『本日、酉の刻…』

第61話

「なんでまた、いつもウルカに会いたいって心から思うたびに、一番会いたくない鵺たちがやってくるの?」
と、瑠珈は目の前に降り立った3羽の鵺を見て泣きたくなった。
どこかに逃げなければ…と一瞬思ったものの、そんな時間はまったくなかった。
瑠珈の通う大学は、裏山、瑠珈が初めてウルカと出会ったかつての月出城址に近い。
今はもうずっと以前のように感じるが、裏山に近い瑠珈の大学はすぐに鵺たちに見つかるだろうとウルカが言っていたことを瑠珈はふと思い出した。
瑠珈は思わず周りを見回した。
少し離れたところに数人の学生たちがとことこと歩いている。
だが、彼らはまったく鵺の存在に気がついていない。
鵺が軽く光帷に似たものを身に纏っているのだろうか。
上空でうるさく鳴いているカラスたちを見上げた者はいたが、その下にいる鵺たちを見る者は一人もいなかった。
二足歩行をする巨大なカラスを思わせる鵺たちは、相変わらずギャーギャーと訳の分からない声で鳴きながら瑠珈に少しづつ近づいてくる。
瑠珈は少しだけあとさずりをしたが、はっと気がつき、大きく深呼吸をしてウルカの言っていた言葉を再び強く思い出した。
——恐れるな、鵺は幻術を用いる。恐れは幻術を増幅させるだけだ。目を逸らさず、相手をまっすぐに、見ろ…——
以前、鵺に会った時、瑠珈が怖いと思った量だけ鵺の身体が大きくなり、凶暴な姿に変化(へんげ)した。
なので今回は瑠珈は努めて冷静に、鵺たちをしっかりと見据えた。
「…何?なにか用があるの?あたし、今はあなたたちが欲しいものは一つも持ってないわよ。」
と、瑠珈はちょっと強い口調で鵺に向かって言った。
鵺たちは、きっと以前月出山の山頂で瑠珈が会ったことのある鵺の内の数羽なのだろう。
瑠珈は彼らを個体識別はまったくできないが、向こうは瑠珈を知ってるようで妙に馴れ馴れしく近づいてくる。              
「△×◎●∀、Φ◇■Δ§▼……?!」
相変わらず何を言っているのか、まったく分からない。
だが、前回のような敵意のような荒々しさはまったく感じられなかった。
それは瑠珈が鵺に対して敵意をもっていないことに他ならなかった。
鵺たちは盛んに繰り返し手招きをしている。
彼らは、どうやらこっちへ来て欲しいと瑠珈をどこかへ誘っているようだ。
どこへ連れていきたいのか…。
だが、いつぞやの暗い服を着た男たちのこともある。
あの男たちも瑠珈をどこかへ連れていこうとしていた。
迂闊に誘いに乗ってはいけないと思ったが、今回鵺たちはあのウルカの笄を欲しがっていた以前とは異なり、随分とまっすぐな、必死な表情をしている。
よく見ると彼らは身体に覆われている羽根の上に同色の着物によく似た衣を身につけていた。
前回は気がつかなかったが、一体一体異なるデザインでおしゃれな飾りもついている。
あの透明な煽もそうだが、鵺たちも瑠珈が思っている以上に実は文化的でハイセンスな生きものなのかもしれない。
こちらが必要以上に恐れなければ、彼らは決して凶暴な姿に変容はしないはずだ。
「あたしに、着いて来て欲しいところがあるの?そう遠くないところ?」
どうやら鵺はこちらの言っていることはとてもよく理解しているようだった。鵺たちは嬉しそうにうんうんと強く頷いている。
これまた言葉を理解しているのか、瑠珈の思いを感じているだけなのか、区別はつかなかったが、試しに瑠珈は煽と話す時のように心の中で強く思ってみた。
——でも、もしまた以前みたいに何かひどいことをしたら、あのカラスさんたちがきっと容赦しないと思うわ…—
そう思いながら瑠珈は上空をカァカァと飛び交いながらこちらをじっと見守っている何十羽ものカラスを指差した。
すると、思った通り、鵺たちはびっくりした表情をして、固そうに見えて実は柔らかい嘴をぱくぱくと動かし、ぴょんぴょんと飛び上がって、何かを叫び出した。
それはまるで、
——とんでもない!我々は今はまったく敵意はないし、君を騙そうとしているのではない!——
と言っているようだった。
やはり、心の中のことが分かっている。
ということは、鵺たちには一切はったりが効かないのだ。
でも、このまま鵺たちに従って彼らについて行っていいものか、それはあまりにも危険過ぎる。
だが、あれこれと瑠珈が考えている間も、鵺は盛んにおいでおいでをしてくる。
鵺の姿を見ていると、何だか不気味な影法師が浮かび上がってうごめいているようにも見えた。
瑠珈は不思議な焦燥感に駆られ、無意識に鵺に向かってゆっくりと足が動き出していた。
上空のカラスたちが一段と高く強く鳴き叫んだが、その時すでに瑠珈の耳にはカラスの大きな鳴き声は届いてなかった。
瑠珈は鵺が放つ見えない糸に導かれるように、虚ろな眼差しをしながら、鵺のあとに従って歩いて行った。

気がつくと、そこは大学の裏山の登り口にある古びた小さい社の前だった。
ここは天文同好会で天体観測をする際に、裏山に登る時必ず通るいつもの神社だ。
先ほど大学の構内で出会った鵺たちはどこにもいない。
鵺たちは自分をこの古い社に導きたかったのではないかと瑠珈は思った。
——この中に、きっと何かがあるのね…——
瑠珈はそう思い、決心してその古い社の朽ちかけた石の鳥居の下をくぐった。
いつもは放課後のこの時間には、小学生くらいの子どもたちが数人、鳥居の前の小さな階段のところに座ったり、石の鳥居の辺りで輪になっているのだが、今は誰もいなかった。
瑠珈は賽銭箱も置いていない拝殿の前に立つと、その古い木の扉をそっと押した。
鍵はかかってないようだ。
中は薄暗く、何も見えない。一歩足を踏み入れてみた。澱んだ空気の臭いがした。
明るい所から急に暗い場所に入ったので、目が慣れず真っ暗に見えた。
暗闇が無限に広がっているように感じる。
手を前に伸ばしながら一歩一歩前に進んでいった。
きっと何かにぶつかるはずだ。だが、何歩進んでも何も当たらない。
外から見た時は本当に小さな社にみえたのだが、中はとてつもなく広い。
そこに、かすかに空気の流れを感じた。
ふわりと、足元辺りに空気が動いている。
「……風だ…。」
と、瑠珈が小さく言った時だった。
遠い遠い前方に薄ぼんやりと灯りが見えた。
瑠珈は、ここはすでにあの小さな古い神社の拝殿の中ではないと思った。
どういうからくりになっているのか、あの古い木の扉を開けて中に入ってからのち、どこか別の異空に迷い込んでしまったかのようだった。
それとも、これも鵺の見せる幻術のひとつなのか。
瑠珈は灯りの方へ、ゆっくりと近づいていった。
そのともしびは小さい松明だった。
だが、ただの松明ではない。
不思議な灯火だ。
まるで、蛍の光のようにぼうっと熱もなく、ぱちぱちと炎がはじける音もなく、メラメラと炎の光が木の棒の先から輝いているのだ。
その不思議な松明を一体の鵺が持っていた。
その鵺は今まで見たことがないほど大きな大きな鵺だった。
見上げるくらいの大きな鵺が松明を持ち、じっと佇み、こちらを見ている。
瑠珈は少し考えてゆっくりとその大きい鵺に近づいて行った。

——続く——

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