『本日、酉の刻…』

第89話

「この異常な数値がもし自然な気象現象と太陽風から起こる磁気嵐の一種だというのならば、この特別な地域に極端に集中している理由を、まず説明していただきたいものですな。」
正面の巨大なスクリーンを背にして長机の前に座る鋭い風貌の初老の政府の役人が、相馬は何年経っても好きになれなかった。このとある省庁の“特例委員会”の初老の委員長は数名の委員と一緒に数メートル先のデスクの前に座る相馬をじっと見つめたままだ。
相馬は今回の報告会のために分厚い資料を用意していた。だが、宙倫研がファイルを委員会へ送る前に、彼らは既にすべてのデータを入手していたようだった。
相馬は冷静に言葉を返した。
「まず、その質問の答えに、他国に被害を与える内容は一切ありません。また、資料にあるように我が国の防衛上、問題になる側面もまったくありません。」
「相馬さん、それでは答えになっていませんよ。こちらは各国からの問い合わせに早急に回答しなければならないのです。」
委員長は表情を変えることなく言葉を続けた。
「率直に言いましょう。定常異空可動体のことです。例の特別な地域における先の小型のワームホールの発生に伴い、大気中の電磁波と磁力の数値が跳ね上がっています。これはまさしく彼らが特殊なケースとしてではなく、かなり頻繁にあの地域を中心に我が国に出現を繰り返しているということではないのですか?」
相馬は委員長を見つめたまま、しばらく声を発しなかった。
「確かにまだはっきりと答えられない部分もあるでしょう。しかし、現在脅威がなくとも、今後その存在や彼らの技術が、様々な問題や時には国際関係を揺るがす課題となりうる場合もあるのです。彼らの時空の行き来によって、万が一、例の特殊な時空上の方位標が150年前のようにまた危険な状態になったとしたら、その損害は我が国だけでは済まされないのですよ。」
相馬はデスクに目を落とし、やっと口を開いた。
「おっしゃる通り、危険な状況ではあります。ですが、万が一方位標を動かし、巨大な被害が発生したとしたら、異空可動体たちの生息地域や行動時空域も失うことになります。それは彼らにも大損害です。彼らは私たち以上に知的な生命体です。我々のように感情やおのれの損得のみでそのようなハイリスクな行動を起こす生命体ではありません。ですが、彼らの周辺での我々人類の動きは何よりも注意を払わねばなりません。そのために私たちの組織はここ数百年、いかなる変動値も逃さず、問題が発生しないよう監視を続けているのです。」
そう言って、そっと相馬は委員長に視線を戻した。
その言葉を聞いた委員長はフンと小さく鼻を鳴らし、手に持った資料をぱらぱらと捲った。
「で、その異空可動体とやらとは、コンタクトは取れたのですか?確か昨年秋に一体捕獲して、それを取り逃がしたと聞いています。もっと早急に上に報告し、手を打つべきではなかったのではないですか?10日近くも捕獲しておきながら、君たちはいったい何をしていたのか……。」
「現在解析中です。個体が捕獲していた気密室内の大気の組成物質を調べましたが、我々ヒトの人体とまったく同じ組成でした。ただ生体組織に関してはおっしゃる通り、一切サンプルは得られませんでした。」
「呼吸器を通過した物質は収集できて、一ミクロンの皮膚組織も、髪の毛一本も取得できなかったというのですか?」
「彼は自身の身体の周りを、目には見えない特殊な被膜で覆っていました。つまり常に薄い透明な膜のようなものに包まれていて、あの収容シールド内では厳密には外界とはまったく接触していなかったのです。ですが呼吸に関しては、その被膜を透過させていました。酸素や二酸化炭素、水蒸気などを取り込む呼吸器系統と身体組成は別の時空回路として存在しているのかもしれません。我々の感覚では捉えづらいのですが、あの個体を構成する空間自体、多重に存在している可能性が高いのです。我々が複数のデバイスを同時に使用するのと一緒です。常にそうなのか、あのシールド内だけであったのか、それを検証するのは今後の課題の一つです。捕獲したタイプは異星人です。非常に慎重に地球人と同化しています。」
「空間を多重に利用していると?何たることだ…。では、もう一方はどうでした?1574バージョンは?接触があったと聞きましたが。」
「戦闘状態でしたので、サンプルを取得するどころではありませんでした。私も手酷く投げ飛ばされました。」
「戦闘状態…?非常に危険な状況だったのですね。」
委員長の眼が鋭く光ったのが、相馬にも分かった。地雷を踏んだかと、相馬は微かに思った。
「私たちには特殊機動部の運用を許可されています。その特殊機動運用の一環です。」
委員長は少し手元の資料に目をやりながら、言った。
「特殊機動運用ですか。それでも今回はその機動運用が及ばす、上層部に緊急の要請がかかったと報告を受けています。そのような危険な状況を、我が国として野放しにしておくわけにはいかないのですよ。」
「…それはおっしゃる通りです。」
相馬もそれは、認めざるを得なかった。
「君たちも知っている通り、昨今、我が国だけでなく、異空可動体に関する様々な歴史的史料が世界中から次々に発見されました。その上、このタイミングで先日海外でも我が国の例の特別な地域における異常数値が観測され、上層部に海外から問い合わせが相次いでいるのです。最近発見されたポルトガルの史料について、相馬さんはどう思われているのですか?」
「ポルトガルの史料?」
「およそ440年程前に我が国からヨーロッパへ伝えられた、ある商人が残した手紙だそうです。これでも我々は細心の注意を払っているのです。本当に信頼し得る史料かどうか、この目でしっかり確かめなければと思いましてね。無理を言って、本物を取り寄せました。これには我々の歴史に大きく関わる内容が書かれていましたので。見ますか…。」
その言葉を聞いて、相馬は嫌な予感がした。
これは想定外だ。初めて聞く話だった。
自分たちが関知していない事例だ。一切宙倫研に報告されていない。
つまりはそれが発見されてしまったから、世界が動き出したのだ。
おそらく発端はその手紙だ。
思えば以前、1574バージョンと一般市民のあの女子大生を襲った暗い服の連中が動き出したのも、この海の向こうの騒動の一連の流れからだったのかもしれない。彼らをより強く動かす動機となった出来事がその手紙に書かれていたのではないのか。
委員長の隣に控えていた担当官が部屋の端にいた部下に合図をすると彼は室外へ向かう扉を開いた。部屋の外から重厚なケースが運び込まれ、受け取った担当官が相馬の前のデスクでそれを開いた。
中には薄い硬化ガラスが入っていた。
そのガラスの中に一枚の古い手紙が挟み込まれている。
回収が間に合わなかったのか。これは以前所長が言っていたヨーロッパで発見されたマドリード経由のモノに近い系譜なのか。だが、内容が以前聞いたものと異なっているような気がする。でなければ、上層部がこんなに慌てて緊急に動き出すとは思えない。自分たちが事後処理をしたあの一連の大量発生とは完全に別件のものだ。更に大きな動きがおよそ440年前に起こったのかもしれなかった。
相馬は唇を小さく噛んだ。
「…それは、例の巨大なBプロットの脱皮に関わる内容ではないのですね。」
「その通りです。それらは昨年、我が国でもその手の多くの史料群が突然発見されました。その後新たにいわゆる歴史に修正(ダメージ)が入ったのでしょう。異空可動体に関する記述がありましたが、それはあなた方の方が詳しい筈です。」
おかしい。やはり、所長の報告とはかなり食い違っている。相馬は胸ポケットからペンライトを取り出し、手紙に光を当てて、その古い文体の文字に目を走らせた。
「これは…。」
相馬は絶句した。軽い機械音が聞こえたと同時に正面のスクリーンにその手紙の文面が大きく映し出された。委員長は座っている大きな椅子を回し、そのスクリーンを見上げた。
「これが発見されたことで、我々も動かざるを得なくなりました。あの時代に織田信長が行った殺戮行為が誰によって行われたのか。勿論、表の史料には信長が行った征伐には様々な武将たちの名が連座しています。ですが、その手紙にはそれとは別に、ある人物が、いや人物と呼ぶべきではない存在のモノが、ある“妖術”を用いて壊滅させたと記述されているのです。伊勢長島の一向衆を、越前、加賀における一万二千人を超える討伐、更には天王寺砦の本願寺軍三千の軍を、四枚翅の“時鬼”が一瞬にして四枚翅から発する光る波動を用いて抹殺したとあります。そこには実に詳細にその内容が記述されていました。程度の差はあれ、これは君たちの直属の機動部から報告のあった、市民の記憶を消す異空可動体の一連の行為にそっくりです。実際見た者ではないと決して書くことのできない内容です。あの者たちが特殊な光と波動を発生させるあの四枚翅を用いれば、一万、二万、いや、それ以上数の敵の命を一瞬にして葬り去ることも可能なのではないですか。その手紙の記述にある通り、君がとてもよく知っているそのulkaという名の化け物の力を用いれば…。」
「信長…?信長に、彼が追従したというのですか…?」
「そうです。へたをすれば、歴史の修正点どころではない。このまま行けば大変換が起こりかねない。豊臣秀吉も活躍せず、徳川家康も天下は取らず、江戸時代は無くなるかもしれません。それより脅威なのは、そんな大量破壊兵器ともいえる存在が時を越えて、この時代のこの国に、我々のこのすぐ傍に、現れている状況です。」
「……あいつは、あいつはけしてそんなことはしない。あいつが権力におもねいたことは一度だってないんだ。」
相馬は、手紙を見つめながら誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
そして顔を上げ、正面にいる委員長に向かって冷笑した。
「こんな馬鹿げた作り話を信じろと言うのですか…。」
「馬鹿げた作り話にして煙に巻くのが君たちプロの仕事だろう。君も分かっているはずです、これは過去に君たちと同じような仕事をしていた者たちの痕跡であることを。つまり、これは限りなく事実に近い。そうじゃないのかね、相馬君。」
「時代が合いません。」
相馬は間髪入れずに答えた。
「彼が特殊能力を発揮した一番古い記録を我々の組織が最初に抹消した年は西暦1574年天正二年です。だから彼を1574バージョンと呼んでいるのです。そしてこの年より二年間、彼が我が国に現れた記録が一切なかった。再び現れたのは1576年、天正四年です。今、この手紙に書かれている内容はその空白の時代のものが含まれている。こんなことは今まで一度もなかった。我々が把握しているものとは大きく食い違っています。」
「食い違っていようがなかろうが、これが今の海外を含めた我々の共通認識なのですよ。正義の基準は君ではない。」
「事実を曲げろというのですか。」
「もはや事実はこちらなのです。後から発見されたものの方が歴史の修正点(ダメージ)の結果であるのは常識ですよ。」
「お言葉を返すようですが、我々の情報は江戸期より連綿と続いているものです。もし、この史料の記述が事実ならば、このことについて江戸期にも何らかの報告がある筈です。そしてもう一つ、もし彼がこの史料通り、信長の命を受けて多くの殺戮を繰り返したならば、当時の1574バージョンと深い関わりのあるあの城は、信長配下の城でなければなりません。ですが、あの山城の記録は今、我々の時代にはまったく残っていない。昔、ひどい戦があったということだけが、わずかながら残されているのみです。もし城が信長配下の城であったら、あの地域で戦が起こったとは考えられません。この史料に書かれた歴史は、ねつ造および、のちの時代に作られた偽りの史実です。」
「のちには作られていないのです。この史料は、我が国の最高レベルの年代測定で何度も測定されています。その結果、1576年、天正四年に書かれたものに間違いはないのです。」
いい加減にしてほしいと言わんばかりに、委員長は少し大きく溜め息をついた。
「では、その時代に何らかの目的でその商人が事実とは異なる手紙を書かされ、本国に送る状況になったのでしょう。すべての悪行を1574バージョンが行ったことにせよと、何らかの強い力が加わって…。」
「相馬さん、何故そう言い切れるのです。」
委員長は大きな椅子をギシリと鳴らしながら、背もたれに大きく背を預け、相馬を見つめた。
「現にその恐るべき異空可動体が今我々の時代に現れているのです。何度も言うが、これはもはや我が国だけの問題ではないのです。先ほどから聞いていると、まるで君の言い方は異空可動体を守ろうとしているようだ。あれらは時空に穴を開け、空間を歪ませ、その歪みが元で天変地異も発生します。時の一定の流れに悪影響を与え、現代において害悪でしかない異分子に他ならない。更にはあれらは決して死なない化け物です。どの時代においても、我々の歴史をかき回す元凶となるかもしれないのです。我々の歴史をいとも簡単に変えうる人類最大の脅威であるのです。そんな恐ろしいモノを野放しにしておくわけにはいかないのですよ。」
すると相馬は、珍しく少々荒々しく立ち上がり、手紙の入ったガラスケースを持ってそれを委員長の座る長机に向かってバンと置いた。
「それは、逆だ……。」
と、相馬は言った。
「あなた方こそがそうやって、歴史の中の都合の悪い我々の汚点をすべてBプロットたちのせいにしようとしているのではありませんか?あなた方は歴史上解決できない問題に直面した時、それらをすべて彼らのせいにするために、我が国に出現するBプロットたちの存在を今まで黙認してきたのではないですか。彼らは決して我々の歴史や社会に介入などしていません。むしろ私たちが彼らの存在を利用し、彼らの飛び抜けた技術や知識を隙あらば奪おうとし、社会や歴史を混乱させているのです。」
相馬はネクタイを少し緩めた。
「彼らの時空移動によって発生する歴史上の修正点、いわゆるダメージを人々に知られることが無いように修復することが私たち宙倫研の最大の役割であり、そのために私たちの先代の団体も先々代も秘密裏に政府や幕府によって守られてきました。本来の目的はただそれだけだったはずだ。彼らを利用し、彼らに罪をなすりつけるために存在してきたのではありません。信長の殺戮の肩代わりをさせることを認めるなど出来る筈がない。」
委員長は両手で目の辺りを擦りながら、疲れたように言った。
「つまり君は……、部外者は引っ込んでいろと言いたいんですね。宙倫研はいったいどうしてしまったのかね。」
そして資料を整えながら、軽く苦笑した。
「何回か諮問した君の上司では埒があかないと、今日は宙倫研きっての切れ者の君を呼んだが、君の上司といい、君といい、宙倫研は皆が皆、たった二匹のあれら異空可動体に魂を抜かれてしまったようだ。」
「定常異空可動体の研究は、この星においては私たちが最先端ですから。譲れぬものは譲れません。」
「そうですか…。では我々としても多少強硬的な手段を選ばざるを得ません。対外的な手前もある。あれらに危害を加えるつもりはないが、人類にとっての脅威は断固として排除しなければなりませんしな。相馬さんは、あの異空可動体の対抗勢力をご存じかな…?」
やはり…と、相馬は小さく歯ぎしりをした。あのBプロットによく似た特殊能力を使う暗い服の連中を陰で動かしていたのはこいつらだったのか…。
相馬は毅然として答えた。
「およそ440年前にも同じように無理矢理強行手段を取った武将がいました。彼の真の目的がなんだったのか、現在では測りしれませんが、天下を目の前にしていたその彼の末路がどうなったかは周知の事実です。信長は本能寺の変で部下の明智光秀の裏切りに会いました。おそらく彼は生前に、何らかの方法で異空可動体との接触を試みているはずです。」
「なんだね、それは…。私や私よりもっと上の上層部の者が、光秀のような部下に暗殺されるとでもいうのかね…。」
「そうかもしれません。とにかく信長は死んだのです。幕末の例の事件も、あなた方は良く知っている筈だ。どんな方法を取ろうと、どの道を歩もうと結果は同じです。彼らはけして触れてはならない存在なのです。」

――続く――


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