そうさくのーと 第92・93話分

うちの父が生前、具合がどんどん悪くなって、入院する直前のまだ意識がしっかりしていたころ、「そこに今立っていた着物の女の人は誰だ」と母に聞いたことがあったといいます。父は当時微熱もあったし具合もかなり悪かったので、母も私も病人のうわごとのようなものだと思っていました。

幽霊は個人的にまったく見たことがないので、見える人の気持ちもよく分からないし、源氏物語を始めとした生霊の話や、枕元に亡くなった親族が立つ等よく聞きますが、オカルトは基本信じていないので、これは何だろうと当時調べてみると、真面目な論文(本)が何冊もありました。父はその後3・4か月生きたのですが、現象はおおむねそれと一緒でした。

見えたらいいなぁと思いつつ、不思議な現象にはトンと出会ったことがないので想像の世界でしかないのですが、人の心や脳というのは、種族や個体を守るために、ありとあらゆる持てる力を総動員して、色々な危機に対処しているのだなと心震え、改めてヒトという存在が愛おしくなった出来事でした。

こんなに時代が進んでも、いるいないは別として、大昔から幽霊や生霊や魂や精霊や妖精が社会の表面に出ないまでも、多く語られているのも、それらがヒトが生きることにとって必要だから存在しているのだと長く確信しています。芸術や文学、美術や音楽も、そういった生と死に直結しているものだから、ヒトの心は打ち震えるのだと思うのです。生と死は分断されたものではなく、地続きで、どちらも尊く、自分にまっすぐに連なっている世界であるからです。

…長くなってしまったけれど(笑)、昔の侍は死が日常で、大将から足軽まで年がら年中仏様と向き合い、こんなことばかり考えていた存在だったと思います。だって彼らは死ぬ直前に誰もが歌を詠むんですよ。侍は武芸だけでなく、絵も歌も舞も嗜む存在でありました。恐ろしいです。
それは死が軽々しく扱われているというより、死が今よりずっと親しかったからではないかと思います。だからこそ生も大切にし、生を心から楽しみ愛し、時に生にとても貪欲であったように感じるのです。

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