の鱗をすべて使い、彼らの一族に伝わる知識を元に、更にはこの星の“時”をも遡り、生前のウルカの記憶を採集し、彼らの一族に伝わるもっとも厳重に守られていた技を用いて、一度消えてしまったウルカの魂と身体を蘇らせたのだった。
ウルカの死によって、罪一等を減じられ、時の辺境の虚無の空間への追放は免れたものの、ウルカの復活のために使った瀑の鱗をすべて再び一から集め直さなければならなかった。
その猶予に与えられた時間は6000万年。
今、残りはあと2000万年ほどだ。
その間、イヌイの故郷の星の“時”は停止され、そこへ帰るための時空域も閉ざされてしまった。
瀑や煽、鵺たちをはじめ、イヌイと故郷を同じくする多くの異空を渡る生きものたちが母星へ帰る扉を閉ざされてしまった。
鵺たちの怒りはもっともであったのだ…。

「私の仕事は……」
と、イヌイは穏やかに晴景に向かって語り始めた。
「私たちが瀑と呼んでいる共生相手の生きものの生態調査と研究だった。それが本来の私の仕事であった。」
「…瀑、とは、あの立ち昇りし、光の帯のことであるか。」
「晴景殿はご覧になったことがあるのだな。そう、あの美しき大きな生きものだ。清い清流の中や雷雲の中に生息する。月出の国はとても水が清らかなので、ことのほか、瀑がこの地を好んでいた。私たち一族は瀑が水の清きこの地を好んで訪れていることを、いにしえの時代より聞き及んでいた。」
「水が清いことは我が領内の自慢である。この領地の外側の、星なるものの更に遠きそなたたちの国々にも、その噂が及んでいるのは、領主として喜ばしきことである。」
そう言い、晴景は嬉しそうに笑った。
「私が来る以前より、この星に住み暮らしていた瀑を追い、一族の中でも屈強の私が、この遠き遠き異空の星に、調査という名目でこの星を覆うほどの同郷の生きものたちを引き連れてやってきたのが、ヒトという生きものが存在する、その遥か以前の時代だった。」
イヌイは静かに晴景に向かって語りかけた。

まだ大型の爬虫類が闊歩していた時代だった。
すでに瀑と共にやってきていた他の生きものたちも、その爬虫類たちと共に自由闊達にこの星で生きていた。
中には姿形を当時この星でもっとも進化していた生きものの姿に合わせた一族もいた。
それが鵺の一族だった。
彼らは一度時空を渡ると、自分たちではなかなか移動ができない。
どうしても、そこで元々暮らす生きものの中に深く紛れて暮らさなければならなかった。
住む星の生態に合わせて、生きやすい姿に変えて生きる生きものでもあった。
彼らを含めて、イヌイの故郷から渡ってきた生きものたちは、何千年、何万年もの間、元々この星に生きている生きものたちと共に、伸び伸びと穏やかに暮らしていた。

「なるほど、それがあの、時折多くの烏共の中に紛れて見える、ヒトより巨大な、怪しき黒き鳥であったか。」
「鵺とカラスは天敵であるのだが、何故か彼らはいつもつるんでいる。」
そう言ってイヌイも笑った。

彼らの故郷と同じ時極性を持つ真水のある星はそう多くなかった。
瀑の生息にはその真水が不可欠なのだ。
瀑は自分たちに合った水を求めて、宇宙中、時空中の惑星に飛び、その惑星の真水の中に住み、その星の時空軸を移動しながら、長い間、その星に留まるのが常だった。
大地は時に活発に活動し、太陽風の影響で時に惑星全体が氷に覆われる時代もあった。
小天体の衝突やその他の天変地異により、惑星全体の生命の数が極端に減った時もあったが、そんな変化にも彼らはうまく順応し、時力の歪みを食べ、水を飲み、元来この星に生きる生命たちと共に平和に暮らしていた。

不死の生きものであるイヌイたちにとって、瀑は不可欠の生きものだった。
不死ではあるが、イヌイたち一族は病にかかれば、怪我もする。瀑の脱皮がもたらす鱗や上皮は彼らの薬となり、肉体の一部となった。
また、生活を支える様々な機器や恒星間飛行、あるいは時空を超える旅に必要な船体の外壁にもなった。かといって、彼らは瀑を人工的に飼育することはしなかった。
飼育を試みたこともあったが、代を重ねるごとに本来持っている瀑の力が徐々に拡散していった。
瀑にとっては様々な時空域で自由に活動し、自然に生活することが絶対に必要な条件のようだった。より純度の高い鱗が取れた。

「その瀑という生きものが、我が領内に多く生息していたのであるな…。」
「その通り。そしてウルカは、その瀑の存在まで行きついていた。私のせいで殿への報告が遅れてしまったが、それは彼の落ち度ではない。すべて、私が悪い。」
「さすが、ウルカは我が見込み通りの男であった。」
「この星で彼ほどの“人間”を私はまだ見たことがない。彼は私の生きる希望だ。時と場が異なっていれば、あのような暗い仕事もしていなかったはずだ。生きてきた運命は変えることはできないが、殿が守ってくれたこれからの生を、彼は懸命に生きることだろう。」
イヌイはウルカを夢のように思い浮かべながら晴景にそう言った。

「私たちは決して死なぬ一族だ。ウルカも基本、我らと同様、これからは決して死ぬことはない。」
「なんと、そなたは不死であるのか…。」
「瀑に準拠して生きてきた私たちの一族は、おのずと人口も限られている。
はるか昔、我らの一族は死ぬことを捨ててしまった。
死ぬことのない私たちは基本増える必要がなかった。しかし、それではあまりにも寂しいので、新たに宇宙が広がる時にのみ、自らの同胞を増やすことにした。
これならば、宇宙が生まれるごとに仲間が増え、宇宙の総量と空域に対する我らの人口の比率は変わらない。
深淵なる宇宙は、ヒトの想像をはるかに超えるほど広く複雑に広がっている。宇宙は消滅することなく流転するので、異空に生きる私たちにはそれで十分足りうることだった。
ウルカを蘇らせるために使った技も、基本、我らの同胞を増やす力を応用したんだ。」
イヌイは、ゆっくりと晴景に語り続けた。
「だが、それはあくまでも自分たち一族の身の話だ。
我らの存在は不死以外の生命体にとって、脅威の対象でしかない。
私たちはほかの生命体との無駄な争いやせめぎあいを避けるため、長い間、時空の狭間に身を隠し、彼らとの接触をことごとく回避してきた。
いつしかこの宇宙のほとんどの生命からその存在を意識されることはなくなり、時の流れと共に伝説や神話のように語られるのみとなった。
それでもまだまだ我らを忌み嫌う者たちが宇宙には五万といる。
そしてそんな時、私は後先も考えず熱情のままに、一族の禁忌を犯し、この星で出会ったたったひとりの男の死の運命に逆らい、彼の死を回避してしまった。
それは彼らの思うつぼだった。やがて私のこの行為は周囲の時空域に知られることとなり、私は弁明の為に自国へ戻ることとなったのだ。そのままであったら、私は虚無の時空へ永遠に追放されるところだった。
ところがその間に、ウルカは自らの命を絶つように、月出の国に攻め込んだ織田の軍勢に捕らえられてしまった、…私を救うために。元の通りの時の流れに戻ったので、私の罪は減刑された。そう、私がウルカを救ったのではない、救われたのは、私の方なんだ。
そしてウルカは死に、殿の城は落ちた…。弁明の余地はない。」
イヌイはそこまで話すと、ゆっくりと目を伏せ、沈黙した。
晴景はうっすらと目を潤ませ、ゆっくりとイヌイの手を取った。
「おお、やはり幻ではない。そなたはここにいるではないか…。この手で、憂流迦を守り、そして、蘇らせてくれたのであるな。そしてそなたも憂流迦によって生かされたのであれば、その生を豊かに生きてこそ、守った者の死に適うことだと、我は思うぞ…。」
「晴景殿……。」
イヌイはそっと目を開き、晴景を見つめた。
「……死の前に、良い話を聞かせてくれた。憂流迦に伝えて欲しい。我が命の代わりにも、何としても生き生きと生きよと…。」
イヌイは晴景の目をしっかりと見、その手を力強く握り返した。
「承知した。月出殿にこの話を語るのは、実はこれで四度目だ。
“時”は僅かだが、少しづつ変化している。
私は何度でも殿に繰り返し、この話を語りに来よう。
月出の国が亡ばぬ時が来るまで。
いつの日か、この部屋に殿が座っていない、その時が来るまで…。」

――続く――

※立花隆氏の『臨死体験』、その番組を参考にいたしました。

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