『本日、酉の刻…』

第96話

残った鵺が着地したウルカに向かって間髪入れずに大きく翼を広げ、上空から襲いかかってきた。彼は後方に飛び退きながら直線攻撃を避け、態勢を整え応戦した。
鵺たちの鋭い槍先が容赦なくウルカに向かって突きかかってくる。
すんでのところを小太刀で対するが、やはり槍のリーチには小太刀の刀身の長さでは圧倒的に不利だ。
鋭い槍先をかわすだけが精いっぱいで、ひたすら応戦のみである。
ウルカをよく見ると、あの美しい灰墨色の豪奢な刺繍の入った美しい衣がすでに所々切り裂け、血が滲み出ていた。
肩で荒く呼吸をし、腕の辺りにできた傷を押さえながら、よろける足で後退しながら何とか踏みとどまっている。
激闘は数分間続いた。
これ以上のウルカの反撃は無理だと誰もが思ったその時、一羽の鵺の槍が正面から鋭くウルカを突いた。
瑠珈は思わず息をのんだ。
ウルカは槍先を間一髪で避け、激しく床に倒れこんだ。
そこを鵺がここが好機とばかり倒れたウルカに近づき、彼の背目がけて槍を振り構えた。
その時だった。ウルカは瞬時に身体をひねり片膝をついたまま、大きく槍を振り上げ身体の開いた鵺の脇腹を、下方からしなるように全身の力を使い峰打ちで打ち払った。
鵺は身体を二つに折り曲げ、ぐわっと嘴を開いたまま横向きに吹き飛び、そのまま床に叩きつけられた。
ウルカは軽く呼吸を整えながらゆっくりと起き上がり、最後に残った鵺を鋭く見据えた。
残った鵺はおそらく長兄の、あのすらりとした鵺だった。
鵺は嘴を左右に引き、目を細めてウルカを見つめた。
「やはり、噂通りのつわものよ…。」
と、長兄は言い、強く感心したように鳩に似た声で喉を鳴らした。
「息が上がっているように見せたのも、地に倒れたのも計算の上であろう。敵に背を見せ倒れるなど、お前ほどの腕であればあり得ぬことよ。そこを見抜けぬ我が弟の見極めの弱さがこの結果だ。相手に勝ち目があると油断させ、開いた懐近くに飛び入り急所を突くとは、実は至近距離においては小回りの利かぬ長い槍相手には有効な戦術だ。不死身のお前にはそれしきの手傷も数日のちには回復するであろうからな…。」
それを聞いたウルカは、微かに唇の端に笑みを見せ、
「鵺の毒は身に応えるが、不死身には不死身の闘い方があるのでな…。」
と、静かに答えた。
「我ら、迦楼羅一族長老の五羽と戦い、およそ無傷であるとは…。我らは一切手加減はしていない。それで四羽がこの有様だ。恐ろしい“ヒト”の男よ。」
鵺の長兄は槍の構えを一旦解いた。
「“ヒト”としておくのは惜しい存在だ。お前が“ヒト”どもから化け物と呼ばれる所以も、あのイヌイがこの星の時の流れを変え、我らの故郷の時を止めてまでお前を甦らせた理由も分かるというものだ。お前があやつのものでなければ、その四翅の翼をもって有翼の朋輩(ともがら)とみなし、我らの一族に迎え入れたきところであるが…。」
するとウルカはやや目を伏せ、小太刀の柄をかちゃりと握り直した。そして、
「どいつもこいつも…。」
と、誰にも聞き取れないほどの小さな声で呟くと、鵺の長兄に向かって精悍な眼差しを向け叫んだ。
「御託を並べる暇があらば、早く決着をつけようではないか…!」
それを聞いた長兄は、嘴をカッと大きく開き、翼を広げ槍をぐわりと構えた。
「望むところよ!!」
と、その言葉を待っていたとばかり長兄はそう叫び、目にも止まらない速さでウルカに向かって襲いかかってきた。

ウルカは瞬時に半透明の四翅を出現させ、地を蹴り、長兄の一撃を回避した。
彼はそのまま上空へ高く飛行し、長兄の背後から小太刀を振り下ろした。背後を取られた長兄だったが、大きな黒翼をふわりとひとあおぎするとそのまま軽々と上空へ飛翔し、恐ろしい勢いで反撃を開始した。
ウルカは長兄の槍を避け、小太刀の峰で槍の刃を何度も受けた。
だが、そのままウルカは競り押される形で背後に向かって上空より一気に降下した。近くの電線にウルカの四翅の一部が触れたかと思うと、バリバリと火花が散り、ウルカはバランスを崩し、そのまま地面ギリギリまで落下した。
一瞬近所は停電し、真っ暗になったが、すぐに街燈の灯りは輝きを戻した。
瑠珈と朋子と坂本は屋上のフェンスの端まで走り寄り、ウルカと鵺が落下した方向を急いで見下ろした。
「あいつと空中戦はムリだ…。」
坂本が唸った。
「そうよ!あいつらお化けガラスよ!空に飛んだらあいつらの思うつぼよ。」
と朋子も言った。
するとそれまで黙っていた瑠珈が、大迦楼羅に向かって訴えた。
「大迦楼羅さん、お願い!二人を止めてください!でないと相討ちになってしまう!」
――一人ト一羽ダ…。――
「そ、そうです!一人と一羽、とにかく戦いを止めてください!」
――我ハ止メラレヌ。アヤツガソレヲ望ンデイナイ。酔狂ナオナゴ、オマエナラ、スデニソノ答エヲ知ッテイルハズダ。――
「…え?」
瑠珈は一瞬なんのことか分からなかったが、すぐにあることをハッと思い出した。
「…まさか、あの時の……?!」
――アノ男ハ、決シテ偽リハ申サヌ。ソシテ我ラモ、“一度交ワシタ約束ハ、違エルコトハ、決シテナイ…。オ前タチ、ヒトノヨウニ、フタゴコロトイウモノハ、心ノ内ガ見エル我等ニトッテ、存在シナイノデナ。”――
大迦楼羅は大きな瞳を輝かせながら瑠珈を見つめ、彼女の心に語りかけてきた。
それは以前、瑠珈が一人で鵺の大群を過去の時代に送ろうとしたときのことだ。だが、一人ではうまくいくはずもなく、鵺の大群は大混乱に陥った。そこに助け舟を出してくれたのがウルカだった。大迦楼羅の今の言葉は、まさにその時、大迦楼羅が時を越えて瑠珈の前に現れた時に発した言葉そのものだった。
溢れる光の“時の壁”の狭間で、時空移動“時渡り”の為に何百羽もいる鵺たち同士、空間の移送圧縮が必要だった。
一度ばらけてしまった鵺たちを再度圧縮させるためにウルカは彼らの士気を高め、最後に確かにウルカは闘いの約束をしていた。
だが、それは普通のニンゲンの瑠珈にとっては、単なる売り言葉に買い言葉、一種の言葉の挨拶のようなものだと思っていたのだが、どうやらそうではなかったようだ。
――ソウダ、我ラハ鵺ノ中デモ戦士ノ一族ダ。戦イハ避ケル。透明ナ身体モ変化(へんげ)ノ術モヒトヲ惑ワス能力モ、スベテ戦イヲ避ケルタメノモノデアル。シカシ、好敵手カラノ誘イトアッテハ、断ル訳ニハユカヌ。心ユクマデ存分二戦ウ。槍持ツ鵺ノ一族ハ我ラノミダ。――
「そんな…。」
瑠珈は大迦楼羅のその言葉を聞くと、再びフェンスの端まで走り寄った。
近所の街燈がバチバチと点滅を繰り返すだけで、目をこらしてもすでにウルカと鵺の長兄の姿を見つけることはできなかった。
「ウルカ……。」
瑠珈は祈るように彼の名を呼んだ。
すると、瑠珈の心の中に、温かい光のようなウルカの“声”が柔らかく響いた。
――心配するな…。瑠珈。私はうまくやる……。――
「ウルカ…。」
瑠珈は再び彼の名を呼び、ウルカの気配を感じようと、遠く暗い夜の空を一心に見つめた。
「ウルカたちが消えた?」
近くにいた朋子も眼下の街や遠くの空を見ながら言った。
「市街地に被害が及ばないように、街から離れたのかもしれない…。」
と、坂本が言った。瑠珈はあのウルカにもらった根付を握りしめた。すると、彼女の心の中にふわりと暗く広い夜の川の風景が広がったのだった。

月出川の河原は約440年前の姿と随分変わっていた。
当時ゆるやかに蛇行していた本川が今ではしっかりと護岸され、広い河川敷に堤防が設けられ、元々の河原の多くは宅地化されこの時代の人々の住まいが広がっていた。
この月出の国に流れる月出川の中流域は元々広い河原は少なかったが、月出城が自然堀として利用していた城の西側の市街地の外れには月出川の支流が走っていた。
その自然堀の付近は比較的流域の整備がこの時代においても進んでいなかった。
ウルカがこの時代にやってきたのち、かつて月出城が建っていた月出山の山頂から西の方向のその場所を眺めながら、何故が不思議とぽっかりと開発が進まないその地の忘れ去られた真の理由を思い、何度も胸が締めつけられた。
光帷を張りながら上空を飛ぶ時も、ついその場所に何度も目が行ってしまった。
そして今、鵺との戦いの決着をつけるためその場所に向かって、彼は飛行していた。
彼のすぐ後ろには全速力で自分を追っている鵺の長兄の姿があった。
空中戦は何としても避けたい。
煽も今はいない。これ以上の長距離の飛行は不可能だ。
ウルカは小さな玉砂利と草原の混じったその暗く広い河原に急降下し、着地した。
そのウルカに向かって、上空から鵺の長兄が光の槍を力いっぱい振り下ろした。
その槍の切っ先を、ウルカは振り向きざまに小太刀の峰を両手で支えながら受け、弾き返した。
「…ここがお前の死に場所だ!……と言いたいところだが、お前が決して死なぬことを我らはよく知っている。お前は我らと同じく、時を渡り、異界に生きる幻怪の生きものよ。殺せなくとも二、三百年は立ち上がれぬほどぶちのめしてくれるわ…!!」
鵺の長兄はそう叫ぶと地上にふわりと降り立った。
鵺はウルカをじっと見据えるとフンと嘴を左右に引いた。どうやら長兄はウルカの微かな心の揺らぎを感じ取ったらしい。
「なるほど、ここはかつての刑場であったか。お前が雇われていた城のあるじが、この河原で罪人のように斬首されたとは、その城主もさぞ悔しかったことだろうなぁ…。」
「ここに降り立ったは偶然だ…。ヒトの住む市街地を避けただけだ。」
「ではその偶然は、お前のかつてのあるじの死がお前をここに呼ぶために市街地とやらをここに広げなかったのだ。お前のあるじの魂が、お前をここに呼んだのよ!」
「死者はものを言わぬ…!」
ウルカは鵺に向かって毅然と答えた。
「それはお前が死者の声を聴こうとはしないからだ…!!」
鵺の長兄はそう叫ぶと光の槍を構え一気にウルカに向かって突き進んできた。
ウルカは河原の砂利を鳴らし、素早く後退しながらハッと顔色を変えた。
鵺が一直線に迫りながら、みるみるその姿を変容させたからだ…。
その鵺の姿を見て、ウルカは更に表情を厳しくさせた。
そこに現れたのは忘れもしないウルカのかつてのあるじ、月出城主月出晴景の姿だった。

――続く――


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