『本日、酉の刻…』

第90話

「何ですか?それは一種の…、呪いのようなものですか…。」
委員長は少々呆れたような表情をし、周りの書類を片付け始めた。
「そう、“呪”です。彼らには我々にはどうすることもできない、見えない時空の“呪”が幾重にもかけられている。」
「そのような非科学的な領域はもはや我々の分野ではありませんな。相馬さん、君の口からそんなオカルトじみた言葉をきくとは思ってもいませんでしたよ。さすがの私にも、陰陽師や悪魔祓いの知り合いは一人もいないのでね…。」
すると相馬は初めて委員長に向かってにっこりと笑いかけた。
「やっと分かっていただけたようですね。異空可動体は、最先端の物理学や自然科学や宇宙生物学では決して割り切れない領域が含まれているのです。私たちの歴史が始まる以前からの神話や伝説、はるか古代から伝わる様々な伝承や言い伝えなどからも深く示唆を感じる複雑な存在です。彼らを理解する上では先端科学の分野だけでなく、幽霊や妖怪、もののけや怪物、精霊や妖精、神話や昔話に登場する多くの幻怪の生きものたちの研究が役にたつ場合もあるのです。委員長、あなたは幽霊を見たことがありますか?妖精の存在を信じますか?それらが異空可動体とは深く関連性があると、信じることができますか…?!」
と、相馬は力強く身を乗り出して訴えた。
呼びかけられた委員長は、相馬に引きつった笑顔を向けた。
「よ、よく分かりました。相馬さん、君の見解はほぼ君の上司と同じようだ。宙倫研の共通認識としてよく受け止めさせていただきますよ。」
「ご理解いただけたようで嬉しく思います。」
相馬は最後まで毅然と構え、立ち上がって一礼をし、部屋を出た。


外の廊下で部下の栗原が待っていた。
「相馬さん、大丈夫でしたか…?」
「…委員会の連中、Bプロットたちを引き渡せと言ってきた。俺たちがやらないのならば、自分たちがやると。所長とうまく口を合わせておいて良かった。」
相馬はちょっと疲れたように溜息をつき、スーツの上着を整えた。そして持っていた書類をスーツケースにしまうと足早に歩き出した。
「所長と…?」
「うん、連中は幽霊話に呆れて、所長や俺を下ろしにかかってくるだろう。役所ってところはそういう話が大嫌いだからな…。時間稼ぎができる。」
「下ろしにって…、所長と相馬さん、どうするんですか?」
栗原は真っ青になった。
「転職するのも悪くないって、以前言わなかったか…。」
「冗談かと思っていましたよ!それにあの時はそんな話、まだこれっぽっちも出てなかったじゃないですか?!俺、この先どうすればいいんですか…?」
「お前は大丈夫さ。俺に言われた通りのことをしてただけだって言えばいい。責任はすべて権限のある所長と俺にある。まぁ、状況は以前と対して変わっていない。むしろ今の方が、時間があるだけまだましだ。栗原、日比野さんと連絡を取ってくれ。いつ荒事が起こっても良いように要請をかけろ。」
「は、はい…。」
相馬は栗原にそう言い、エントランスへ向かいその外へ出た。
一面ガラス張りのエントランスの外はよく晴れていた。
気温は低かったが、空の色は春の気配を強く感じさせた。
高層ビルに囲まれた建物の巨大な玄関を出ると、外は強いビル風が吹いている。
うしろからコートの襟を立てながら、連絡を終えた栗原が走ってきた。
「東京はまだまだ寒いですね。」
「いや、春はすぐそこだ…。」
「相馬さん、今機動部に連絡してホットラインを確認したら、研究所の辻越さんから変なメッセージが入ってきたんですが、これって本物でしょうか?
栗原はタブレット端末を見つめながら言った。
「変なメッセージ?」
相馬も思わず立ち止まった。
「信長の幻の刀剣が発見されたってニュースです。目録の中にはあったけれど、長い間行方不明だった幻の刀だそうです。日本中で大騒ぎです。またもや天正時代の至宝が発見されたって。…でも、見てください、辻越さん、この刀剣、形状があの1574バージョンの刀剣にとてもよく似ているんじゃないかって。」
相馬の表情が変わった。タブレットにはホットラインのメッセージと共にウェブニュースの画像と動画が貼られていた。
「辻越さん、これは以前自分たちが見た1574バージョンの刀剣にそっくりだって言ってます。あの捕獲したBプロットを助けに来た1574バージョンの刀です。映像として記録はできなかったけれど、相馬さんの命令であの時、考古部連れてきて自分たちの記憶が鮮明なうちにスケッチを残したじゃないですか。Bプロットたちは我々の記憶や電子媒体は操作できても、植物原料の紙の上に、主に鉱物を原料とした鉛筆で書かれたスケッチまでは消すことはできないんですね。それと比べたらしいんです。」
相馬はその発見されたという刀剣のニュース画像を見て息を止めた。
「どこで発見されたんだ?」
「滋賀県です。琵琶湖の近くの、信長ゆかりの地の、古い民家の土蔵の中から突然見つかったそうです。」
どたばたしているうちにこんなに大きな“歴史の修正点”が発生していたのか…。
確かに似ている。だが、少し変だ。栗原もその“変”なことに気が付いて、変なメッセージと言ったのだろう。
「1574バージョンの刀が何故過去にあったんだ。あいつは再び過去に戻ったのか。」
それとも俺たちに会う前の出来事が、今頃“修正点”として顕在化したのか。
それは歴史の順当な流れから到底考えられない。
「それにどうして、あいつは刀を手放したんだ…。しかもあの時代に。」
「相馬さん、これ、よく見てください。拡大します。」
そう言うと栗原は画像を大きく拡大させた。
「この刀、刀身の側面に文字が刻まれています。錆が強くて、何て書いてあるのか読めませんが、こんなの相馬さんが思い出したスケッチにはなかった。」
「そうだな、俺の記憶にもない。」
「過去の人間の誰かが、1574バージョンの刀に刻ませたんでしょうか…?だいたい刻めるんでしょうか?捕獲したBプロットが持っていた刀は何をしたってサンプルは取れなかったんですよ。1574バージョンの刀は、相馬さんを助けるためにあのベリリウムさえぶった切ったんです。ただの鋼じゃないのに、文字を刻んだり、それにこんなに錆びるなんて考えられませんよ。そもそもどうやって写真に撮ったんだ?」
栗原の言葉を聞いて相馬は、宙倫研の三重の硬化ガラスを刀で難なく切り裂いて、砂塵の中から浮かび上がったウルカの姿を思い出した。
「この刀は…、ニセモノだ。」
そう言って相馬はタブレットから視線を離し、歩き出した。
「ニセモノ…?」
「あいつの刀は決して錆びない。写真も映像も撮れない。おそらくあの新吹さんの銅鏡と同じ材質が含まれているはずだ。しかも純度がべらぼうに高い。」
「マジですか?」
栗原はリュックにタブレットをしまいながら、慌てて相馬を追いかけてきた。
「あのイヌイというBプロットを捕獲した時、イヌイの剣のデータを取得しようとした。もちろん記録は残らなかったしサンプルもまったく取れなかったが、実験のデータの記憶は俺や辻越には残っている。あの剣もあの新吹さんの銅鏡も、決して錆びないし傷つかない。なぜ材質が劣化しないのか。あれは物質を別の物に変化させているんじゃないんだ。自分自身の時間を常に巻き戻しているんだ。」
「そんなことってできるんですか…?」
「時間を物質ごとに巻き戻しながら、時の流れ通りに進んでいくなんて、俺たちの技術じゃ1000年経ってもできやしない。」
「Bプロットたちには、その技術が生命そのものに応用されているんですか?」
「身体とその周辺の細胞や個体を構成する物質そのものの時間を巻き戻しつつ、記憶や思考のプログラムやシステムは瞬時に時間軸の移動に合わせてアップロードを繰り返している、それも周囲の時の流れにきちんと同調しているんだ。途方もないエネルギーだ。」
相馬は独り言のようにそう小さくつぶやいた。目の前に赤煉瓦の東京駅が迫ってきた。
大きな交差点の手前で信号が赤になり、二人は足を止めた。
「あ、それからもう一つ、辻越さんが世界中のカラスの、できる限り詳細な情報が知りたいとか言ってました。」
「カラス…?」
「はい…。その発見された信長の刀剣が入っていた漆塗りの檜の箱の中には、びっしりと黒いカラスの羽根が敷き詰められていたそうです。それもべらぼうに大きなサイズの、通常のカラスの数倍はあるような、めちゃくちゃでかい黒い羽根だそうですよ。」
「なんだ…、それは…。」
「ハシブトガラスの尾羽根や風切り羽根よりもっともっと大きいそうです。それからですね、その羽根、DNA鑑定と年代測定を合わせて行ったそうですが、結果がちょっとおかしいんですよ。」
「結果が出たのか。」
「はい。でも報道されたデータの測定器がどうも壊れているんじゃないかって辻越さんは言っていました。マスコミの発表では、その羽根、何度測定を繰り返しても1億9000万年前から1億2000万年前の数値になるそうです。1億9000万年って言ったら……、ジュラ紀ですよね。」
「ジュラ紀…?」
「恐竜が生きていた時代ですよ。そんな時代の年代が測定値に現れるのに、見た目はまるで現代の鳥類の羽根だそうです。最近の研究ではあのティラノサウルスや翼竜の中には全身羽毛が生えていたものもあったという説もありますから、説としてありえなくはないのですが、問題はその保存状態だそうです。ジュラ紀の物が天正時代のあの地域で発見されることはまずあり得ない。それが440年後の今まで状態良く残っていることも考えられないそうです。」
しばらく沈黙したのち、相馬が口を開いた。
「栗原…、大きなカラスだ。化け物のようなカラス。」
「は?大きなカラス…ですか?」
「大きなカラス、お前、見たことはないか…?普通のカラスの4、5倍の大きさの…。」
相馬はそう言って空を見上げた。
「そんなでっかいの、見たことありませんよ。4、5倍っていったら2メートルか2.5メートルですよ。」
栗原は歩きながら両手をいっぱいに広げ、カラスの4、5倍の大きさを示した。
「俺は見た。奈良の新吹さんの所へ行った時だ。大勢の普通のカラスに交じって、ほんの一瞬だけだったが、とても大きいのが見えたんだ。」
「あ、そういえば、相馬さん、そんなこと言ってましたね…。」
相馬は表情を厳しくした。
「見間違いかと思ったが、考えを改めた。あれはやはりBプロットと何か関係があったんだ。それに今、天正時代で、とてつもないことが、きっと起こっている。」

――続く――


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