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【推し活】君のために僕は死ねる

この前書いた文章より、色んな人のnoteにふれると頷ける部分のたくさんあった。そして、どの分野の推し活にも通じるんだなと感じた。

ある芸人さんのファンだった男性の話だ。彼らについて独善的で理想を求めるようなツイートをしてしまったばかりに他のファンなどに嫌われ、そしてクローズな空間でやってたことをセクハラと告発された。最終的には推しにSNSブロックされたということで、あれからどうなったか…というのも綴ってあった。
読んだ感想としては、「この人は一生、知らないまま生きていくんだろうな」というものだった。それについて、文芸評論家の三宅香帆さんのnoteが「『推し活』と人間関係」という視点で書いてあったので、参考までに(有料なので要注意)

そして、白川侑さんのnoteがすごくわかりやすかったので、こちらも参考までに。

あの男性は、「学校社会で生きていた時にやれなかったことをTwitterでやっているのだけど、それがどうしていけないのか」ということを書いてあった。それだと学校社会に限らず、会社の給湯室でのヒソヒソトークにもいえるがどこで誰かとつながっているかわからない。それにSNSはどんな形であれ、全世界につながっている前提であるので、言ってはいけないことをつぶやくのはリスクが高いと言える。

前のnoteのときに、「自分がされて嫌なことはしないのが当たり前なのかもしれない。」と書いた。それは彼の発言に含まれている「学校社会で出来なかったことを現実の、ネットの世界でやってる」行為に対して、「大人だからそれぐらいはわかるでしょ」という気持ちだ。相手があって成立するコミュニケーションは、どちらか一方的な感情でぶつけてくるのは間違いだと思っている。

これに関して、不意に思ったのはスポーツでの戦術関係だった。
昔、あるタレント系野球評論家がラジオで言っていたが、「『僕が思う強くなれる戦術』がラジオなどで言ったからといって、その場で現場の監督などに伝えるのは違反だ」と(10年以上前なので、薄らぼんやりで申し訳ない)これを見たとき、「そりゃそうだよなあ」と思った。

で、時が流れて興味・関心がサッカーの方にいくと、戦術系のテキストが出回っていることにびっくりした。ただ、これらは監督など現場に届く前提としていなくて、書いた人が誰かに届けばいいと思っているのは…と。それは構わないと思っているが、たまにそういうテキストに触れると「これは監督などに読ませなきゃ!」と偽善的行動に出ちゃう人がいる。

以前、練習見学をした時に、ある人が鬼木監督に「フロンターレについて、こんなテキストがあったので読んでください」と渡していたのを覚えている。その人は得意げになってたかもしれないが、受け取った監督としては非常に失礼だろうと思った。監督は監督としての戦術を持ち、哲学を持っているのだから、それが生かされていたらどうにでもなる。もしかしたら、エゴサしてTwitterの批評などを読んでるかもしれない。相手のことを気遣えずにファンサービスのついでに、自分の思っていることを渡そうとするのはいかがなものかと思っている。

特に今年になってからは、フロンターレが勝てない試合を増えているため、鬼木監督へのフラストレーションをためているサポーターもいるかも知れない。でも、意図的に駄目な采配をしたわけではなく、やっていてもミスやケガなどのトラブルが生じてそこから失点する…それが敗北につながることが起きているのだ。
公式で勝敗などをSNSであげると、必ずといっていいほど噛みついてくる人が多い。そういう人に限り、『僕の作った最強のフロンターレ采配』を勧めようとしている。そこには「あの選手はいらない、スタメンから外して」「経験の浅い選手より、本職を使え」など書き込んでるのだ。そんなことは、監督が決めることであってあなたの要望で叶うとは限らない。それこそ、あの芸人にブロックされた男性がやっていた、「理想化された自分のお笑い芸人」というのを伝えているのと変わらないのだ。どうしても、というならお家でDAZN見ながら、ゲームしながら構成していけばよい。それなら誰も文句も言わないだろうし、自己満足で片付くのかもしれない。



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