フラワーエッセンス
先月、フラワーエッセンスを作る研修で岡山に行った。
そのときの体験はこちら
あれから、約1か月。
自分の中で新たに「あ」と思ったことを書いておく。
私、花を摘むことに抵抗があった。
それは深い場所であった。
花は、ある意味、その植物の体現でもあり、大地と繋がって咲いている。
昼も夜もそこに居て、花が花であることを謳歌していると感じるから
それを切ってしまうのが可哀そうというか、枯れて種を残すまでが花という思いがあって、自分の手でそれを切るのが時々つらいというか、
それでも頂くときは頂くんだけど、
でね、
フラワーエッセンスを作るときって、花を摘む。
切って摘む。
しかも、いちばん元気な花を摘む。
先日の体験では、6つの花が「わたしを摘んで使って」と言っているように感じた。
それを感じる子のみ摘ませてもらった。
そして水に浮かべた。
花のエネルギーが水に転写されて、マザーエッセンスが出来る。
家に持ち帰って、マザーからストックボトルに落し、それを更に希釈して服用レベル(服用ボトル)にして、ゆっくり摂り始めた。
服用ボトルの中はエネルギーのみである。
自分が関わった(自分の手で作った)エッセンスは作る過程が我が手を通してなので愛着も湧くのと同時に、今まで使用していた様々なエッセンス(売っているストックボトル)の背景に思いを寄せる。
そうか、このエッセンスたちはこんな風に作られたんだなぁ・・。と思い、野に咲いていた花を思う。
そのとき、思った。
花を摘んで水に浮かべる。
四つのエレメント、他、自然や、見えない存在たち、様々な中で「共創」するものと頭では分かっていたが、頭でしか分かっていなかったこと。
水に浮かんでエネルギーを転写することで、花は死なないんだと思った。
思ったというより、解った。
花はエネルギー的存在であること。
実際に手に触れる事も出来るし、植物として生き物として花として存在する。
フラワーエッセンスはその存在(エネルギー)を水に写して保存することで目に見えない花として瓶の中で咲き続けるのだと。
それが、人の手を通して、人から人へ手渡されていく。
それを服用(またはスプレー)して使用すると、その人の中にある自然、本来ある姿、花、を思い出させてくれるものなのだと。
だから、フラワーエッセンスは、こころに、魂に、時には肉体に響き共鳴して、その人の中で咲くのだと。
こころの庭に花が咲くと、本来あるその人の個性、パーソナリティが目を覚ます。
種から根を張り双葉になり茎が出て葉が出て花が咲き種になりそれがまた広がっていくように。
そのようなことが人の中で起きるから効果があるんだと思った。
四つのエレメントは生きていて、植物にもあり、人にもあり、全てにある。
占星術をしているとエレメント抜きでは考えられないし、フラワーエッセンスでも同じだし、もっと深掘りすれば、エレメントだけじゃなくてクォリティも陰陽のバランスもアスペクトも全てがその人を(または事象を)示す。
すべて生きている。
生きることは「本質」を知り、同期する事なのかな。と、昨日思った。
うまく表現できていないかもしれないけれど、
本質は透明で自分のアイデンティティは鎧だったと感じた。
それは悪いとかではなくて、この世界を生きるために必要なものでもある。
が、
鎧が重すぎたり、着ている事すら忘れたりしたとき、本来ある自分の姿(本質🟰エッセンス)を忘れてしまう。
産まれた時、知っていたはずの「ほんとうの私」を。
それを、もういちど思い出す旅が「人生」ではないだろうか。
花は目に見える星の数ほどあって、みな違う個性を持っている。
私たちも、花のように生きれるんじゃないか。
それを教えてくれるのが、フラワーエッセンスなのだと思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?