『本日、酉の刻…』

第95話

――どうして、ここが分かった?――
鵺たちに自分が発している“時力”を悟られないように常に淡い光帷を幾重にも張っていた。
自身の痕跡を消すために、立ち寄った瑠珈の住まいの周りにも念入りに同じような仕掛けを施していた。瑠珈の住まいを見つけられるはずはまずない。
だが、不思議なことに鵺たちにはいつもの敵意と自分に向けられる増悪の感情が一切無いことをすぐにウルカは感じた。
彼は抜こうとしていた小太刀の柄を鞘に戻し、四羽の鵺をまっすぐに見上げた。
そして、鵺たちの想いの中に、とてもよく見知った一人の元気の良い存在があることを感じ、すべてを理解した。
四羽は、夜の空を飛ぶ無数のカラスたちを蹴散らし、音もなく瑠珈とウルカの立つマンションの屋上に降り立った。
大人のヒトの身より一回り大きな鵺たちを前に、ウルカは瑠珈を守るようにそっと四羽に向かい合った。
ウルカはそのうちの一羽に声をかけた。
「朋子殿は、何処だ。」
「…え?朋子?」
と、瑠珈は驚いたようにウルカを見上げた。
するとその鵺が流暢な日本語で答えた。
「安心しろ。すぐにここへやって来る。あの者は我らではとてもここへは運び切れない。父上に頼んで運んでもらった。」
そして、鵺は上空をすいと見上げた。
すると、瑠珈の目の前に、今降りてきた鵺たちの数倍はある巨大な巨大な翼が現れた。
屋上に先に降りていた鵺たちはそそと身を引き、巨大な黒い影のための空間を作った。
そこに、きゃーとか、わーとか、聞きなれた叫び声と一緒に、巨大な鵺と、その鵺の道案内と思われるすらりとした一羽の鵺が、瑠珈たちの前に降り立ったのだ。
――コノ時代ノ、“ヒト”ノオナゴトキタラ…――
と、巨大な鵺のやれやれといった“声”が瑠珈の心の中に響いた。
と、同時に、その鵺の大きな背中の中から、一人の人影が屋上の上に転げ落ちてきた。
「朋子ッ!!」
瑠珈は驚いて、落ちてきた彼女に駆け寄った。
「瑠珈ぁ~~ッ!あたし、やっと瑠珈の気持ちが分かったよ。確かにこれは怖い、上空は特に怖い!命綱無し、急に旋回したりするし、急上昇するし、それもおっそろしいスピードだし、ほんと、落ちるかと思ったぁ~~!!」
朋子はよろよろと立ち上がり、半べそを書きながら瑠珈に抱きついた。
瑠珈は朋子を抱きしめながら、
「大丈夫?どこも怪我してない?いったい何があったの?」
と、心配そうに訊ねた。
「この鵺っていうお化けガラスたち、あたしの家にやってきたの!小学生に化けて!この子たち、五人…じゃなくて五羽!それからあとからこのおっきいお化けガラス!あの神社に来た時は、ほとんど透明で何が何だか分からなかったけれど~~!」
朋子は相変わらずの早口で言いながら、落ち着いたのか瑠珈から離れ、巨大な鵺を恐ろしげに見上げた。
「この大きいお方はこの子たちのお父上よ。あたし、一度お会いしたことがある。」
瑠珈はそう言い、巨大な鵺に向かって、その節はどうも…と心の中で思いながら、お辞儀をした。
――サスガ、ソチラノ“酔狂ナオナゴ”ノ方ハ、コノ“ケタタマシキオナゴ”ト異ナッテ、礼節ヲワキマエテイル…。――
巨大な鵺、五羽の鵺の父親と名乗る大迦楼羅は、大きな羽をふわりと震わせ、羽繕いをしながらそう言った。
そして大きな翼を器用に畳み、瑠珈に向かって頭を下げた。
「そう!おとーさん!さっき聞いた!で、息子のうちの一人がね、あ、一羽がね、行方不明になっちゃったんだって!“時渡り”ってことをしている時に。で、さっきあたしんちで時間を遡ったり進めたりできるGPSを使って、いなくなった子の場所を特定したの!ほら、例のあの神社に落ちていた子供用のモバイルとゲーム機!この子たちのGPS機能付きの端末だったのよ!」
「じゃあ、あの神社にいつもいたあの子たちって、みんなこの鵺の兄弟の皆さんだったの?」
「モバイルとゲーム機は元の時代に戻るのでいらなくなったから捨ててったらしいんだけど、そのおかげで行方不明の子の居場所がさっき分かったの!」
「鵺の一羽が行方不明…。」
瑠珈は真剣な表情で朋子を見つめた。
「うん、そう。でね、この子たちがウルカに会いたいっていうから、坂本に相談したら、それなら瑠珈に直接聞いた方がいいって言って。そのいなくなった鵺の子、天正四年の琵琶湖のほとりにいるらしいのよ!」
「天正四年に…。」
「そう、天正四年、坂本たちも今、こっちにむかっている。」
朋子はいつもの元気を取り戻したのか、そこまで話すと五羽と巨大な一羽をぎろりと睨みつけた。
そういうことだったのかと、瑠珈は思った。
手前にいたウルカはずっと無言だったが、それは大迦楼羅たちと、瑠珈には聞こえない“声”で深刻な話し合いをしているのかもしれなかった。
すると、朋子のスマホのマナーモードがぶるぶると鳴った。
朋子は気がついたように屋上の手すりまで走り寄って、地上を見下ろした。
瑠珈も見下ろすと、そこには坂本がスマホを耳に当て、息を切らしながら手を振っていた。
「上がってきて!早く!」と朋子はスマホに向かって言い、地上の坂本に向かって大きく手を振った。地上の坂本はよろめきながら瑠珈のマンションの入り口に入った。
「……そなたたちの言い分は分かった。」
と、ウルカが静かに言ったのは、ちょうど坂本が屋上の扉を開き、息せき切って瑠珈たちの元にやってきた時だった。
坂本は目の前の巨大な大迦楼羅や鵺たちの姿を見ると、うわっと小さく声を上げたが、恐る恐る瑠珈たちの所へ近づいて、背中のリュックからタブレットを取り出し、ぜぇぜぇしながらそれを彼女たちに見せた。
「…さっき、ニュースで流れた。信長の幻の刀剣が見つかったって。以前、大之井のじいちゃんの武術仲間が色めきだっていたのはこのことだったんだ。これって、今回の件になんか関係があるんじゃないかと思って…。その刀剣の復元CGがこれ…。」
「これって……、ウルカの剣?」
「…そっくりだ。でも、ここに文字が刻まれてる…。」
坂本は画像を拡大させて、剣の刀身の側面を示した。
「俺たちが歴研の部室でウルカさんの剣を見た時は、こんな文字、刻まれてなかった。」
「確かにそうだった!」
と、朋子が思い出すように言った。
気がつくとウルカが瑠珈たちのそばにやってきていた。
坂本がタブレットの画像を見せると、ウルカはじっとその刀剣に刻まれた文字の列を見つめた。しばらく沈黙が続き、その後、ウルカは坂本から離れた。
「これは…、私の剣ではない。」
と、ウルカが静かに言った。
「これって、偽物…。」
瑠珈も真剣に画像を見つめた。
「やっぱり!でも、鞘とか柄とか、あたしたちが見た物にそっくりだけど!」
朋子がタブレットを覗き込みながら驚いたように声を大きくした。
「意匠と設えはまったく同一のようであるが、私の大刀の刀身には、元々一切の銘はない。月出の殿より賜った頃より、文字は一文字も刻まれていなかった。イヌイが同じくそのように復活させた。だが、刀身は当時のものと、我が身と同じ瀑の鱗を混合し、形成させている。我が大刀は銘や文を刻もうとしても再びまっさらな状態へすぐに戻る。けして刃こぼれもしない。このように文字が刻めるということは、これは当時の鋼を使ったものだ。私の剣ではない。」
「でも、その、イヌイさんが後から復活させた物ではなくて、月出のお殿様が作って、ウルカさんに差し上げたという、元々の刀であるということはないんですか…?」
坂本がそう訊ねると、ウルカは自分の腰にある小太刀にそっと手を添えた。
「月出城が落城し、私が死んだ時、同時にこれらの刀も跡形もなく焼け朽ちた。イヌイがその鋼の残骸を天正の時より故郷の星へ運び、原子配列を整え還元させ、瀑の鱗を使いそれを融合させ、私の記憶の中の刀剣とまったく同一のものを再生させた。」
「つまり本物は、ウルカさんを作った材料と元々の月出のお殿様の刀とを混ぜて出来上がっているんですね。元々の刀は天正の時代以降、この時空の軸には、それ以外、存在していないってことですね。」
「あの大刀は、言葉通り、わが身の一部故…。」
ウルカはそう言って少しだけ目を伏せた。
五羽の鵺たちも何か言いたげに互いに見つめ合い嘴を開きかけたが、何も言わずに嘴を閉じた。
「じゃあじゃあじゃあ……。」
と朋子がウルカと坂本の間に割り込み、タブレットの中の刀剣に刻まれている文字を指差した。
「この偽物の刀に書かれている文字はいったい何ですか?」
朋子はウルカを見上げた。
「これって一種の暗号ですよね。忍びにしか読めない秘密の文字みたいな!なんて書いてあるんですか?」
「そなたたちに分かる言葉で申すのならば…。」
ウルカはここで、言葉を小さく切った。
「“生きものの命には貴賤はない。どの命にもこの先のゆく末を変える役割を担っている…”。」

朋子と坂本は顔を見合わせ、不思議そうな顔をした。
「この刀が入っていた箱の中には、大量の巨大な黒い羽根が入っていたらしいんです。これです。すごく大きくて、普通のカラスの4.5倍の大きさの黒い羽根です。」
坂本はウルカに別の画像を見せた。
「このこととその文章は、何か関係があるのですか…?」
坂本がちらりと鵺たちを見ながら言った。
「…養父(ちち)が、私を呼んでいる…。」
「お養父様…?」
瑠珈はウルカの少し悲しげな横顔を見上げた。
「これは…、私に天正四年に戻ってこいという、過去からの伝文だ。私にだけはとてもよく分かる、養父からの命(めい)だ。」
ウルカは静かに答えた。
坂本は納得したように頷いて、
「何らかの方法で鵺を人質に取ったその人が、ウルカさんを自分たちの時代におびき出そうとしているんだ。ウルカさんなら助けに来ると思って…。」
と、朋子に向かって言った。
「捕らわれた鵺は、私が以前鵺たちに渡したあの大刀を持っていた鵺だ。刀身が私の血肉と同一の成分故、堕射が獲物と思い、鵺たちの時渡りの最中に大刀ごと鵺を天正四年に引き戻したのだろう。鵺は捕らえられたが、本来鵺が持っている時渡りの力と、大刀の強い“時力”により、その身は引き裂かれることなく、天正四年へ渡れたはずだ。」
そう言いながら、ウルカは鵺たちにまっすぐに向かいあった。
「だが、大切な風切り羽根を無残にも切り落とされている。飛ぶことがかなわぬ。」
その時だった。
突然、五羽の鵺たちが瑠珈たちにはまったく分からない彼らの言葉で強く互いにしゃべり始めた。
もの凄い剣幕だ。彼らは自分たちの兄弟が天正四年に捕らえられていると知り、助けに行こうと言っているのだろう。
それもかなり荒々しい方法で…。
ウルカもそれを分かってか、五羽の鵺たちの前にゆっくりと歩み寄った。
「あの時代に生きる市井の人々には何の罪もない…。天正の世のヒトの国を滅ぼしたとしても、そなたたちの兄弟は帰ってこない。」
すると鵺たちは恐ろしい形相でウルカに向かって叫んだ。
「黙れっ!お前のせいでこのようなことが起こっているというのに、何をぬけぬけとっ!!」
鵺たちは一斉にウルカに向かって躍りかかってきた。
見ると五羽の兄弟たちは手に手にあの光の槍を出現させている。
それを皆それぞれに構え、鵺たちはまっすぐに突進してきた。
ウルカは、
「瑠珈っ!皆と共に離れろっ!!」
と、彼女に鋭く声をかけ、瞬時に左腰の小太刀を抜き、5メートルほど一気に後退し、間合いを取った。
瑠珈は震える朋子の肩に手を回し、どうすることもできずにその場に呆然と立ちすくむ坂本の腕を強く引き、転がるようにウルカから離れた。
その直後、五羽の鵺のうち、正面からまっすぐに槍を突いてきた二羽の槍の切っ先をウルカは強く小太刀で打ち払った。続けて刀を下方からうねるようにひるがえし、一方の槍の柄を薙ぎ払い、そのまま鵺の身体の側面にウルカは肩から体当たりをした。
よろける鵺の嘴の下に小太刀の柄を鋭く突き入れながら、左の鵺の槍を左腕で挟み、身を沈ませ、その手から槍を奪った。
更にその槍を、上空から飛び降りてきた三羽目に向かって強く投じると、上空の鵺は槍を避け、バランスを崩し、ドスンと床に落下した。
その鵺に向かって小太刀を振り下ろしたウルカの足に倒れた鵺が間髪を入れずに強く足蹴りをした。後方によろけたウルカを残りの二羽の槍が容赦なく突いてくる。小太刀で何度も槍の鉾先をかわしたウルカは、大きく後方へ飛び退き、鵺たちから再び距離を取ると、低い位置で小太刀を深く構え直し、鵺たちに向かって素早くにじり寄った。

こんなウルカを見たのは初めてだと瑠珈はぞくりとした。
以前、月出山の山頂で、言葉の通じない鵺たちに襲われた瑠珈を助けた時とは明らかに戦い方が違う。
そしてこの五羽は格段に強い。
この時代にいる鵺たちの中でも最先鋭の鵺たちなのだろう。
本気を出さねば敵わぬ相手なのだ。瑠珈が大迦楼羅を見上げると、じっと成り行きを眺めているだけだ。
にじり寄るウルカに向かって五羽の鵺たちは体制を整え、手に持つ槍を身構え、戦陣を組み一斉に襲いかかってきた。
5対1では多勢に無勢、勝ち目はない…、と瑠珈は思い、立ち上がろうとしたその時だった。
「手出し無用っ!!」
とウルカは鋭く叫び、ぐわりと大きく半透明の四翅を出現させ、一瞬にして青白い強い光帷を全身に纏った。
五羽はウルカを取り囲みながら、同時に光る槍を全力で突いてきた。
強い光帷が槍先を強く弾き返し、そこに生まれた一瞬の隙をウルカは決して見逃さなかった。彼は光帷を素早く消すと、同時に地を強く蹴り、正面にいた一羽の鵺の下段に構えた槍の長い柄にたんと飛び乗り、ハッと顔を上げたその鵺の顎を鋭く蹴り上げた。
鵺は仰向けにもんどりうち、そのまま床に背から崩れ込んだ。
それを見た二羽の鵺が怒りの叫びを上げ、すっと着地したウルカの後方から同時に攻撃を加えてきた。ウルカはギラリと暗く瞳を輝かせ、瞬時に四翅を消し、その四翅が消えぬまに驚くほど素早い後方空中回し蹴りで同時に二羽の鵺の首筋を強く打ち払った。半透明の光の四翅の残像が、ウルカの周りに美しい弧を描いて音もなく消えていった。
鵺たちはその瞬間に気絶し、バタバタと床に転がり崩れた…。

――続く――


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