私の殺意が高い理由。

こんにちは。アドベントカレンダー五日目担当のくせに大遅刻しでかしたひゃん(@skyblueamity)です。実家ばたばたで年賀謎できるかわからないレベルなので御容赦を。

突然ですが、なんか最近やたらと「初心者向けの謎とはなんぞや」的な議論、増えましたよね。某社の公演が初見殺しだの、上級者向けと初心者向けは区別されなければならん、だの、持ち帰り謎は誰が買うかわからんから簡単にしとけ、だの。確かにその気持ちはわからんわけではないんですよ。初心者さんにはぜひ楽しんでほしいし、その為には成功体験が手っ取り早いですからね、うん。

でも謎解きって、ストーリーにおける立ち位置を考えると、プレイヤーにとって「挑む必要が生じるもの」か「自発的に挑むもの」のどちらかになるんですよね。

つまり、何らかの形で挑戦状を叩きつけられている、その状況の疑似体験なわけで、必ず成功体験を積める場として定義はされていない。クラスタが大挙したって成功率10%とかザラだし。

もちろん、多くの謎解きイベントは興行で、プレイヤーはお客様です。でも、謎解きが挑戦状であると考えるならば、お客様は制作者が売った喧嘩を自発的に買ってくれていると見ることも出来るわけです。それなら、絶対、相手を舐めてかかっちゃいけないとも思うわけです。なんなら、初心者にもめっちゃ解けちゃう人がいるかもしれないですし。

その上で必要になるのが、「やってやったぜ」っていう達成感かな、と思います。失敗しても楽しんでもらうことは、もちろん興行としての謎解きが持つ至上命題です。

でも、失敗へのケアに気を配りすぎて、「これで終わり?」って思われてしまうのは、それはそれで何か違うと思います。クリア出来なくて悔しくて、その悔しさを何度も重ねた先で掴んだ成功が、拍子抜けするようなものだった、なんて経験をした人は、初見で「謎解き無理」って思っちゃった人以上にコンテンツから離脱してしまうのではないかと思うんです。

例えるなら、数時間並んで食べたラーメンが実は袋麺だった、みたいな、あるいはエクストラダンジョンの最奥にあった宝箱が空っぽだった、みたいな感じです、多分。

要は、同じ成功体験でも達成感の有無で大きく満足度は変わるし、失敗してもその達成感が見えるかどうかが達成感に向かうモチベーションを左右するんじゃないかと思うんです。なんなら道中の小謎だって達成感たりえますから、成功と達成感は決してイコールではない。つまり、冒頭で言ってた初心者向けって、達成感を特盛にした謎なんじゃないかな、とか思います。

だから、私は達成感を掴むためにこそ解き続けたいし、達成感のある謎を作り続けたいなって思うんです。

確かに去年の今頃、私はとある記事でなかなかに酷い弱音を吐いていました。でも、人から見た自分というあり方ばかり考えて弱気になっていた私は、本当に負けちゃって、何者でもなくなって、それから1年でやっと謎解きに対する本来のモチベーションの正体を見出せたような気がします。

だからもう、弱音ばかり吐いて2歩も3歩も周りより下がっておこう、なんて思いません。約3年間、ずっとずっと、本当は何より掴みたかった達成感を手にするために、ひたすらに進んでいこうと思います。

これが、私が人から「殺意高い」なんて言われてしまう、その原動力だから。

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