『本日、酉の刻…』

第68話

「いつもの、裏山のふもとにあるいつもの神社よね。」
白い息をはぁっと吐いて指先を温めながら、朋子が言った。
「この神社の名前が関西から西ではひとつもないと言われている第六天神社なの?」
と、朋子は言葉を続けた。
「うん、いつも遊んでいる小学生がたまたま言ってたの。ほんとかどうか分からないけれど。」
瑠珈が答えると、
「なんでその小学生たち、この神社の名前知ってたのかしら?」
朋子がちょっと首を傾げた。
「分からない。でも、もしそうだとしたら、引っかかることがあって。」
「なに?その引っかかることって。」
「まだよく分からないんだけど、どうして第六天神社は関西以西に一つもないのかってこと。」
すると坂本がもじゃもじゃの髪を掻きながら言った。
「あ、それ、聞いたことあるな。有名な話だよな。信長の祟りを恐れて豊臣秀吉が関西の第六天神社をすべて壊したっていう言い伝えだろ?」
「そう。やっぱり有名な話なのね。でも、もしこの神社がその壊された社の西国の中の唯一残ったものだとしたら…。」
瑠珈が言うと、
「誰かがこの社を守った?!」
朋子が元気よく答えた。
「それも、その誰かが名前を消して…。」
大之井がぼそりと言った。
「もし、すべての第六天神社が鵺たちの時渡りのプラットホームだとしたら、ここが唯一残された時渡りのゲートでもあるんだわ。」
そう言って瑠珈は少し暗くなり始めた空を見上げた。
この裏山も、そこにあった月出城も、もしかしたら元々は大昔から時渡りと何かしら強い関連のある地点だったのかもしれない。
裏山にあった月出城の歴史が消されてしまったのも、この神社の名前が消えてしまったのも、きっと根っこは一緒なのかもしれなかった。
「そろそろ時間…。」
朋子が腕時計を見た。
裏山の上空には相変わらず多くのカラスが飛んでいた。
今は名も無きこの社の上にも、多くのカラスが舞っていた。
カラスさんたち、あたしを守って…、と心の中で瑠珈は強く祈った。
その時、瑠珈はゾクリと背中に冷たいものが走った。
——来た——
と、瑠珈は思った。
見上げると、飛び交うカラスの中にふわりふわりととてつもなく大きなカラスが空気の中から突然現れて、音もなく瑠珈の目の前に着陸した。
人の大人より大きいカラスによく似た生きもの、鵺が一体、また一体と空から降りてきた。
「来た…。」
瑠珈が言うと、朋子が辺りをキョロキョロと見回した。
「え?どこ?」
坂本も大之井も息を殺して上空を見上げた。
瑠珈はそんな彼らを見て愕然とした。
朋子たちには見えないのだ。
「今、あたしの目の前に3人いる。あ、っと、4、5、6…。全部で6人降りてきた。もしかしたら、朋子たちには見えないの?」
「見えない、全然。え~~、そんなぁ。」
朋子がひどくがっかりするような声を上げた。
6羽の鵺たちは瑠珈に近づいた。
瑠珈に仲間がいるのを見て少し驚いたようだった。
中には羽をばたつかせ手に持っていた槍を一瞬構えた鵺もいたが、朋子たちがてんでにあさってな方向を見ているのを見て、彼らは顔を見合わせ、槍を収めた。
瑠珈は、この6羽は今までの鵺とかなり違うと感じた。
まず、着ている着物が違う。
鵺は皆カラスのように美しい濡羽色をしているが、その色に合わせて同色の黒い衣服を着ている。
不思議なことに皆おしゃれで一体一体異なるデザインの服を着ていた。
黒一色であるが、飾りの付き方や黒色の貝釦などそれぞれ独特の個性があった。
だが、今現れた6羽の鵺は瑠珈が今まで見てきた鵺の中でも飛び抜けて洗練された着物を着ている。
瑠珈は気を引き締めて彼らの心に話しかけた。
——初めまして。大きい鵺さんから話を聞きました。今から無為をこの社が建立された時代に時渡りさせます。えぇと、大きい鵺さんがいる時代、今から1420年前より、885年後、つまり今から535年後の…えぇと、——
——文明十年。——
鵺の一体がはっきりした声で瑠珈の心に“声”を返してきた。
「ブ、ブンメイジュウネン…?」
瑠珈がびっくりして思わず普通の声で話した。
すると今までずっと黙っていた朋子がくいと瑠珈の袖を引っ張った。
「瑠珈、どうなっているの?鵺、何か言っているの?」
瑠珈は少しだけ朋子を見て、黙って頷いた。
視線を鵺に戻して瑠珈は彼らに話しかけた。
——その年に無為を飛ばせばいいんですね。…言葉、分かるんですか?——
すると鵺の一体がギロリと瑠珈を鋭い瞳で捉えた。
——我等はこの星とこの国に一番長く留まっている。言葉は自然と覚えた。我等は皆、お前たちの言葉はすべて分かっている。——
よく聴くとやはり鳥のさえずりの音に似ている。
だが、あの大きな鵺よりヒトの声の音声に近い発音だった。
——すごい、あの大きな鵺さんより、ずっと上手…——
すると、別の一体が嘴を上に向けながら羽を少し広げた。
——お前たちが何百年経っても我等の言葉を覚えられぬからだ。お前たちの言葉を我等が覚えた方がはるかに早い…。——
どこかで聞いたような話だと瑠珈は思った。
それはまるでニンゲンたちが下等でレベルの低い生きものであるような言い方だった。
実際そうなのかもしれない。
姿も見えなくなり、空も飛べ、使ったらすぐに消えてしまう武器も持っている。
身体を自在に変容させることもできるし、時も渡れる。
ヒトが自分たちの特徴を上げようとしても、鵺にかないそうな部分はなさそうだ。
使ったら消える武器なんて何百年経っても作れそうな気配はない。
時も渡れない。空も自力では飛べない。姿を消すこともできない。命だってあっという間だ。
確かに鵺に比べれば下等な生きもののようだ…、と瑠珈は一瞬で思い、額の汗を拭った。
すると、6羽の鵺たちは少し顔を見合わせた。そして、こちらをいぶかし気に見た。
——お前はヘンなニンゲンだ。——
——そうだ、変な人間だ。——
——何百年も何千年もこの国で生きてきたが、我等をそのように“言う”者はとても珍しい…。——
——皆、我等を怖れ、その怖れの内には蔑みがある。喰われそうになったこともあった。——
——そうだ!我等を鴨か山鳥か何かと同じもののように捉えておる!——
——あの、忌々しいカラスどもと一緒にされる!——
——そうだ、カラスがいけないのだ。我等と似ておって、不愉快だ。——
と、鵺たちは嘴を突き合わせて互いに早口でさえずるようにまくし立てた。
「あ、あの…。」
瑠珈は目の前で上空を舞うカラスたちを指差しながら尖った嘴を上に向け、パクパクと盛んに開け閉めし、おしゃべりを続ける6羽の鵺にそっと声をかけた。
6羽はピタリとおしゃべりを止め、一斉に瑠珈の方を見た。
鵺はカラスにとてもよく似ているが、梟や鷹や鷲などの猛禽類と同じく、精悍で鋭い瞳は顔の正面を向いている。
しかし、この6羽は外見こそ他の鵺に比べ格段の品格を感じたが、彼らのおしゃべりがこんな内容だと分かると、普通の鵺たちも実は彼らとあまり差はないのではないかと瑠珈は感じた。
すると鵺の1羽が瑠珈を睨みつけた。
——“こんな内容”とは、なんだ。——
——そうだ!それに我等はカラスどもと“とてもよく似て”いない。カラスどもが我等に似ておるのだ。鷹だの鷲だのも皆そうだ。我等は1億2500万年前より姿を変えてはおらぬというのに、あやつらが勝手に時の流れと共に、我等と同じ姿に少しづつ進化してきたのだ。——
——そうだ、そうだ。こうなると分かっていれば、もっと色も尾羽も美しく作りあげていたものを——
——何を言うか。それをやって以前ニンゲンどもに捕らえられ、ひどい目にあった同じ故郷の愚か者がおるではないか…。——
——そうだとも。この姿こそ、もっとも美しいのだ!——
鵺たちは喧喧囂囂とおしゃべりを続けた。
そうだった、と瑠珈は思った。ちょっと気を抜くとこういうことが起こる。自分の心の中で考えたり思ったりしていることが、彼らにはすべて会話の一部として聞こえているのだ。
「どーなっているのよ、瑠珈。」
朋子が再び瑠珈の袖を引っ張った。瑠珈も困ったようにちょっと唇を噛んだ。
「なんだか分からない…。今、聞いてみるね。」
——あの、鵺さん方。そろそろ無為を呼んでよろしいでしょうか?——
瑠珈ができるだけ丁寧な心持でそう思うと、鵺たちはおしゃべりをピタリと止め、瑠珈を再び見つめ居住まいを正した。
——我等はこの時を待っていた。正当な瀑の鱗で時を渡るのは何百年ぶりであろうか。——
——心が打ち震える。昨夜父上からの口上が我等の元に届いてから、喜びのあまり、誰も一睡もしていない。——
——文明十年まで戻れれば、時渡りの数も時の門も一気に増える。仲間もたくさんいる。ここよりずっと住みやすい。——
——父上に会いたい。——
——父上に会いたい。——
そして、再びおしゃべりが始まってしまった。
早口になり、段々とΔΦ■◎○▽∀δ◇Θ…が多くなり、瑠珈にはまったく理解できない言葉に変容していった。
——では、皆さん、時渡りをするのは、あなた方6人でよろしいでしょうか?——
瑠珈が力強く思うと、鵺たちは険しい顔をしてすごい剣幕でしゃべり出した。
——6“人”とはなんだ。ヒトの数え方ではないか!失礼極まりない。お前たちは自分たちが一匹二匹と虫けらのように数えられて、良い気持ちになるのか?そもそも数え方とは宇宙の真理を表しており……——
鵺たちのおしゃべりはキリがなかった。
「分かりました。6羽ですね。じゃあ、無為を呼びますね。」
瑠珈がホンモノの声で答えると、鵺の1羽がつかつかと瑠珈に歩み寄ってきた。
——6羽?お前の目はふし穴か!我一体はおよそ100羽の鵺の集合体であるぞ——
すると、別の一体も歩み出てきた。
——我も100羽である——
——我は200——
——我は40——
——我は60——
——そして我も100羽の鵺を抱えている——
瑠珈は思わず両手を頭に当てながら、振り向くことなく大之井に向かって言った。
「大之井君、100+100+200+40+60+100って…600であってる?」
「うん、600だけど…、何か。」
大之井は即座に答えた。
「ありがとう、大之井君。」
瑠珈はくらりとわずかに目眩を感じた。

——続く——


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